2014年1月7日火曜日

猫の領域

最近、また新しい感覚、というか新しい領域を発見した。

その彼とわたしの話す言葉は独特で、わたしたちは10歳ほど離れている。
どう表現していいのかわからないが、その彼とは生まれ持った不思議な感覚が本当に似ている。
まず、お互い出会った瞬間にわたしたちは、自分たちの関係性をぴったりと把握した。この関係性を言葉で表現するのは非常に難しい。恋人でもない、家族でもない、友達でも親友でもない、でもそのどれにでも近くて、あえていえば兄弟のような、お爺さんとその孫のような...
そんな関係。 を、出会った瞬間にお互いに認めたのだ。



あまり頻繁に会えないので、久しぶりに会えたら、わたしたちはお互いの近況の報告をし合う。とりわけそれは、その時置かれている恋愛の報告。その報告に対してふたりで楽しんで分析したり、そこで見つけた癖を言い合ったり、それは何か美味しいものを食べながら、いい音楽を聴きながら、時々はふたりで歌いながら、その時間をたっぷりと楽しむ。
それぞれまったくお互いに執着していないけれど、お互いのことは姉弟みたいにちょっと心配したりなぐさめ合ったりしている。


1年半ぶりくらいに会えたこの間は、魚の名前が付いた最近お気に入りのバーで、ふたりで音楽を聴きながら歌いながら、ほどよくアルコールを摂取して、仏教とかナイアガラの滝の話とかを挟んで、いいぐらいに酔っ払って店を出て、一緒に帰り着いて、ふたりで小さなベッドでぎゅっと抱き合って眠った。
そして、やっと分かったのだ。
わたしたちは、猫みたいだ。お互い、動物に近い感覚でお互いを癒し、一緒に眠ることができる。
実際に、「なんか、猫みたいだよね」 と寝ぼけながら笑い合った。



ある意味彼は確実に、わたしの”大切な恋人”よりもわたしを癒すことができる領域を持っている。
彼の腕の中で眠る感覚の心地好さと言ったら、ない!本当の弟とはこうはいかない、まず気色が悪い。ラヴな恋人とは、他に楽しむことがあるし、親友(女性)とはやっぱりこんなかたちで体のぬくもりをダイレクトに使って愛情を伝え合うことはない。

わたしとその彼の持つ領域では、お互いを猫にさせることができる。
ただ何もせずに抱き合って眠ることができる。




この”猫の領域”...なかなかいい♡ ですよww

2014年 はじまりはじまり
Bonne année!

2013年12月23日月曜日

メロメロ考♡

「とても大切な人がいて
その人はわたしにメロメロなのだ」

随分との間、わたしは ”その人からメロメロに愛されているわたし” を受け入れることができなかった



今思うと、初めてその人に出会った瞬間を除いては実際とのころ、一度もそれを受け入れていなかったのだろう

出会ったその瞬間のその愛は、それを認識をするという選択のせいで徐々にそのかたちを変え、その質さえも変化させる



愛というものについてこう考える、
愛の、そのもの本来には、そもそも質は存在しない

形状もない 

無色透明 無味無臭 量もない

ゼロ

ゼロだけど、存在している
(それは、矛盾を喚起させる存在、でもあるのだ)
ただ在ることだけを感じる存在



「認識」というものは愛を「執着」、もしくは「固執」というものに
かたちをすり変えさせ、そして質を与え、その上、本来ならば感じえない”量”を与える

愛と質は本来無関係なものなのにもかかわらず
重いとか、軽いとか、そういうこととは全然次元が違うのに、認識が勘違いさせる


相手から離れる必要が無いのに、離れなければならないと認識したり、
相手に愛されているのに、そこに自ら不満を発生させたり
(これは本当に滑稽なこと)



とにかく、

その人はわたしのことがとってもとても大切で、その人はわたしをとても愛している
わたしはその人のことがとってもとても大切で、わたしはその人をとても愛している

時間もない、空間もない

在るのは、愛の中に浮かぶ、その感覚だけ



ほら、また宗教みたいなこと言ってる
ほら、もともと変とは勘付いてたけど、いよいよ頭おかしくなったんじゃない?...なんて言われるだろうけど(笑)
もしくは、なんの話やねん!とか(笑)


とにかく、「誰かが自分にメロメロだ」ってこと
自分だって実はその誰かにメロメロなのだ


あ~これってなんて幸せなことなんでしょう~♡、なんて
へらへら考えてたりしたら、あっ!!
という間に年の暮れ! 


でもその前に、素敵な素敵なクリスマスを☆





2013年12月10日火曜日

ビズの問題

フランスには”ビズ”をするという習慣がある。

bise(s) もしくは bisou(s) と書き、これは、親しい人とか信頼する相手と、ほっぺをくっつけ合って、チュッ、チュッ、とするフランス式の挨拶のこと。
その人に会った時、もしくはじゃあねとバイバイする時も、する

何かプレゼントをあげた時も、もらった方は「ありがとう、ビズをさせて」と言って、お礼の印にしたりする。

このビズをする習慣は、わたしがフランスの文化の中でとても好きなことのひとつで、とても素敵な習慣だと思っている。
相手への好意の気持ちをお互いに体で伝え合う...って、とてもわかりやすいし、かんたんで、とても愛おしい。
相手と触れ合うって、とても動物的な行為で、とてもシンプルだと思う。
昔、親しくなり始めた女友達と初めてビズを交わしたあと、その友人が「初めてビズをしてくれたねー」と、喜んでくれて、ビズって本当に親愛関係の印なんだって体感して、この習慣ががとても好きになった。




日本にもこんな習慣があったらいいのにな、って思う。慣れると本当に自然な挨拶なので、ないとちょっとさみしかったりする。
酔っ払った帰りとか、ノリで親友(日本人)とビズしたりすると、照れくさいけど、とーってもいいもの!お互い、ビズしなくてもいいけど、したらしたで、なんかけっこういいよね、なんかこれ自然な行為な感じがするよね、って感じる。


ただいくつか小さな問題もあって...
例えば回数の問題
わたしはパリにいたので、両頬にそれぞれ1回ずつの合計2回が習慣になっているが、これは地方によって違う。友人の南仏の実家に遊びに言った時は、そこは3回の習慣だった。南仏では3回が主流らしい。
地方によっては5回するところもあるらしい(!)
問題は、回数が違うと、片方の人がほっぺた差し出したままだったりして、最初とまどってちょっとだけ気まずいのだ。「え?ああ!もう一回ね」みたいに。




はたまた、あんまりこっちはさして好意を抱いていない相手とのビズ、これもまた問題。
勢いよく頬っぺを突き出されると、たいていそんなに拒否できない。
実際に、フランス人の仲良しの女友達に、「ねーねー、やっぱコイツとはビズしたくない、とかあるの?」と聞いたことがあって、「もちろんあるよ!彼のヒゲだったら全然いいのに、このおっさんのヒゲとか
うげッ!とか思うことあるよ。」って言っていた。
わたしは幸いに、うげッ、な相手とビズする関係にはなったことがないww




そして、ボーイフレンドとのビズの場合...
別れ際にビズをする、それが頬ではなく、予期せず唇に降りる。
それは、また別の問題へと発展する。

もしくは、別れ際のビズが、いつからかキスに変わる。
それもまた、素敵な問題。


さて、このビズ問題どうしたものか...

とりあえず引き続きへらへらしておこー♡



2013年10月28日月曜日

ようこそ、セクトへ♡

★★★以前のところから、ブログを引越ししました♪
アドレスが変更しています★★★


最近、わたしはとっても、へらへらしている
前からわたしはへらへらしているように思われているかもしれないけど、
それならそれで、今は...もっとへらへらしている♡

そして最近、気の合う友人からは、
「その年で悟りをひらきつつあるんじゃない?」、とか、
「いよいよ変な宗教を始める気だね」とか言われたりして、
なんか、ちょっと変な人扱いされたりしている...ような気がする

なぜかというと、最近どんどん自分の考え方を研ぎ澄ましつつあって、
それをとっても楽しんでるからなのだと思う

その考えというのは、まとめて言うといたってシンプルで、
「自分が望んでいるものを自分自身がきちんと認識して理解するってことが、実は一番大事なことなんじゃないか」っていうこと



その自分がほしいもの(欲するもの)は具体的であればあるほどよい
なぜかというと、
「自分が何が欲しいかちゃんとわかってる」ってことは
何が今できるかがわかるってことで、
それがクリアになればなるほど、できることとか進む方向が
ハッキリと見えてくるから
つまり、自分にとっても、周りの人にとっても、
とても楽なことなのだ



自分が悩んだり落ち込んだり気分が沈んだりしてる時というのは、
自分自身が、自分の欲しいものをきちんと理解していないってことに
原因があるような気がする

自分が欲しいものとして認識しているものは
実は表層的なもので、実は奥底にある自分が本当に望んでいるものがわかってなかったりする
その表層的なものにしか目がいっていないから、
「なんか全然思い通りになってない、手に入ってない!」って
イライラしていたりする状態が多い、気がする
でも、それは、実はとても無駄なこと


結局は自分を深く理解すること、つまりそれは自分を愛してあげること
それに辿り着くのではないかと思う

で、そこまでくると、何がいいって、すごく楽!
ほんとに楽なの



そして最近のわたしはもっぱら自分の本当に欲しいものたちの掘り当て
作業に焦点をあてているのだけど、
実は昨日、一番自分が欲しい大事なものが見つかった
ここ何ヶ月かずーっとハッキリしていなくてもやもやしてたのだけど、
ベッドの中でふにゃふにゃしていると、突然にピーンと来て
「あ!そうなんだー!」って超すっきり!


というわけで、わたしは最近、へらへらしている♡(笑)
伝わるかな、この"へらへら"
どう伝えればよいか言葉が見つからないけど(っていうかそもそも伝える必要があるのかがよくわかならいけど)、とにかく、
この感覚はとても楽で、ゆるくて、楽しい

みなさんここらで一緒にへらへら教に入信しません..か♡?





それから、考えてみて、
自分の本当に欲しいものって一体、何?

2013年10月9日水曜日

どこでもドア

「どこでもドア」があったら、なんてよく言うけれど
実はわたしには「どこでもドア」で旅行に行った経験がある


そのドアには、時間の概念も、空間の概念も、ない
ただ、行きたい場所につながっている


そして実際には、世間一般に「ドア」と呼ばれているような扉状のものを開けたりくぐったりするのではなく、ただただまっすぐ時空の無い道を歩いていく感覚だけなのだ

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例えば家の前の道を、例えば職場への道を、いつものようにずんずん歩く
そして、そのうちに気がついたら、「行きたい場所」へついている

知らない間についている


3回目にパリへ行った時に、初めて、この「どこでもドア」体験をした


行きは、家の近くでお蕎麦を食べてカフェのテラスでお茶をしながら彼とぺちゃくちゃお喋りをして、そのまま彼の車に乗ってまっすぐ道を走らせているうちに、着いた
パリに
ストンと着地したのはオルセー美術館の入り口のサイの銅像の前。

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そして、帰りはパリで滞在していたホテルの周りを朝、ひとりでぐるぐる当ても無く散歩して、カフェに入って彼女に携帯でメールに返事を書いて、送信ボタンを押して勘定をテーブルに置いたあたりで、日本の家に戻っていた

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本当にこの体験はやみつきで、一回経験したら、きっとみんながとりこになると思う


時々、時空の感覚を懐かしく思って”ホームシック”になることもあるけれど、
そもそも”ホーム”という場所自体が存在しない


パリの大好きな彼女とさよならのビズをして、何回も名残おしくて抱き合って、
パタンと扉を閉める、その感覚はそこだけに宙に浮いて、存在している

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SFでも、宗教でも、ニューエイジでも、なんでも無い
不思議な出来事でも無い
頭が変だと思われても、それはそれで仕方が無いけれど

でもただこれは、紛れも無い、わたしの本当の体験なのだ

(ちなみに、時空が無いくせに、なぜか時差ボケは、時々する)


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2013年9月5日木曜日

誕生日の下着 からデザイン考

自慢したい♡
純粋にただの自慢!

この間、32歳の誕生日のために、下着をもらった

Aubade♡


わたしの初めてのAubadeは”Boîte à desir (欲望の箱)"シリーズの


黒のタンガ...

これがね...超可愛い...!


バースデーソングと一緒に手渡されて、紙袋から取り出して、


外紙をビリッて破いた時点でなんか四角いボックスのパッケージ、Auba...くらいまで見えて、きゃおっ、もしかして!


ってなって、驚きが確信に変わる瞬間に、パパーン!ってレースの繊細な、黒



...でも広げた瞬間!

あれ、これサイズ大きくない!?って


サイズ表記は、U、 フリーサイズなのに


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で、次の日の夜、試し履き...


これがね...、超最高!


さすが、サイズも計算されてる


といってもやっぱわたしには若干大きかったのだけど、


でも一般的に「どの部分で履くか」ってのがみっちり計算されている、デザイン



                          これ↓

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で、ここからまた、ここからわたしは「デザイン」(ここではファッションの)について思考がシフトするわけで

だいたい今の市場において、ファッションデザインっていうのは
需要に沿ってなされるのがやっぱり多いと認めざるを得ない


でもね、Aubade、履いたらね、なんというか...
デザインにこっちの体が合わさざるを得なくなる
こっちが、どうしても...合わそうとする、
それこそ、欲望に忠実なかたちで

で、今まで、”グッドデザイン”って、外見と機能さを兼ね備えたものだと
認識していたし、それなりにそういう風に習ってた

でも、これ履いてみて、変わった

ファッションに限らず、いいデザインって、多分...、
外見と機能さはもちろん基本として、
使う側がね、自分の体をそのデザインに合わせてしまう
自分の欲望とか願望とか
しかも知らないまに、ぴったりくるように
だからそのデザインは結局自分だけ、唯一のデザインになる

そして、双方が双方になじむ
自分が変わるつもりじゃないのに、素敵な感じで変わってしまう
変えたいわけじゃないのに、自然に変わってる

いいデザインって、それこそ素敵な恋愛みたいだ

それをいちいち一大事にとるかは、個人の自由なわけで
その時だけ楽しんでも、一生大事にしても、どっちでもいい

どっちにしても、素敵なこと


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でもさ、女の人、下着ってきちんと素敵なの、選んでるのかな?

そしてさ、男の人、それをきちんと愛でてから脱がしてるのかな?

Bonne soirée, en tout cas!!




2013年8月18日日曜日

動物的に合う関係

最近、新しく気の合う友達ができた

その人は前にわたしが住んでいた家の近くに住んでいて、その頃はよく道ですれ違ったりして軽く会釈する程度だったのだけど、最近偶然また道でばったり会って、わたしが引っ越したことなどを話したりして初めてお互い自己紹介をし、今度軽く飲みに行こうということになった


その人はイギリス人で、日本に長く住んでいるのでもちろん日本語もけっこう話せる
わたしは英語が話せない 聞くのはまだしも、話そうとすると、単語と発音がフランス語とごっちゃごちゃになって、英語が話せる人たちにはいつも苦笑、というかばかにされる...ので、恥ずかしいので、極力英語は話さない


でも、そのイギリス人の友人はけっこうわたしに英語で話しをしてくれる

もちろん多分スピードをおとして噛み砕いて話してくれているのに違いないけれど、なぜか話がよく理解でき、あんなにいつも出てこない”英語の単語”がすんなり出てきて、自分でもびっくりするほど英語で意思疎通ができていたりする(←というか、思いこんでるだけかもしれないけど)


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で、考えてみると、その友人とは年も離れているけれど、けっこう嗜好や考えることが似ている部分があって、言葉を駆使して伝えなくてもすんなりお互いの言いたいことがわかったりして、だから「英語が通じている」と感じるのかもしれない

もしくは、自分の好きなジャンルの話題の単語はすんなり入ってきたり、すぐ覚えたりできるっていのもあるのかもしれない

とにかく、わたしたちはすぐに打ち解けた


ところで、わたしにはフランスに住んでいる仲がいいフランス人の友達たちがいるが、出会った時はわたしのフランス語は今よりももっとつたなかったので、今考えるとどうやって仲良くなったんだろう、と不思議に思う

その中のひとりの女友達が、わたしにメールをくれたことがある
「変だと思うんだけどね。お互い言語が違うし、あんまり会えないけど、なんでかいつも心の中にいて、わたしたちは感覚が似てるって思う」

わたしも同じ気持ちだったのだ

同じ言葉を話す日本人でも、「こいつとは全然話できない、全然通じないな」なんて思う相手がいたりする



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で、この違いはなんなんだろうか、なんて考えてたら、仲がよくなる人との共通点がふと思いうかんだ


それは多分、”美味しいと思う食べ物の味、もしくは嗜好が似ていること”

なんじゃないかと思う

これは全然見当違いかもしれないし、これはわたしだけにしか当てはまらないことかもしれないのだけど、そんな気がしてならない


食べ物の趣味が似ている人といるのは、妙に楽しくて、妙に居心地がよかったりする
これって実は...「食べ物の趣味が似ている」ってことは、考えることとか感覚が似ているってところに通じてるのでは、って思う


反対に、例えばセックスとかしたとしても、その前の食事の時に”あれ?この人と食べ物の趣味合わないかも”って感じたら、その後結局は仲良くならない...極論だけど
(ってか、セックス自体も合わない...w)


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って考えると、案外単純だなーって思う

食べ物が人をつくるってよく聞くし、わたしの母親もよく言ってるけど、
食べることが肉体だけを作ることだけではないって、よくわかる


友達でも恋人でも、胃袋わしづかみは、やっぱり大事なことなのかもしれない(笑)


それにしても、大人になって気のおける友人ができるというのは、やっぱり楽しいこと
そんな人たちと美味しいものを食べたり飲んだりするのは、とっても素敵なことだ

こんなにも動物的につながって、且つ人として気が合うって、なんて愛しいことだろうか


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それでもやっぱり...


その動物的感覚だけじゃ物足りなくて、言語的感覚も共有できる相手となると、それはもう、メロメロなわけで♡
そして個人的には、やっぱり英語よりフランス語が好きなのだ