2011年3月29日火曜日
2011年3月18日金曜日
戻らないことと進むこと
こんな風になってしまうなんて、ほんとうに一週間前には誰も想像していなかった、と思う
大きな揺れがあったあの日、あの時間、パソコンに向かっていたわたしは、友人たちのツイッターで事の重大さに気づいた ここ福岡は幸いにも揺れはなく、日ごろからTVをほとんど見ないわたしには、同じ日本国内の出来事を感じることにも時差があった
さすがに我が家でもTVをつけた
終日連日続く地震報道とツイッターの中のリツイートの地震情報は、今も続いている
その画面を見ていると、本当に、地震が起きる前にどうにか戻らないかな、 なんて本気で考えてしまっていた 笑ってケンミンショーなんて見れるくらいに、戻ればいいのに、なんて
フランスからも友人が心配してくれて、実際に被災地に友達がいるフランス人の友達から、その友達たちの安否を確認してほしいと、ローマ字で名前が送られてきた
こんなにも情報が飛び交っていて、ツイッターとかミクシーとかフェイスブックとかですぐに情報が手に入るように思えるけれど、それでも確かな安否確認なんて、できなかった
リツイートは人差し指ひとつでできる
励ましも140文字でできる だからって、それで何でもできる、にはならない
こんなことごちゃごちゃ考えてる間も、余震が起きたり、原発が爆発したりしている
よく行くバーに行っても、変わらずいろんな人が飲みにきているし、焼き鳥屋もラーメン屋も人がたくさん待つほど入っている
TVで見ることがなんだか嘘のようだ
松山千春がラジオで,今回の地震に関して「知恵がある奴は知恵を出そう.力がある奴は力をだそう.金がある奴は金を出そう.『自分は何にも出せないよ・・』っていう奴は元気出せ」って言ってたってゆうツイート
福岡でも義援金の募金箱がたくさんできている
外に出て、とりあえず元気に
とりあえず元気なんだから、ワンクリックと140文字以上のことはできるはず
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2010年11月29日月曜日
Bisous ma poulet
フランスの習慣でわたしがとても大好きなことの中に、ビズ(ほっぺたにキスをすること)がある
待ち合わせして会った時も、じゃあねとバイバイする時も、する
何かこっちがプレゼントしたあとも、相手は「ありがとう、ビズをさせて」とお礼の言葉とビズをしたりする
日本ではビズの習慣はないけれど、フランス人の友達ができて、ふつうにするようになると、なんというか、友情とか愛情みたいなものをおしげもなく感情を体で表す、なんというか、素敵な習慣だな、ということに気がついた
基本的にビズは友人同士とか、顔見知りの相手、もしくは初対面でも親愛の印としてする
昔、親しくなり始めた友人と初めてビズをしたあと、その友人が「初めてビズをしてくれたねー」と、喜んでくれたのがとても印象的だった
パリでは2回、南の方では3回する、とか場所がちがうとビズの回数もちがったりして、片方はほっぺた差し出したままだったりして、最初とまどったり それがまたおもしろい
わたしの仕事収めの日、最後の仕事でその日郵便局へ行った時、いつも応対してくれて仲良くなったおじさんに、今日で最後だと話すと、じゃあビズを、と言ってくれたのでビズをした
日本だったら考えられない 近くの郵便局のおっさんと、もう会えなくなるからと、ほっぺた同士をくっつける でも
フランスでは本当に普通のことで、おじさんの短いヒゲがむしゃむしゃ頬にあたる感触はむずがゆいが、なんだか自然で、ありがとうね、という気持ちになった
こっちに住んでいて、わたしは友人と遊んだあとにバイバイする時にし合うビズが、なんだか一番好きだった
でも、今は、ビズをし合うことを忘れれば、またすぐに会える? とか思ってしまったりして
今日日本へたつ
1年、あっというまだった
日本に帰ったら、ビズなんて誰にもできなくなるだろう
だけど これは わたしが体で覚えている、本当に、本当に素敵な習慣で
また多分、すぐにもどってくる
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2009年1月30日金曜日
なぜ、今 感じること すべてに
今は冬真っ只中だから、けっこうこぎ始めは風が冷たくって寒いんだけど、10分もこぐと体が熱くなってきて、ひんやりしたかぜが頬っぺたにあたってとても心地よく感じる
それでどんどんこいでると、あたまがすっきりしてきて、あたまの中の声がよく聞こえるようになる 道路に時々タクシーが通るくらいの夜中の住宅街なんかは、まわりがしんとしていてほんと自分のあたまん中の声が文字になって浮かぶんじゃないかと思うくらい、まわりの景色とあたまの中の境界線があいまいになる 普段は湿気とか苦手なのに、こういう夜は心地よい湿気の重さを感じる
いつもとは違う角を曲がって、夜なのに開いてる雑貨屋さんだったり、どこか外国の家みたいな雰囲気のフレンチレストランだったり、いい感じのお店の灯りを見つけることがある スピードにまかせて通り過ぎてしまうから、道も角もでたらめで もう一回訪れてみたくて探しにいってもだいたい見つからない
そのまま時が過ぎて そのお店も忘れてしまう
だいぶの時間が過ぎて、ふと見上げた空の月なんかががきれいな夜に、また気まぐれな角を曲がって、そして再会する
そんなタイミング
もしかしたら前世ぐらいのレベルで決まっていたのかもしれないし、ただ気まぐれが結んだだけのものなのかもしれない
もしかしたら、そういうものに導かれ、誘われて、生きているのかもしれない
こんな風な 答えみたいなもの に触れられる気がして、今は ペダルをこぐのが楽しい