2015年2月27日金曜日

あの夜から手のひらに在る石

白を纏った男がゆっくりと舞い始め、薄いブルーを纏った女が軽やかに周りを舞う。動きは徐々に重さと厚みを増し、体は絡み合い、地を踏み、空間を動かす。背景の老松だけが静を保つ。
二人の姿がなくなり、空間を舞っていた細かな動きの分子がゆっくりと綿埃のように底に落ち着く。場は静寂を取り戻す。そしてセロの音がその静寂に静かに切れ目を入れ、ゆっくりと時空が歪む。戯曲の幕開け。


その夜、レオナルド・ダ・ヴィンチが現れると聞きつけ、わたしと恋人はその場所にはぜひ立ち会わなければと、会場に出向いた。日本海の風が一日中吹き付け、春分の日なんてそんなこと言うから少し春の陽気を期待してしまうじゃないか、本当に温かくなんてなるのだろうかと気持ちが頑なになりそうな、「もう寒いの飽きた」なんてごちる、そんな気温の低い日が続いた週の週末、金曜日の夜。
特別な用でもない限り、こんな寒い日に大濠公園に来ることないよねなんて言いながら、駐車場に車を停めて、コートのボタンを上まできっちり留めて、マフラーをぐるぐる巻きにして歩き出す。いつもの入り口から歩き出すと、黒く光る池と、等間隔でジョギングコースに立つオレンジ色の灯りがとても綺麗で、思ったよりも冬の夜の公園を散歩する人が多いことに驚きながら、寒さも気にならなくなりふたりで高揚した気分を楽しみながら会場へ向かった。
その夜の会場は公園の中にある能楽堂。もちろんいつもは能が演じられる場所。能楽堂に入るのは初めてだった。わたしたちにはめずらしく遅刻せず、というか開場時間の10分前くらいには到着した(!)にもかかわらず、すでに長い列が作られていた。久しぶりに会うイタリア会館の館長ファミリーに挨拶をし、列に並ぶ。来ている人たちの年齢層は少し高めで皆落ち着いていたが、今夜何が起こるのだろうかという少し子供のようにはしゃぎたいような雰囲気を皆隠せずにいるのが感じとれた。白檀の香りが鼻先をかすめる。


空気の中にセロの音色が吸い込まれ、会場は再び静寂に包まれた。ゆっくりと幕口から、少し猫背の年老いた男が静かに橋掛けリを歩いてくる。黒いベレー帽に青白い顔、銀色に光る豊かな長い髭、白いブラウスの上に纏う黒いスモック、細い二本の足、そして白足袋。ゆっくりとレオナルド・ダ・ヴィンチとの対話が始まる。

絵画と詩について、絵画と音楽、彫刻、科学との関わり、彼が何に基づいて表現をしているか、彼の分析のもととなるものは、水について、愛とは何か、魂とは...etc
ゆっくりと紡ぎだされる彼のイタリア語は時間と空間を超えてわたしたちの耳に届く。
「白貂を抱く貴婦人」のこと、「ウィトルィウス的人体図」 のこと、「最後の晩餐」に描かれた十二使徒の動きのこと、
そして― 「モナリザ」のモデルとは一体誰なのか。

彼は背を向け立ち去る。一瞬立ち止まり振り返ったときの彼の眼差しは、空間にぎっしりと配列されたすべての言葉を集約し、問いへの答えを語った。その彼の 後ろ姿と眼差しの光は、ひっそりと光を放つ小さな石のように確固たる重さと存在感を持ってわたしの内にかたちを残した。そして彼は姿を消した。


最近”表現すること”についてずっと考えていた。対象やその方法、衝動や欲望。―その行為と引き換えにわたしは乞食になれるか―
その一連のことにつながりそうなものが、その夜にはあった。

時間の境目にそびえ立つその壁画。朝早くやってきて、彼は壁の前に立つ。何時間も立ったまま。そしてひと塗りを足す。そして壁の前からゆっくり立ち去る。その一連の光景を観察する。わたしの眼にレオナルド・ダ・ヴィンのその後ろ姿の残像がありありと映しだされる。

あの夜からあの光る石がわたしの手の中に在る。


ESSERE LEONARDO DA VINCI われ、レオナルド 福岡公演
白足袋のレオナルド・ダヴィンチへ




2015年2月18日水曜日

冬の裾の色

恋人が気に入った万年筆のツルンとした柄は北斎の波の色に似ている。
灰色のコートの二番目のボタンはほつれた時にちょうどいい色がなかったから引き出しにあった糸で留めた。そのちぐはぐな糸は、実家の近くの酒屋の主人がつけていたエプロンの色と同じだ。

そのセーターが気に入っている理由は、蝋燭を点けたとき下の方で揺れる炎の輪郭と同じ色だから。何重にも織り込まれた絹糸のようなヴァイオリンの旋律が響く夜に似合うから。
シリウスがもうすぐ一番美しく見える夜がくる。太陽よりも熱い星の色。


窓を開ける。南国のリゾート地で食べる薄いアイスブルーのかき氷のグラデーションに似た透明に近い空。ピキンっとこめかみの上が引っ張られて、耳の上の方までキュッと冷たくなるような朝。記憶の中の限りなく透明に近い祈りの音色がその日を揺らし始める。

わたしは恋人に青色の言葉を伝えた。







2015年1月16日金曜日

ポンヌフからBoBoまで

わたしには映画を選ぶセンスがあまりない。というのも、わたしが見てみたい!と思う映画はたいてい、全部が全部ではないけれど90%くらいでハズレなのだ。映画と言っても最近はほとんど映画館でなくて、ツタヤに行ってDVDを借りて家で恋人と一緒に見ることが多い。彼はいつのまにそんなに見たのかというほどよく映画を見ているので、だいたいこれよかったよ的なおすすめ映画を一緒に借りて見ることがほとんど。たまには君が選んでよと過去何回か言われ、わたしが見てみたいと思ったものを選び、そしてその結果...今までほぼ失敗している。
前々回は”クロワッサンで朝食を”で失敗した。それの前は”ビフォア ミッドナイト”。これは至上最悪だった。前作(ビフォア サンセット)が好き過ぎただけに落ち込み度ときたらなかった。
というわけで、彼とふたりで、もう今後はわたしは映画を選ばないことにしようと決めた。
はずだったのだけど、なぜかその記憶がふたりとも抜け落ちていて、うっかりこの間、また選んでしまった。20代の頃からずっと見たいと思っていたけれどなんとなく見る機会を失っていた”ポンヌフの恋人”。


わたしはParisの街並みが大好きなので、Parisが舞台になっている映画はあの街並みが見れるはず!なんて単純に、あらすじなんて読まずにそれだけで選んでしまうことが多い。まあParisが舞台のものじゃなくても、わたしはあんまりあらすじを読んだりせずに、ジャケットデザインとか、色合いとか、雑誌の評判とか、好きな女優が出てるとか、そういうのだけで選んでしまう。根本的にそれが失敗の理由だと最近はうすうす感づいてきた。

で、ポンヌフの恋人。期待が大きかっただけに、がっくりだった。何のためにあの二人の境遇を主人公に置いたのか、置かなければならなかったのか全くもってわからなかった。別に乞食でなくたって、失明の危機になくたってよかったのではないか。そんな境遇じゃなくても、あれほどエゴだらけの人たちはごまんといるはずだ。最初から最後まで、一切の感情移入ができなかった。ただ単にそういう境遇や退廃的な雰囲気で、”ちょっとアーティスティック”な感じを作り出したかったのではないかとそんな風に感じた。このちょっとアーティスティックってのが、あの”○○臭い”に通じるわたしの苦手な胡散臭さが漂うので、わたしは拒否反応を起こしてしまう。(詳しくはこちらへ)そしてそこからつながる”お洒落臭い感じ”がいやなのだ。つまり、スノビッシュ、いわゆるわたしが苦手とする"BoBo" (ボボ)なのだ。わたしの恋人はフランス人なので、"BoBo" に関しては彼の方がもちろん目ざとい。わたしたちはこの"BoBo"が苦手なのである。


一体"BoBo"とは何かと言うと...

まずはちょっと日本のサイトに紹介されていたページから引用
”パリでオーガニックなライフスタイルを送り、おしゃれリーダーとして知られているのが「BOBO(ボボ:ブルジョワ・ボヘミアンの略)」と呼ばれる人たち。裕福な家庭でしっかりとした教養を受けて育ち、ファッション関係やメディアなど、憧れの仕事に就き活躍しています。
でも、その暮らしぶりはいたってナチュラル。高級ブランドに囲まれたラグジュアリーな生活よりも、自分の時間を大切にしたリラックス重視の暮らしを送り、都会にいながらオーガニックや身体に良いものを、ごく自然に取り入れています。”
 引用:http://www.ilyfunet.com/ovni/actualites/couv/530_quartier.html

次に日本のファッション雑誌のパリ特集の見出から引用
”ボボとは、ブルジョワ・ボヘミアンの略。クラシックな左岸を避け、右岸の新しいエリアで、ヌーヴォーシックなファミリーライフを楽しんでいる彼・彼女たちの日常をリポート。”
”ブルジョワ・ボヘミアンのイニシャルをとってボボと呼ばれる種族について、彼女はこう説明してくれた。もちろん自分もボボであると認識する。
「ボボって6区や16区あたりのブルジョワ家庭の出身者なのよ。しっかりとした教育を受け、どちらかというとカトリック。大人になった彼らがミックスカルチャーを求めて、パリの庶民的な地区で暮らすようになって......」”

もうこの文章、書いてるだけでいやだ(笑) ”ヌーヴォーシックってなんやねん(笑)”どちらかというとカトリック”ってなんやねん(笑)ちなみにページタイトルは「新おしゃれ種族、9区10区のボボたちとは?」
つまり、日本人にとって”BoBo”とは”憧れのお洒落な人たち”なのである。


わたしがParisに住んでいた時、この "BoBo"というのは、フランス人は批判的な言葉としてみんな使っていたので、あんまり人を褒める時に使う単語ではないと認識していた。 (というか、今もそう思っている。)みんなこの言葉を耳にすると、鼻で笑うか苦笑いしてするような、「BoBoねえ~、まったくねえ...」そんな感じ。
"BoBo"はbourgeois-bohemeの略語で、ボヘミアン的なブルジョワということになる。ブルジョワ階級だけど、保守的な右翼とは違った、左翼的な思想を持った人たちのことをいうらしい。
Parisでいうと、30代、40代で、自由業に就いている裕福な階層。でも、7区、16区な どの閑静で治安がいいだけが取り柄の高級住宅街には住みたがらず、移民が多く住む10区、11区、20区などにある工場などを買い取って、広々とした超モダンな住宅に改造して住みついている。
問題は、"BoBo"が進出するにつれて、Paris東北部の地価が高騰し、家賃は上がり、移民を初めとする貧しい人たちや職人たちは、ますます郊外に追いやられ ているという状況。そのうえ、BoBoたちがせっかく”開拓した”地区に、低家賃住宅などの建設計画が出たりすると、真っ先に反対するのも彼らだという。

”Parisを車で移動なんて環境に悪いし古臭いわ、もっぱら移動は自転車なの、べべ(赤ちゃん)はベビーカーにのせて散歩するのよ。彼女のこの靴下?あら、やっぱり分かる?これボン・ポワン(高級子供服店)の今シーズンものなのよ。え?わたしのこのデニム?蚤の市で買ったの、安物のリーヴァイス。でもねトップスはクロエの今シーズンのもの。わたし堅苦しいのって大嫌い、仕事もほら、クリエイティブだし、時間は自由に使わきゃ。今日は夫と20区の行き着けのタイ料理屋でディナーなの。でも、ねえ聞いて、最近憂鬱なのよ。だって、これ以上世界の環境破壊が進むことってあるのかしら?小さなことから始めれたらって思って、コットンは全部オーガニックコットンを使うようにしてるの。同性愛婚?もちろん賛成よ、愛に性別の差別なんてするべきじゃないわ。”
↑わたしの中の妄想BoBo(笑)

わたしたちお金持ちライフになんて興味ないの、もっと庶民に近い感覚で人生を楽しんで、人助けもしたいの的な、なんて言うんだろうか...
きっと素敵なライフなんだろうと思うけれど、この手の人たちというのは、本質を見極めようとはせず、もちろんわかっていないだけに始末が悪い。何もフランスだけじゃなくたって、こういう人たちというのは日本にもいる。ただし、日本ではセレブに近い人はいても、ブルジョアと呼べるほどの富裕層も上流階級もほとんどいないので、"BoBo"とは呼べないのかもしれない。だけど、その考え方だけで十分なので、わたしと彼はふたりで、あの人"BoBo"だね、なんて言ったりしている...ww

 
というわけで、ポンヌフの恋人はわたしにとって、 "BoBo"的映画だった。なんかいかにも日本のお洒落芸能人が好きそうだと思った。橋の上で二人で踊る愛のダンス(笑)はもちろんコンテンポラリーなわけで、なぜそこにクラシックではなくコンテンポラリーダンスが必要なのか、そもそもコンテンポラリーダンスという芸術の意味を理解した上でなのか、そういうところがなんとなく気になった。たいていの場合、映画のストーリーよりも、画面の色彩の美しさとか、カットの美しさとかそういうところにわたしは結構惹かれたりするのだけど、それもひとつのカットを覗いては、残念ながらパッとはしなかった。ジュリエット・ビノシュが好きなだけに、がっくりした。←きっと、こういうミーハーなので、映画選びを失敗するのだ。


先週Parisで起こった、シャルリー・エブドの事件。わたしも、何があっても暴力には断固反対だし、表現の自由は守るべきだと思う。だけど、それがイコール、”Je suis Charlie(わたしはシャルリー)”ということではない、と思う。わたしはシャルリー・エブドではないし、彼らと共有するものは持っていない。かなり下品で下劣な風刺表現が多い新聞で、わたしはどんなに暴力に反対で表現の自由を尊重したいと思っていても、あの新聞を買うことへのイコールにはならない。読みたいとも思わないからだ。福島の野菜を買うのと同じこと。本当に必要なのはそこじゃないはずだ。

あらま、今回はなんとも批判的な感じになってしまったー
それもこれもわたしの映画選びの自信喪失からくるやさぐれなのです♡
というわけで、わたしは映画を選ぶ担当からは完璧に外されました。








2015年1月8日木曜日

それから、旅の始まり

あのショコラを口にした瞬間から旅の扉が開かれた。

その扉から続く道を進むと、雨が降ってきた。どこからともなくびゅうと風が吹き、雨はいっそう激しくなった。体が塗れてどんどん体温が奪われていく。早く雨がやみますようにと祈りながら歩いた。それでも風は止まず、次第に雨は雪に変わっていった。雪はわたしの肩にどんどん積もっていく。体は芯まで冷え、手や足の指の感覚はなくなった。辺りは真っ白で、空と空気と地面の境がなくなっていた。わたしは祈ることをやめた。その代わりに、目を閉じ吹きつける風の音を受け入れ、体に雪を纏う(まとう)感覚を持って歩くことにした。
しばらくそのまま黙々と道を進んだ。少しずつ雪はゆっくりとわたしの体温で溶け始めた。いつのまにか風は止み、気がつくと空が晴れていた。少しずつ手の感覚が戻り、踏み出す足の感覚も戻ってきた。
気がつくと隣に恋人がいた。手をつなぎ、ふたりで道を進んだ。つないだ方の手が徐々に暖かくなってきた。ふたりともぎゅっとつなぎあっていたので、手は熱を帯び、とても熱くなった。熱すぎてつないでいられなくなって、手を離した。すると、離したわたしの手の平に何か、こそばいようなごにょにょとした感触を覚えた。手の平を掻いたり、手を何度か閉じたり開いたりを繰り返した。そしてもう一度ゆっくりと閉じてその後にそっと手を開くと、手の中に銀色にきらりと光る指輪が入っていた。驚いて思わず彼の顔をみると、小さな子供のようなそれでいてお爺さんのようななんともいえない顔で嬉しそうににやりと笑った。細かな細工が施された細い指輪で、指にはめるとぴったりのサイズだった。あまりにもその細工が綺麗だったのでわたしは指輪をはめてしばらくの間はめた指に見とれてしまっていた。


ごそごそという音がするので顔をあげると、目の前にきらきらとまぶしく光る2メートルほどの高い壁が現れていた。よく見ると土でできた壁には色とりどりのガラスがびっしりと全面に飾りつけられている。ガラスに光が反射して色とりどりに光っているのだった。音のする方へ壁を伝ってあるくと、壁は曲がり角になり、どうやらそれは大きな正方形の箱になっているようだった。その箱は、これから歩く道の真ん中にどんと置かれている。上の方でごそごそと音がするので見上げると、彼がその箱の壁をよじ登り、箱の中に入ろうとしている。なんとかして彼はその箱の壁の頂上に立った。ずらすように開閉するのか、箱のふたが少しだけずれて、中が開いているようだった。取り残されてはいけないと、急いでわたしもよじ登ろうとすると、頂上に立った彼が「君はちゃんと道を歩いて来ないとだめだよ。僕は先に行って待ってるからね。」と言って微笑むと、箱の中に入り、そのまま箱のふたを中からずりずりと閉めた。ふたが閉まった途端、その箱は小さくなり、最後はピンクの煙をふわりと残して消えた。足元を見ると、道も消えていた。
わたしの周りには何も無かった。何もないところにわたしはただただ立っていた。どうしようもない淋しさがこみ上げてきて、目から涙がぼたりと落ちた。涙は地面に落ちるとすぐにジュワっと蒸発した。あまりにも大きな涙の粒だったので、わたしは両手を受け皿のようにしてそれを受けた。涙が指にはめた指輪の上にぼたりと落ち、その瞬間指輪は蒸発し、指輪の施されていた細工の柄だけがそのまま指に跡のように刻印された。
目を閉じてみた。さっきの箱と同じ色とりどりの光がまばゆく光っている。手を開き、目を閉じたまま刻印をその光にかざしてみる。確かにある。指輪はわたしの体の一部になっている。その光を集めて道を作ってみる。足を踏み出す。大丈夫、進める。



空想なのか夢なのか。幻想なのか現実なのか。
わたしが体験していること。

何かを見つけた人へ。何もかも見失った気分になっている人へ。
何かを探している人へ。旅の途中の人へ。








2015年1月1日木曜日

魅惑のショコラ、旅の鍵

「これあげる。すっごく強いから気をつけてね。子供とかは強すぎて食べられないから。」 その女性からわたしは一粒の丸いショコラを受け取った。ポンと手の平にのせられたそのショコラはアルミホイルで丸く包まれていた。最近知り合いになったばかりのその素敵な女性はわたしにそのショコラを手渡すと、くるりと向きを変えて行ってしまったので、いったい”強い”ってなんのことなんだろうかと気になったが、聞くタイミングを逃してしまった。とりあえずショコラを鞄の中にそっと仕舞い込んだ。


その日は音楽のイベントで恋人と一緒に参加していた。イベントの終盤くらいでわたしは高揚した場所の雰囲気に少しのみこまれてしまったのか、少し気分が落ち着かなくなった。わたしの少し不安定な様子に恋人が気づき、何か温かい飲み物を持ってきてあげると言ってドリンクバーにたった。わたしは彼を待つ間、気持ちが落ち着くようにじっと座っていたが、ふとショコラのことを思い出し、鞄の中から取り出した。彼が戻ってきたので、「これ、さっきの女の人がくれたの。ショコラ。なんだかわからないけど、すごく強いらしい。食べてみる?」と聞いて、ふたりでそれを齧って食べた。黒胡椒が入っているのか、どこかピリッとして、ビターショコラにスパイスが効いた風味はわたしの好きな味だった。それは彼が持ってきてくれたカルダモンの温かいチャイにとてもよく合った。美味しいねこれ、なんて言いあっているうちに、気持ちがずいぶんと落ち着いた。


面白いな~と思う。何かを口に入れ、それを飲み込む。ただ単純なことだけど、それが自分の体と心に作用し、自分の肌を薄く覆うものを色づけ、そしてその外側にあるものに反映する。その口に入れた何かは一体何なのか、どんな旅をしてきたのか、誰から託されたものなのか、そういうものがすべて自分の内と外の境界に溶け込む。

ちなみにその強いワケは、マカがたくさん入っていたから。媚薬入りのそのショコラは、わたしにとって新しい旅の始まりのキーアイテムだった。そういう鍵をわたしに渡すのは、なぜかいつも決まって素敵な女性たちなのだ。


そうこうしているうちに、あっという間に年を越してしまった。2014年は、生活をすることと芸術に関すること、身体のことと宇宙のこと、男と女の関係と子供が大人になること、食べることと選択すること、癒すことと癒し合うこと、いろんなことを再発見したいい一年だった。それらは何か魔法が働いているかのようにひとつずつ浮かびあがりつながりを見せ始めている。そして、女であるということの感覚もまた違う色合いが加わって、自分の中で変化している。

月の香りを感じたり、黒色の官能を選んだり、揺れるスカートで現実を少し覆って、ひとりにやりと匂いに潜む秘密の記憶を楽しむ。言い訳の赤は太い指でぬぐってもらう。お湯の中に体を沈めて、耳までそっと入れる。目を閉じる。滲む色を味わう。揺らぐリズムに身を委ねる。


そして、わたしは今年もやっぱり、きらきらと楽しんでいる女性たちに魅かれるのだろう。その愛らしい人たちに、温かい腕を差し出す男の人には ”がんばってね~”とおせっかいのエールを送ることも忘れないでおこう。

皆さん、2015年も彩り豊かな素敵な日々を。








2014年12月11日木曜日

味覚のフェチズム

わたしはなぜかよくわからないけれど、10代の頃から香味(?)が気になって気になってしょうがなくて、高校卒業したあたりから、シナモンから始まり、コリアンダー、カルダモン、バジル、オレガノ、アニス、クミン、ローズマリー、ナツメグ、タイム、セージ、etc... スパイスとかハーブとかの味にどっぷりはまって、きゃつらの虜になってしまって、今に至る。今はもはや自分で料理を作る時に、使わないほうが不自然になっている。おそらく、そういう味覚のフェチなんだろう。

そもそも人の味覚の趣味って何きっかけで、いつ形成されるのだろうか?


祖母のきんぴらごぼうとか、筑前煮とか今でも大好物で、いたって普通の日本家庭料理で育ってきている。今でも和の味は大好きで、納豆と、祖母の作った塩昆布で米を食べている。
だけど、何か適当に自分だけの晩御飯とか、好きに作る料理なると、その時食べたいものを炒めたり蒸したりして、例えばクミンと塩・胡椒で味付けをする。クミンさえあれば万事OK!と言っても過言ではない。

で、例えば、まだあんまり仲良くないくらいの人と普段作る料理の話とかになって、よく、「えー、オレガノ?ローズマリー?お洒落ー!」とか言われて、心の中で、あー、お洒落とか、そういう領域の話じゃないんだな~、あらま、ちょっぴりめんどうくさいわ、オムライスしか作らないって言っときゃよかった的な感じになる。わたしの中ではオレガノもわさびも同じくらい、もう本当に普通の、そして必要な味覚なのだ。
好きになった強烈的なきっかけとかも、おそらくない。ただただ自分にとっては自然な味覚で、もともと塩辛いのが極端に苦手なので、どちらかというと醤油とかがちょっと苦手だったりする。モチモチした食感が苦手なので、お餅も、白米もあんまり好きじゃない。

で、そんなんだから、過去の彼氏たちに料理なんか作る時、せっせこそういうスパイスだのハーブだのを使った料理を作ってたんだけど、あんまり喜ばれた記憶がなかった。日本人男子は和食が好きなのだ。(当たり前か。)それで、和食が食べたいといわれるので、それじゃあ作りましょかって作ってきたんだけど、途中で気づいたのだ。和食、食べるのは大好きだけど、自分で作るのはそんなに好きじゃないってことに(笑)。和食特有の絶妙な味加減のむずかしさとか慣れの問題ももちろんあるんだけど、なぜか自分の中でしっくりこない何かがあったのだ。

で、うすうす感づいていたものの、20代後半くらいで、遅ればせながら気づいた。
”もしかしたら、わたし...味覚の趣味が変わってるのかもしれない”
...


でも、不思議なことに、結局は味覚の合う人が周りに集まる。そして一緒にいるので、どんどん助長し合ってますます突き進んでいくのだ(笑)
恋人はフランス人なので、もともとがハーブとかスパイスの味覚の国で育っている人。だからわたしの味覚を「変」だとはとらえずにいてくれている。そうなると、料理をするのが楽しいのだ。
わたしの親友は、何故かカレーが大好きで、彼女がひとり暮らしの頃はほぼカレーしか作っていなかった。スパイスからカレーを作ることが本気すぎて、そして彼女の作るカレーが美味しすぎて、カレー屋をしろと色んな人から言われている。彼女の作るダルのカレーとか、辛くて美味しすぎてもう、食べた人みんな虜になっている。本当に彼女が店をしたら流行るんじゃないかと思う。

うまいことできている。変なやつにはそれに合った人に出会うのだ(笑)。

結局のところ、食べるものが自分の心と体を作っている、と思うので、「食べること」は大事にしたいし、一緒にいる人とは「味わうこと」を大切にしたいと思う。


最近「食べること」に対していろいろまた考え始めている。何を食べるのか?何を食べないのか?当たり前のように目の前に差し出されるものは、果たして自分にとって本当に必要なものなのか?それとも本当は必要でないのではないか?本当に好きなのか?それとも、好きだと思っているだけなのではないか?
食べ物に限ったことでない。疑問を持って自分で答えを探すことが必要だと思う。ストイックになり過ぎる必要はないと思うけれど、麻痺されて思考がぶよぶよになったまんまはよくない。本当の意味で”気持ちのいいこと”を自分で探すことが大事だと思う。
 
で、30代にも慣れてきた最近は、自分の「変さ」を正面から認めて、開き直りながら、こんなわたしと一緒にいてくれてありがとう、と周りの人たちに感謝している♡


あ~、でもこんなに寒い日はおでんが食べたい!

好物セット


2014年12月4日木曜日

Paris 私的回想録 - 完璧なメトロの降り方-

黄色のMの看板が目印。Parisの街ではその看板の下に地下への穴が開いている。階段を降りる。とたんに、洗剤と尿と何かシミックな花の香りを混ぜたような、酸の効いたそれでいて甘ったるい独特の匂いが鼻をつく。切れかけた蛍光灯のギリギリと鳴る音。半分剥がれた両側のポスターの間を歩く。改札のランプの上にカードパスをかざす。ひと気の少ない構内にビーと機会音が響く。ホームへの階段を小走りで降りる。ホームの電光掲示板を見上げる。あと何分でこの駅にメトロが到着するかの数字が目に入る。とにかくこの数字ほどあてにならないものはない。
車体がホームに到着する。もちろんアナウンスなどない。鉛色のハンドルに手をかけ扉を開ける。勢いよく扉が開く。
メトロの中に足を踏み入れると、今度は体臭と埃を交ぜた匂いに包まれる。席が二つずつ向かい合うボックス型の四つ席の通路側に座った。
隣には黒人の若い20代前半くらいの男が座っている。チャコールグレーのパーカーと黒いジーンズ。ジーンズはもう何年も履き続けているのだろう、色落ちしてパーカーと同じような暗いグレーになっている。その向かいには鮮やかなスカーフを頭に巻いたお尻の大きな50代くらいの黒人の女が座っていた。
一駅ほど過ぎた頃、女が自分の手提げ鞄からちり紙を取り出して、向かいの若い男に手渡した。男の方を見ると唇が乾燥して血が出ていた。男の肌の色もパーカーもジーンズも墨色のグラデーションだったので、その血の赤は男に似合っていた。
男は「Merci. ありがとう。」とぼそりと言い、ちり紙を受け取って唇の血を拭い取った。「De rien. どういたしまして。」とスカーフの女は小さくウィンクをし、お尻を揺らし次の駅に着いて車内から降りて行った。若い男は下を向いたまま、血のついたちり紙をジーンズのポケットに仕舞い込んだ。


その日の帰り、また四つ席の通路側に座っていた。白いマフラーを巻いた5歳くらいの金髪の女の子とその母親が乗ってきて、向かい側に座った。女の子が母親に何か耳打ちをすると、母親が笑って鞄からビスケットの袋を取り出し渡した。女の子は袋を自分で破き、チョコレートでコーティングされた四角いビスケットを食べ始めた。
ひと駅過ぎた頃、突然その女の子が口に手をあてえづきだした。そして、見る見るうちに首に巻いた白いマフラーの上にはどろどろチョコレートが流れ込み、ハンカチを出す余裕がなかった彼女の母親はもう仕方ないとばかりに、その白いマフラーで女の子の口を必死にぬぐった。女の子の白い頬も母親の白い手もチョコレートまみれになっている。

ここ。ここの瞬間で。鞄からちり紙を出す。そしてさっと手渡す。
ウィンクをして、席を立つ。ちょうど目的の駅に着く。鉛色のハンドルに手をかけ扉を開ける。列車が完全に止まる少し前、リズミカルにトンとホームに降りる。

これができたら、もうParisのメトロは完璧。