2015年1月8日木曜日

それから、旅の始まり

あのショコラを口にした瞬間から旅の扉が開かれた。

その扉から続く道を進むと、雨が降ってきた。どこからともなくびゅうと風が吹き、雨はいっそう激しくなった。体が塗れてどんどん体温が奪われていく。早く雨がやみますようにと祈りながら歩いた。それでも風は止まず、次第に雨は雪に変わっていった。雪はわたしの肩にどんどん積もっていく。体は芯まで冷え、手や足の指の感覚はなくなった。辺りは真っ白で、空と空気と地面の境がなくなっていた。わたしは祈ることをやめた。その代わりに、目を閉じ吹きつける風の音を受け入れ、体に雪を纏う(まとう)感覚を持って歩くことにした。
しばらくそのまま黙々と道を進んだ。少しずつ雪はゆっくりとわたしの体温で溶け始めた。いつのまにか風は止み、気がつくと空が晴れていた。少しずつ手の感覚が戻り、踏み出す足の感覚も戻ってきた。
気がつくと隣に恋人がいた。手をつなぎ、ふたりで道を進んだ。つないだ方の手が徐々に暖かくなってきた。ふたりともぎゅっとつなぎあっていたので、手は熱を帯び、とても熱くなった。熱すぎてつないでいられなくなって、手を離した。すると、離したわたしの手の平に何か、こそばいようなごにょにょとした感触を覚えた。手の平を掻いたり、手を何度か閉じたり開いたりを繰り返した。そしてもう一度ゆっくりと閉じてその後にそっと手を開くと、手の中に銀色にきらりと光る指輪が入っていた。驚いて思わず彼の顔をみると、小さな子供のようなそれでいてお爺さんのようななんともいえない顔で嬉しそうににやりと笑った。細かな細工が施された細い指輪で、指にはめるとぴったりのサイズだった。あまりにもその細工が綺麗だったのでわたしは指輪をはめてしばらくの間はめた指に見とれてしまっていた。


ごそごそという音がするので顔をあげると、目の前にきらきらとまぶしく光る2メートルほどの高い壁が現れていた。よく見ると土でできた壁には色とりどりのガラスがびっしりと全面に飾りつけられている。ガラスに光が反射して色とりどりに光っているのだった。音のする方へ壁を伝ってあるくと、壁は曲がり角になり、どうやらそれは大きな正方形の箱になっているようだった。その箱は、これから歩く道の真ん中にどんと置かれている。上の方でごそごそと音がするので見上げると、彼がその箱の壁をよじ登り、箱の中に入ろうとしている。なんとかして彼はその箱の壁の頂上に立った。ずらすように開閉するのか、箱のふたが少しだけずれて、中が開いているようだった。取り残されてはいけないと、急いでわたしもよじ登ろうとすると、頂上に立った彼が「君はちゃんと道を歩いて来ないとだめだよ。僕は先に行って待ってるからね。」と言って微笑むと、箱の中に入り、そのまま箱のふたを中からずりずりと閉めた。ふたが閉まった途端、その箱は小さくなり、最後はピンクの煙をふわりと残して消えた。足元を見ると、道も消えていた。
わたしの周りには何も無かった。何もないところにわたしはただただ立っていた。どうしようもない淋しさがこみ上げてきて、目から涙がぼたりと落ちた。涙は地面に落ちるとすぐにジュワっと蒸発した。あまりにも大きな涙の粒だったので、わたしは両手を受け皿のようにしてそれを受けた。涙が指にはめた指輪の上にぼたりと落ち、その瞬間指輪は蒸発し、指輪の施されていた細工の柄だけがそのまま指に跡のように刻印された。
目を閉じてみた。さっきの箱と同じ色とりどりの光がまばゆく光っている。手を開き、目を閉じたまま刻印をその光にかざしてみる。確かにある。指輪はわたしの体の一部になっている。その光を集めて道を作ってみる。足を踏み出す。大丈夫、進める。



空想なのか夢なのか。幻想なのか現実なのか。
わたしが体験していること。

何かを見つけた人へ。何もかも見失った気分になっている人へ。
何かを探している人へ。旅の途中の人へ。








2015年1月1日木曜日

魅惑のショコラ、旅の鍵

「これあげる。すっごく強いから気をつけてね。子供とかは強すぎて食べられないから。」 その女性からわたしは一粒の丸いショコラを受け取った。ポンと手の平にのせられたそのショコラはアルミホイルで丸く包まれていた。最近知り合いになったばかりのその素敵な女性はわたしにそのショコラを手渡すと、くるりと向きを変えて行ってしまったので、いったい”強い”ってなんのことなんだろうかと気になったが、聞くタイミングを逃してしまった。とりあえずショコラを鞄の中にそっと仕舞い込んだ。


その日は音楽のイベントで恋人と一緒に参加していた。イベントの終盤くらいでわたしは高揚した場所の雰囲気に少しのみこまれてしまったのか、少し気分が落ち着かなくなった。わたしの少し不安定な様子に恋人が気づき、何か温かい飲み物を持ってきてあげると言ってドリンクバーにたった。わたしは彼を待つ間、気持ちが落ち着くようにじっと座っていたが、ふとショコラのことを思い出し、鞄の中から取り出した。彼が戻ってきたので、「これ、さっきの女の人がくれたの。ショコラ。なんだかわからないけど、すごく強いらしい。食べてみる?」と聞いて、ふたりでそれを齧って食べた。黒胡椒が入っているのか、どこかピリッとして、ビターショコラにスパイスが効いた風味はわたしの好きな味だった。それは彼が持ってきてくれたカルダモンの温かいチャイにとてもよく合った。美味しいねこれ、なんて言いあっているうちに、気持ちがずいぶんと落ち着いた。


面白いな~と思う。何かを口に入れ、それを飲み込む。ただ単純なことだけど、それが自分の体と心に作用し、自分の肌を薄く覆うものを色づけ、そしてその外側にあるものに反映する。その口に入れた何かは一体何なのか、どんな旅をしてきたのか、誰から託されたものなのか、そういうものがすべて自分の内と外の境界に溶け込む。

ちなみにその強いワケは、マカがたくさん入っていたから。媚薬入りのそのショコラは、わたしにとって新しい旅の始まりのキーアイテムだった。そういう鍵をわたしに渡すのは、なぜかいつも決まって素敵な女性たちなのだ。


そうこうしているうちに、あっという間に年を越してしまった。2014年は、生活をすることと芸術に関すること、身体のことと宇宙のこと、男と女の関係と子供が大人になること、食べることと選択すること、癒すことと癒し合うこと、いろんなことを再発見したいい一年だった。それらは何か魔法が働いているかのようにひとつずつ浮かびあがりつながりを見せ始めている。そして、女であるということの感覚もまた違う色合いが加わって、自分の中で変化している。

月の香りを感じたり、黒色の官能を選んだり、揺れるスカートで現実を少し覆って、ひとりにやりと匂いに潜む秘密の記憶を楽しむ。言い訳の赤は太い指でぬぐってもらう。お湯の中に体を沈めて、耳までそっと入れる。目を閉じる。滲む色を味わう。揺らぐリズムに身を委ねる。


そして、わたしは今年もやっぱり、きらきらと楽しんでいる女性たちに魅かれるのだろう。その愛らしい人たちに、温かい腕を差し出す男の人には ”がんばってね~”とおせっかいのエールを送ることも忘れないでおこう。

皆さん、2015年も彩り豊かな素敵な日々を。








2014年12月11日木曜日

味覚のフェチズム

わたしはなぜかよくわからないけれど、10代の頃から香味(?)が気になって気になってしょうがなくて、高校卒業したあたりから、シナモンから始まり、コリアンダー、カルダモン、バジル、オレガノ、アニス、クミン、ローズマリー、ナツメグ、タイム、セージ、etc... スパイスとかハーブとかの味にどっぷりはまって、きゃつらの虜になってしまって、今に至る。今はもはや自分で料理を作る時に、使わないほうが不自然になっている。おそらく、そういう味覚のフェチなんだろう。

そもそも人の味覚の趣味って何きっかけで、いつ形成されるのだろうか?


祖母のきんぴらごぼうとか、筑前煮とか今でも大好物で、いたって普通の日本家庭料理で育ってきている。今でも和の味は大好きで、納豆と、祖母の作った塩昆布で米を食べている。
だけど、何か適当に自分だけの晩御飯とか、好きに作る料理なると、その時食べたいものを炒めたり蒸したりして、例えばクミンと塩・胡椒で味付けをする。クミンさえあれば万事OK!と言っても過言ではない。

で、例えば、まだあんまり仲良くないくらいの人と普段作る料理の話とかになって、よく、「えー、オレガノ?ローズマリー?お洒落ー!」とか言われて、心の中で、あー、お洒落とか、そういう領域の話じゃないんだな~、あらま、ちょっぴりめんどうくさいわ、オムライスしか作らないって言っときゃよかった的な感じになる。わたしの中ではオレガノもわさびも同じくらい、もう本当に普通の、そして必要な味覚なのだ。
好きになった強烈的なきっかけとかも、おそらくない。ただただ自分にとっては自然な味覚で、もともと塩辛いのが極端に苦手なので、どちらかというと醤油とかがちょっと苦手だったりする。モチモチした食感が苦手なので、お餅も、白米もあんまり好きじゃない。

で、そんなんだから、過去の彼氏たちに料理なんか作る時、せっせこそういうスパイスだのハーブだのを使った料理を作ってたんだけど、あんまり喜ばれた記憶がなかった。日本人男子は和食が好きなのだ。(当たり前か。)それで、和食が食べたいといわれるので、それじゃあ作りましょかって作ってきたんだけど、途中で気づいたのだ。和食、食べるのは大好きだけど、自分で作るのはそんなに好きじゃないってことに(笑)。和食特有の絶妙な味加減のむずかしさとか慣れの問題ももちろんあるんだけど、なぜか自分の中でしっくりこない何かがあったのだ。

で、うすうす感づいていたものの、20代後半くらいで、遅ればせながら気づいた。
”もしかしたら、わたし...味覚の趣味が変わってるのかもしれない”
...


でも、不思議なことに、結局は味覚の合う人が周りに集まる。そして一緒にいるので、どんどん助長し合ってますます突き進んでいくのだ(笑)
恋人はフランス人なので、もともとがハーブとかスパイスの味覚の国で育っている人。だからわたしの味覚を「変」だとはとらえずにいてくれている。そうなると、料理をするのが楽しいのだ。
わたしの親友は、何故かカレーが大好きで、彼女がひとり暮らしの頃はほぼカレーしか作っていなかった。スパイスからカレーを作ることが本気すぎて、そして彼女の作るカレーが美味しすぎて、カレー屋をしろと色んな人から言われている。彼女の作るダルのカレーとか、辛くて美味しすぎてもう、食べた人みんな虜になっている。本当に彼女が店をしたら流行るんじゃないかと思う。

うまいことできている。変なやつにはそれに合った人に出会うのだ(笑)。

結局のところ、食べるものが自分の心と体を作っている、と思うので、「食べること」は大事にしたいし、一緒にいる人とは「味わうこと」を大切にしたいと思う。


最近「食べること」に対していろいろまた考え始めている。何を食べるのか?何を食べないのか?当たり前のように目の前に差し出されるものは、果たして自分にとって本当に必要なものなのか?それとも本当は必要でないのではないか?本当に好きなのか?それとも、好きだと思っているだけなのではないか?
食べ物に限ったことでない。疑問を持って自分で答えを探すことが必要だと思う。ストイックになり過ぎる必要はないと思うけれど、麻痺されて思考がぶよぶよになったまんまはよくない。本当の意味で”気持ちのいいこと”を自分で探すことが大事だと思う。
 
で、30代にも慣れてきた最近は、自分の「変さ」を正面から認めて、開き直りながら、こんなわたしと一緒にいてくれてありがとう、と周りの人たちに感謝している♡


あ~、でもこんなに寒い日はおでんが食べたい!

好物セット


2014年12月4日木曜日

Paris 私的回想録 - 完璧なメトロの降り方-

黄色のMの看板が目印。Parisの街ではその看板の下に地下への穴が開いている。階段を降りる。とたんに、洗剤と尿と何かシミックな花の香りを混ぜたような、酸の効いたそれでいて甘ったるい独特の匂いが鼻をつく。切れかけた蛍光灯のギリギリと鳴る音。半分剥がれた両側のポスターの間を歩く。改札のランプの上にカードパスをかざす。ひと気の少ない構内にビーと機会音が響く。ホームへの階段を小走りで降りる。ホームの電光掲示板を見上げる。あと何分でこの駅にメトロが到着するかの数字が目に入る。とにかくこの数字ほどあてにならないものはない。
車体がホームに到着する。もちろんアナウンスなどない。鉛色のハンドルに手をかけ扉を開ける。勢いよく扉が開く。
メトロの中に足を踏み入れると、今度は体臭と埃を交ぜた匂いに包まれる。席が二つずつ向かい合うボックス型の四つ席の通路側に座った。
隣には黒人の若い20代前半くらいの男が座っている。チャコールグレーのパーカーと黒いジーンズ。ジーンズはもう何年も履き続けているのだろう、色落ちしてパーカーと同じような暗いグレーになっている。その向かいには鮮やかなスカーフを頭に巻いたお尻の大きな50代くらいの黒人の女が座っていた。
一駅ほど過ぎた頃、女が自分の手提げ鞄からちり紙を取り出して、向かいの若い男に手渡した。男の方を見ると唇が乾燥して血が出ていた。男の肌の色もパーカーもジーンズも墨色のグラデーションだったので、その血の赤は男に似合っていた。
男は「Merci. ありがとう。」とぼそりと言い、ちり紙を受け取って唇の血を拭い取った。「De rien. どういたしまして。」とスカーフの女は小さくウィンクをし、お尻を揺らし次の駅に着いて車内から降りて行った。若い男は下を向いたまま、血のついたちり紙をジーンズのポケットに仕舞い込んだ。


その日の帰り、また四つ席の通路側に座っていた。白いマフラーを巻いた5歳くらいの金髪の女の子とその母親が乗ってきて、向かい側に座った。女の子が母親に何か耳打ちをすると、母親が笑って鞄からビスケットの袋を取り出し渡した。女の子は袋を自分で破き、チョコレートでコーティングされた四角いビスケットを食べ始めた。
ひと駅過ぎた頃、突然その女の子が口に手をあてえづきだした。そして、見る見るうちに首に巻いた白いマフラーの上にはどろどろチョコレートが流れ込み、ハンカチを出す余裕がなかった彼女の母親はもう仕方ないとばかりに、その白いマフラーで女の子の口を必死にぬぐった。女の子の白い頬も母親の白い手もチョコレートまみれになっている。

ここ。ここの瞬間で。鞄からちり紙を出す。そしてさっと手渡す。
ウィンクをして、席を立つ。ちょうど目的の駅に着く。鉛色のハンドルに手をかけ扉を開ける。列車が完全に止まる少し前、リズミカルにトンとホームに降りる。

これができたら、もうParisのメトロは完璧。





2014年11月11日火曜日

つながること、つながっていること

だいたい2年ほど前、今まで「自分だ」と認識していたものを超えた自分の中の存在に触れてから、自分の中でいろいろな物の見方が変わってきた。自分がそれまで認識していた世界には枠があったということを知ると、その枠の外側にあるものたちが見え始めた。そのものたちは以前からすでに存在していた、同時にそれは自分も本当は随分前からそのことをすでに知っていたということも認識すること。
その存在たちとつながっていることをもっと深く知りたい。体にすでに蓄積されているその遠い記憶はいったいどのようなものなのか。
1年くらい前、恋人とふたりでとりとめもなく話をしていた時、彼にそういうことを喋っていたと思う、彼がふとわたしに「君の考え方はヨガとか仏教の考え方に近いような気がする。一度勉強してみたらきっと面白いと思うよ。」と言ったことがあった。


なんとなーく彼がわたしに言ったことが頭の中に残ってはいたが、その時はまだピンとはきていなくて、ヨガ?仏教?はて?だった。それから何ヶ月か経ってから、このブログに身体のことと自由のことについての記事を書いた時、その記事の内容について、わたしが個人的に大好きな素敵な知人が「わたしがヨガで理解できたこと。修行せずにすごい。」というコメントをくれたことがあった。その知人はヨガの先生で自分のヨガ教室を持っている。
わたしはヨガを学んだことが一回もなかったし、子供の頃からひとりでに感じていた感覚とか考えていたことをようやく自分の中で人に伝えることができるような言葉で文字として表現してみただけのことだったので、そのコメントにはびっくりした。

大切だなと感じていることは、気を整えること。自分の内に眼を向けてそれから愛でること。意識を内から外に拡大して、自分自身を至福の状態に保つこと。それをするには瞑想とかはとてもよい方法だと思うし、ノリにのればわたしは散歩しながらでも人と話しながらでもそういう状態になることができる。というか、その状態の自分が普通の状態になってくる。もちろんドラッグも道具も新興宗教も、何にも必要なく。
それから、”自分に必要なものは必要な時に必ず手に入る”、そんな自然の摂理さえ知っていれば自分の欲しいものは必ず手にすることができる。豊かさの定義さえ知っていれば、自分はいつだって豊かなのだ。



そうやって自分自身と対峙し始めると、なんて自分はいろんなことに執着しているのだろうかと気づいてくる。がんじがらめだ。そういうことからひとつひとつ自分を解き放していくとどうなるかというと、自分が楽になることはもちろん、不思議なことに周りの環境とか大切な人も楽な状態になっていくのだ。今の世界にはこういうことが必要なんじゃないかと思う。なんとなくこの半年くらいでそういうことを身体で感じ始めたのだ。

物事にはいろいろな段階があると思う。その段階を踏んで、次に進んでいく。この自分の感覚を使って、小さくてもいいから何か世界のためにできることは何なんだろうかと最近探し始めている。
どこか祈りのような、そんなもの。



それで、ヨガって一体なんなのって、気になりだして、今までストⅡのダルシム的身体の柔らかさが必要なものっていう勝手なイメージと、なんだか流儀がいろいろとありそうでややこしそうなイメージしかなかったのだけど、ヨガ哲学自体に興味がむくむく沸いて、インターネットでいろいろと情報を探してみた。そうするとなるほど、今まで自分が考えてきたことがスラスラと書き出されてあるのだ。
これは面白そうだといろいろ探しているうちに、ある1冊の本に辿り着いた。その本は、ある一人のヨギ(ヨガをする人)が自らの生涯を綴ったぶ厚い自伝。それが家に届いた日から、もう、1ページ目から面白くて、読みすすめればすすめるほど止められなくなってしまう。それでもまだ全部読みきれていない。


ちょうど1年前に親友があれほどうかされていたインド熱に、今ここになって、感染してしまったのだろうか?
それとも前世のスパイス屋のおっさんの血が騒いでるのだろうか?(←昔占い師みたいな人にそう言われたことがあるのだ。)
まあ何かしらつながっているのだろう。

物質ではどうしても満たすことができないもの、物でしか価値を計れない感性ではどうしても感じることができないもの、暴力的なものの対極にあること。人を安心させられるもの。そういうことがなんだかいちいち気になってきたのだ。



とかいいつつ、物質主義から抜け出すべく、大好きな洋服たちを処分しているのだけど、これが一向に進まない。こと洋服のことになるとなんでこんなにも意思が弱いのだろうかと自問自答を繰り返している。うー...






2014年10月15日水曜日

Paris 私的回想録 - 13 区 -

メトロの駅を地上に上がるとそこはイタリア大通りとトリビヤック通りの大きな四つ角の交差点だ。そこからトリビヤック通りを南にずんずん歩く。この通りは三車線の少しゆったりとした並木道の通りで、駅から歩いて薬屋や大きな八百屋を過ぎたあたりから、何やら中華料理屋やベトナム料理屋のがネオンの看板が多く目に入ってくる。初めて足を踏み入れたカルチエなので、京子さんが歩く方向にわたしはただただ付いていく。京子さんの年齢はわからない。見た目は同い年くらいに見えるがおそらく7,8歳離れていたと思う。多分知り合い始めの頃に年齢を聞いたかもしれないが、忘れてしまった。彼女はParisで美容師をしている。
わたしの入居と入れ替わりで日本へ帰国した友人がアパルトマンの鍵と一緒に、電話番号とKyokoと書かれたメモをくれた。
「ここに電話してわたしの紹介ですって言えば、大丈夫。とにかく、フランス人に髪の毛を切ってもらうのは止めといた方がいいよ。」 その電話番号が京子さんの携帯番号だった。

 
京子さんと初めて会った日に、それまでボブのストレートヘアだったわたしは、彼女に強いパーマをかけてもらった。なぜだかわからないがParisに住み始めてから無性に強いパーマのかかったスタイルにしたくなった、というのを京子さんに言うと、彼女は笑った。日本人の若い女性はほとんどが栗色に髪を染めて パーマをかけたとしてもゆるくふんわりとした、いわば欧米人のようなヘアスタイルを希望するそうで、そうかと思えばParisに長く住む日本人女性はほとんどが黒髪のストレートロングヘア志向の人が多いらしく、京子さんはそのどちらでもない趣味のわたしを面白がり、「久しぶりにこんな強いパーマをかけられる~!」なんて楽しんでくれた。その日から京子さんとは時々ご飯を食べに行ったりお茶をしたりする仲になった。

ところでParisに長く住むと日本人はなぜかみんな「Parisで一番美味しいPhoの店」のアドレスをおのおの持つようになるようなのだ。色んな人が、あそこがParisで一番美味しいPhoを出すお店だよ、と言うのを聞いた。
わたしはというと、結局帰国の日まで、「自分の一番美味しいPhoの店」を持つことはできなかった。どこのを食べても美味しいし、だけどまあまあ似たような味に感じていた。わたしが思うにおそらく「Parisで一番美味しいPhoの店」のアドレスを持つということは、Parisに住む年月に深くかかわっている。それは醤油味に似た味わいを欲し、自分の欲求を納得させるほどのアドレスを見つけることへの切実な探求あってこそなのだ。1年やそこらでわたしはそんな切実にアジア味を恋しくなることはなかった。食べれたら食べるでいい、食べられないなら別にそれはそれで構わなかった。


というわけで、その日わたしは京子さんに誘われて彼女の「Parisで一番美味しいPhoの店」に行くことになった。彼女のPhoの店は、Parisでも一、二を争うくらい有名なPhoのお店のすぐ隣にあった。その有名なPhoの店はいつ通りがかっても、店の前に長い行列ができている。彼女曰く、その有名な店のPhoはツーリスト向けなのだそう。とはいえ、以前彼女もその”ツーリスト向け”のPho目当てで来た時、その長い行列を見てあきらめ隣の店に入ったところ、このParisで一番美味しいPhoに出会ったのだそうだ。
目の前に出てきたのは真っ赤なPhoだった。唐辛子がふんだんに入った、Phoにしてはこってりとした濃厚なスープで、ふたりしてふうふう汗をかきながら食べた。スタンダードなPhoではないが、なるほどクセになるような、何ヶ月かに1回くらい無償に食べたくなるような、そんな味だった。


フランスには、旧植民地であったベトナムから移住してきたベトナム人が多く暮らしている。特にこのカルチエは、フランスだと思えないほどベトナム料理屋や中華料理屋がひしめくように並び、ベトナム人や中国人がたくさん住んでいる。看板の派手な色の組み合わせや、聞こえてくる中国語かベトナム語かだかの喧騒はまたたくまにアジアの街にトリップしたような気にさせる。そして歩いているとなんだか不思議と元気になるのだ。そんな時、やっぱり自分はアジア人なんだななんて感じる。


Parisに住んでいた間で、Parisに住むいろんな日本人と知り合いになった。Parisに来て何ヶ月かの人、3~4年くらいの人、十年以上も住んでいる人、何かを志して修行中の人、学生、駐在員、その家族、自分の店を経営している人、フランス人と結婚をしている人、ビジネスマン、アーティスト、同時に色んなところで色んなことをしている人、日本人同士でいるのが大好きな人、日本人が嫌いな人、Parisじゃないと生きていけないという人もいれば、日本に帰りたいけどなぜかここに居るっていう人もいた。そして全員が程度はあるにせよ、フランス語を話す。それぞれがそれぞれ独特の訛りを持って。
わたしは、彼らと一緒に居るのが楽な時もあれば、フランス人の友人と居る方がしっくりくる時もあった。
そしてわたしはそれぞれの日本人たちと関わり合うなかで、その人たちがふわりと身にまとっている、Parisの街の独特のオーラを感じをうけるようになった。たまに日本から友人たちが旅行で来た時、その友人たちの日本から持ってきたオーラは、Parisに住んでいる日本人たちのそれとは違いすぎて、どちらがいいとか悪いとかそういうのではなく、ただただその違いを感じてはわたしはなぜか自分だけがどちらでもなく、ひとり漂っているような不思議な感覚になっていた。

そういう感覚が強くなる時、こんなアジアのどこかのような、それでいてアジアのどこにもないような場所に来ると、なぜだかほっとするのだ。
ここもまぎれもないParisの一角。





2014年10月8日水曜日

Paris 私的回想録 - 16 区 -

Paris 16区(2010年 6月)

「パレ・ド・トーキョーの今度の展覧会の出品作品に選ばれたんだ」
いつも冷静で物静かなモトがその日は少しだけ興奮してわたしに言った。
パレ・ド・トーキョーというのは、現代美術を取り扱う16区にある美術館のこと。モトはわたしと年齢がひとつ違いの日本人で、Parisで友達になった。彼は高校を卒業してからずっとフランスに住んでいるので、もう15年以上もフランスにいる。フランス語で会話することもまったく問題がないし、それはそれは綺麗なフランス人の奥さんまでいる。彼の職業はアーティストで、主に彫刻作品を制作している。その彼の作品がパレ・ド・トーキョーと、隣のパリ市立近代美術館の、2会場共催による大規模なグループ展に出品されるというのである。

その展覧会開催の前日、関係者だけが招待されるプレオープンの夜に、モトはわたしを含め彼の友人たちを招待した。彼は日本人が経営するレストランで働いていたので、わたしやその友人たちは日本人同士の仲間で、その展覧会にかけつけた。
2会場共催ということで、作品もかなりの数で見ごたえがあり、夜中12時の美術館の閉館時間までみっちりと作品たちを堪能した。閉館時間を過ぎると、パレ・ド・トーキョーとパリ市立近代美術館の中庭全部がDJブースとなり、パーティが始まる。人の多さと熱気のせいで、Parisにはめずらしくビールがよく合う夜だった。ギラギラに点灯したエッフェル塔がのぞく中庭で、踊ったり話したり、銘々に楽しんだ。
そして、作品もパーティも存分に楽しんだわたしたちは、その後、モトの美大時代からのアーティスト仲間であるフランス人たちを交え、7,8人でビストロへ行こうということになった。

 
ビストロに着き、7,8名ということで店のスタッフは手際よくいくつかのテーブルをひとつに並べ、全員がひとつになって座れるようにセッティングをしてくれた。モト以外のわたしたち日本人は左側に固まって座り、フランス人たちはモトを囲み右側に座った。わたしはその左側の端、ちょうど全員が見渡せる誕生日席のような場所に座った。
そのフランス人の中には、その内の誰だかの彼女とかで唯一女性がひとりいた。いかにもパリジェンヌといった白地に細かい柄の入ったワンピースと金髪を無造作にシニヨンにした髪、赤い口紅のフランス人女性だ。おそらくその彼氏が呼び寄せたのだろう、彼女はわたしたちが席について20分ほどしてから店に着き、自分の彼氏やモト、顔見知りの友人たちに挨拶をし、席についた。

わたしたち日本人とフランス人はモトを囲んで全員で話が盛り上がる、なんてはずもなく、左と右に分かれた。いや、実をいうと完全に分かれていたわけではなく、左側の日本人グループは右側のフランス人たちの会話に入っていこうとするのだが、いかんせん日本人全員が、程度はあるにせよつたないフランス語しか話せなかったので、結局会話は途切れ、フランス人同士だけで話が盛り上がる。フランス人たちがモトを囲んで盛り上がっている話題は、その展覧会について、その作品たちについて。
そしてその彼女は、その会話に入っていけない日本人たちを完璧に無視の態度だった。日本人のひとりが会話に入ろうと話かけても無視、目も合せない、というか顔すらこちらに向けない。日本人が話し、もし他のフランス人たちが少しそちらに耳をかたむけたとすると、ひとり不機嫌そうに下を向いて爪をいじる。とにかく無視。
わたしはその女性の態度と、そしてその態度をガンガンに感じているにもかかわらずそれでもへらへら笑いながらがんばって会話についていこうとしている日本人(わたしの友人たち)の態度に、居心地の悪さを覚えた。イライラした。べつに無理して会話なんかに入らなくてもいいじゃないか。

そして少し経ち、話に時々入ろうとする日本人たちを無視し続けることに限界がきたのか、もしくは同じ空気を吸うことに限界がきたのか、彼女は突然椅子から立ち上がり、彼氏に不機嫌に「帰る」とだけ言い、さっさとひとりで店を出て行ってしまった。彼氏も取り残された後、首をかしげていた。


何の理由で彼女はわたしたち日本人を完全に無視していたのだろうか?
わたしたちが日本人でなければ、彼女は楽しく会話をしたのだろうか?
もしくはわたしたちがフランス語でのコミュニケーションに全く問題がなければ、彼女は楽しく会話をしたのだろうか?
彼女が去った後もわたしはそればかりを考えていた。


フランスの中でフランス語が自由に操られないということは、相手に意見をする術を持たないということだ。(お互いが英語等他言語を話せるならそれはまた別。ただし、英語を流暢に話すフランス人は全員というわけではない。)
自分の意見を伝えないということは、フランスでは自分の意見を持たないのと同じこと。自分の意見を持たない者は、フランスでは対等には扱ってもらえない。
自分の立ち振る舞いや態度、フランス語を話すことの姿勢については、こりゃ軸をしっかり持たないとこの国では舐められるな、なんて、この夜の悔しさはわたしをしゃきっとさせた。

それと、フランス人はよく喋る。何をそんなに一所懸命話すのかと思うほど、本当によく話す。内容はどんなものであれ、もちろんその年代や、知識の深さなどにもよるが、だいたいが「自分はこう思う。」「あれのこういうところが自分は好きだ。」などというように自分の意見を話す。
直接的に相手に伝えること自体の善し悪しは別として、自分の意見を持つということについては、大人として基本的なことだと改めて思い直した。


もちろんあの彼女の”完全無視の態度”が「フランス語を話せないこと」ではないかもしれないということも大きく考えられた。なんとなくだが、彼女はわたしたち日本人が意味もなくへらへらしている態度そのものに”ダサさ”を感じ、イラっときたのではないかとわたしは思っている。まあ、わたしから見ても自分も含めて、格好よくはなかったと思う。
フランスに住むようになり、親日家のフランス人というのはけっしてマイノリティなわけではないことがわかった。親日家ではない人は、アジア人の区別なんてつかないのは当たり前。フランスに住むようになり、自分が有色人種であることを認識するようになったし、差別の対象になり得ることも知った。

外国に住むということについて、人それぞれにいろんな考え方があると思うが、わたしは、一種、腹の底に力を据えて、その上で柔軟な姿勢を保つというような感覚が必要だと感じた。まあ外国に住まなくたって、いつだってどこだって同じなんだけど。


Parisに住むと、くっそー!と悔しい思いをすることがたくさんあるが、どちらにしても態度で、言葉で意思表示をしないと、ただ無視されて終わるだけ。言葉を習得して出直すしかない。
ただ、もしかしてこの悔しさエッセンスも、Parisの魅力の一部なのでは...なんて思うのだ。