2016年3月30日水曜日

赤の分量



気になるのはあの人の爪。まだ乾いていないとろりとしたものが短く切り揃えられた爪からしたたり落ちそうだ。宝石みたいなザクロの色。昨日は気がつけば一心不乱にクリームを混ぜていた。知らないうちに日が暮れてフランボワーズも桑の実も区別がつかない。灯りをつけて出来上がった赤いクリームと真っ赤に染まった自分の手を見てぎょっとする。手の色は時間がたつほどに黒に変色していく。新居祝いのパーティでパスタなんか振る舞うなんてと自分の恋人の娘に嫌味を言った女性。そういえばあの人の長い爪もこんな色で今にも変色しそうだった。子供の頃飼っていた猫の目は暗闇で赤に光った。暗闇ではその小さな彼の体に何かが宿るんだと信じていた。書道が趣味のような団子ヘアのフランス人の彼氏を連れている、隣の席の中国人のモデル。赤のワンピース一枚。アップした黒髪。むき出しの肩と長い足の黄味がかった肌色。配分がちょうどいい。偽物の赤のソールのハイヒールはそういえばここではあんまり見かけない。前のアパートの大家のマダム、の前の夫が履いていた赤いスリムパンツ。白髪混じりの哲学者風の髪型と合わせると一層にそれは胡散臭さを引き立たせる。フランスでは赤色は女の子ではなく男の子の色。でも年を重ねると赤色は女のものになる。そうか、大人の男が身につける赤は、だから子供のようになるのか。向かいのマダムがすする赤いガスパチョ。若いトマトを手の中で器用にさばく男の手。熟したトマトを鍋の上で潰す女の手。手首に滴り落ちる薄赤い汁。目の前の皿。切り取られた舌、のようなビーツにそっとナイフを入れる。そっと。分量を間違えた批評は悪口になる。分量を間違えると何だって下品になる。口紅を塗り忘れたからといってわざわざ席をたってトイレに行く必要はない。そんな野暮なことをしなくてもトマトを齧るふりをしてテーブルの上のオイルを少しスプーンで唇にふくませればいい。わたしは黒を着て赤を飲む。

愛しい日々の連続を♡

色の旋律
Blue:冬の裾の色
Violet:紫のニュアンス
Entre Rose et Rouge:前髪から宇宙まで
Rainbow:魔女の色彩




2016年3月24日木曜日

魔女の色彩

そろりと鞘にナイフを入れる。ジュワッと滲みでるエキスとともに部屋中にヴァニラが広がる。瓶に液体を注ぎこむ。蓋を閉める寸前、目を閉じて最後のヴァニラを楽しむ。


匂いを嗅いでは摘む。大鍋でぐつぐつさせてみる。
洗って練って何度も何度も、浸して干して何度も何度も、織ってほどいて折って畳んで何度も何度も、丸めて破って何度も何度も、ぐちゃぐちゃにして...って、そんなふうに虹色を作りあげる。
女の人って複雑な生き物だねえ。と言うと、それってほぼ”重言”だねと彼は苦笑する。
返事を返す、頭痛が痛い、今の現状、馬から落馬...女は複雑...なるほど。



体でわかる満月。遠い東の海からかすかに聞こえる音。体の内側が騒ぐ。やっぱりか。産まれてた。宇宙のサイクルに引っ張られた子。何かの終わりと豊かなサイクルが始まるのは同じ変化の中にある。それから同時にパリから連絡が来る。ピエールアルディのショーウィンドウの前でアイスクリームを食べている2歳。またパリジェンヌがひとり増えたようだ。それにしてもシンクロし合う、女たちのこの繋がりはいったいなんだろう。


昔見た景色をスプーンで掬う。月の光を瓶に入れる。
美しさは、隙のない完璧さの上に存在するのではない。しかしそれは完璧に近いほどに満たされたことだ。



”月の香りを感じたり、黒色の官能を選んだり、揺れるスカートで現実を少し覆って、ひとりにやりと匂いに潜む秘密の記憶を楽しむ。アーモンドを少し齧る。言い訳の赤色を愛する指でぬぐってもらう。お湯の中に体を沈めて、耳までそっと入れる。目を閉じる。ろうそくの光が滲む水の色を味わう。揺れるリズムに身を委ねる。” 


愛しい日々の連続を♡

色の旋律
Blue:冬の裾の色
Violet:紫のニュアンス
Entre Rose et Rouge:前髪から宇宙まで





2016年3月17日木曜日

扉の外側と内側

初めてわたしがフランスに来たのは、アパレル業界で働いていた時の仕事のパリ出張だった。初めてのパリ、ショー会場からショー会場へ、展示会場から展示会場へ歩いた。フランスは道沿いに建物が並び、建物の入り口となる扉が道に面してずらりと並んでいる。建物の扉の横の壁にはインターフォンが並んでいて、尋ねる宛先のボタンを押して扉のロックを開けてもらうか、もしくは扉の横についているデジコードでロックを解除したり、タッチ式の鍵で入る仕組みになっている。デジコードはもちろんそこの住民しか知らない。そして初めてのパリ、社長の後ろをただひたすら歩く途中、何十、いや何百という建物の扉を通りすぎ、そのたびに扉の迫力とひとつとして同じものがないのではないかというくらい多種多様なデザインに魅せられていた。でも個人の小さなメゾンでない限り、展示会場などがそういった扉の建物の中にあることはあまりなく、どうやって入るのかさえ知らない。その頃のわたしにとってはフランスの道沿いに並ぶ扉の中は未知の世界だった。


そう考えてみれば、わたしはその頃の未知の世界の扉を開けている。
その1年後にはパリで暮らし始め、そして今は南仏でと、その扉の中の住人になって生活しているのだから考えてみればなんだか不思議に思えてくる。


実は最近いろんなことを臆病に感じている自分に気づくようになっていた。やりたいことがたくさんあるのになぜか土壇場になって億劫になったり、うまく集中できなかったり。わたしはこんなにも臆病だったけなと昔の自分を思い出しては、もうあんな風にいろんなことに飛び込めなくなっているのだろうかとちょっと不安になることもあった。最初のうちはその理由がわからなかったから、なんでできないんだろう、なんで不安に感じるんだろう、年をとったのかと悶々としていて、ある時夫にそれを話した。こんなにたくさん時間があるのにもったいない、でも臆病になっていてなんか億劫に感じてできない、でも時間があるのにって焦って堂々めぐりで悶々としてしまうんだと。そう話すと彼は、話てくれてよかったと笑いながらこう答えた。


君は今までずっと外の方を向いて、これをやりたい、あれをやりたい、とやってきた。福岡でもいろんなことやってたよね、ほんとによく覚えてる。でも、実際のところ君はずっと自分の心のまだ修復できていないものをどうにかやりくりしながら外を向いてがんばってただろうけど、自分の内側の小さな頃傷ついてしまった部分とか、それをかばうために自分で作って組み込んできた長年の心の防御反応とか、そういうものに向き合う時間を作れてこなかった。でもこの半年で君はそれに向き合おうとしているし、その成果はすごい。その時間ってすごく大切で、残念ながらそれに気づかない人もたくさんいるんだよ。自分の内と向き合うって、君は十分知っていると思うけど時には吐きたくなるほどしんどい気持ちになることもあるし、時間がある今しかできないし、年をとればとるほどそれは簡単ではなくなってくる。だから僕としては正反対の気持ちだよ、君はすごくいい時間を過ごしているんだと思う。君のママとおばあちゃんから、フランスに来てから表情がすごく柔らかく優しくなってるってこの間スカイプで言われてたよね。それすごくわかるよ。焦る気持ちはわかるけど、その必要は本当は全然ないんだよ。


「それに、そういう自分の内側に向き合わない限り、真にやりたいと思っていることは本当の意味ではできないと思うよ。」と、彼は最後にピリリと付け加えた。


昨日フランスで初めて医者にかかった。その日は突然冬に舞い戻ったように気温がぐんと下がり、1日中雨と風が強い日だった。フランスで医者なんてここで暮らしていくにはもちろんこれからさけては通れないことなんだけど、うまく説明できるかの緊張と面倒くさいのと天気の悪さとで憂鬱な気持ちはマックスだった。予約をしてメモした住所を尋ね、どんと構えた鉄とガラスの高くて重い扉をおそるおそる開けて建物の中に入る。一歩入って扉がパタリと閉まる。すると突然、なぜだかわからないが、不思議とすっと気持ちが晴れた。その建物の小さなエントランスに入った瞬間。そこは外の景色とは打って変わって光に溢れていた。電気の照明で光を作っているというよりは、高い天井と扉のガラスから外からの光を取り込めるようなデザインになっている。そのエントランスをゆっくり歩き、階段を上り始めた頃には憂鬱や緊張はその光に吸い込まれるようになくなって、反対になんだか初めてのことをするのがワクワクしてきたのだ。(今思えば、さぞかし受付の女性は病気のくせにやけにニヤついてるやつだと思っただろうw)


でもなぜあのエントランスの光のせいであんなに気持ちが急に楽になったのかは今もわからない。
扉の存在自体を知らない時期もあるし、その扉の前をずんずん通りすぎる時期もあるし、扉の開け方を知る時期もあって、その内側に入る時期もあって、それぞれそのタイミングがあるんだな、なんて、エントランスに立ち、扉の鉄とガラスの模様の間からのぞく外の景色を見てふと思った。

気がついたら扉の内側にいた。そこから外側の景色が見える。全然違う。

愛しい日々の連続を♡