2015年4月16日木曜日

最近の選択ごと、ベジタリアン

何から書き始めればよいだろうか...最近いろんなことが動き出して、考えもいろいろなことにおよんで書きたいことが多すぎる...う~ん、どうせ収拾がつかなくなるのがオチなのだから、それなら初めからまとめようなんて思わずにとりとめもなく記すことにしよう。

福岡を今月末に発つ。実家がある大阪に数ヶ月滞在し、それからフランスへ住みかを移す。それを話すと時々人からは、「大きな決断だね。」とか「不安もあるでしょうが、」とかそういうことを言われたりするけれど、実は大きな決断をしたとかそういう実感があまりないし、不安も実はほとんどない。おそらく脳天気なのだろうけれど、感覚のまま方向転換をしながら流れにそのままそって浮かんでいるような感じなので、自分の中で選択したという感覚がない。まあなにか問題があればその都度クリアにしていくわけだけど。


それと同じように流れる感覚で自然に行き着いた最近の選択のもうひとつに、ベジタリアンとして暮らしていくとを決めたことがある。大学時代、一度ベジタリアンになろうと思ったことがあるが、知識も浅く意識もふわふわと軽いままで長続きはしなかった。でもその頃からずーっと意識のすみにベジタリアンへの興味を持ち続けていた。
昔から食べ物を味わうことが大好きで、お腹が膨れればそれでよしとするタイプではない。食わず嫌いとかわたしの中にはなく、食べたことないものは食べてみたい!と、こと食べ物に関してはよく言えば好奇心旺盛で、まあつまり食い意地が張っているのだ。もともと小さい頃はあまり肉が好きではなく魚が大好物だったけどワインやらお酒を楽しめるようになってからは、もうどしどし肉も食べた。得意ではなかったけれど、フォアグラも鳩も蛙も食べた。

 
でもこの1、2年くらいでゆっくりといろいろなことへの意識が変わり、少しずつベジタリアンへの興味が強くなってきていた。それで、住む場所をフランスへ移すと決めたとき、フランスへ引っ越したらベジタリアンになろうと決めた。なぜフランスへ行ってからなのか、なぜ今からじゃだめなのかというと、日本ではベジタリアンとして生活するのはむずかしいと思ったからだ。いろんなところに動物由来のゼラチンが多く使われているし、魚のダシが使われているし、とくに九州は美味しい魚の誘惑が多いから(笑)w  しかも日本の野菜や果物は種類も少ないし、値段が高い。それに、集団意識の強い日本の社会の中で、菜食主義を貫くのはけっこうむずかしいのではないかと思っていたからだ。そんなときに、ベジタリアンの友人と一緒に食事に行くことになった。聞けば彼女は15年以上も日本で菜食の生活をしている人。日本で菜食を続けるのは、そんなに神経質にならずに自分のできる範囲で選択していけば、全然むずかしくないよと、鈴のようにコロコロと笑いながら話す彼女に、わたしのこわばっていた意識がホロホロとくずれていった。そっか、自然にできることをすればいいだけだ、外で食べるものも自分で臨機応変に選択すればいいんだ。
というわけで、なにもフランスへ住んでからではなく、今からできるじゃないかと、1、2ヶ月くらい前からゆるゆるとベジタリアンの生活を始めた。栄養のことを考えて、わたしは卵や乳製品を食べるので、ラクト・オボ・ベジタリアンに分類される。
とはいえ、まだ外食などで完全にはやはりむずかしく少しずつ取り入れていくつもりなので、今のところ、誘われた外食で肉や魚が出た場合は食べることもある。



なんでベジタリアンに?と聞かれると、いろんな理由が合わさり重なりあっているんだけれど、一番は感覚的なところが大きい。世界と関わる方法として、自分の体と心の感覚が密接に関わる食の領域から始めてみようとなんとなく自然にそう思ったのだ。変な宗教にでも入信したんじゃないの?と言われそうなものだけど、わたしは生まれた時から自分宗教に没頭していて、もちろん今も抜け出せないでいるw 自分宗教の信者としては、または教祖しては、わたしには菜食主義が合っているというお告げに従い、ベジタリアンになることを決めた。マクロビはわたしにはきっと合わないし、ヴィーガンになるにはわたしの性格は厳格じゃなさすぎるので、自分の考えられる範囲で、自分の体を通して少しずつ世界に関わっていこうと思う。とはいえ、今まで栄養のことなんてほんとなんにも気にしていなかったので、いろいろと研究を重ねなければならない。今ネットで話題の”菜食を止めた理由”を書いている人のブログとか読んだりww 多分菜食になったことで多少の健康を害す人はいるだろうし、必ずしもいい面ばっかりじゃないだろうと思うので、何が自分に合っているのかを自分の体と心に聞きながらゆっくりすすめていけたらと思っている。

何かを口に入れ、それを飲み込む。ただ単純なことだけど、それが自分の体と心に作用し、自分の肌を薄く覆うものを色づけ、そしてその外側にあるものに反映する。その口に入れた何かは一体何なのか、どんな旅をしてきたのか、誰から託されたものなのか、そういうものがすべて自分の内と外の境界に溶け込む。もう一度この感覚を大事にしてみたい。

 

で、生活をし始めたわけだけど。もともと野菜やら豆やらは大好物だし、そういうものでいろいろ料理を作るのがやってみるとハマるというか、楽しいのだ。もともとハーブやらスパイス好きというのもあって、料理をするのが楽で楽しい。ベジタリアンになったからといって、食い意地は相変わらず張っている。もともと白砂糖は使っていなかったけれど、使う糖類も変えてお菓子なんかを作ってみると、あら不思議、今まで前職場のストレスでチョコレート中毒だったのが、さらりとなくなった。っていうかこれは仕事を止めてストレスがないからかもしれないけどw


この2年間くらいで、今まで当たり前だと信じて、というかハナから疑いもしなかったことが、実はまったく当たり前ではなく、それが当たり前だと知らず知らずのうちに信じ込んでいた、という事実を知ることが次々とでてきた。当たり前だと信じられていることは誰かの考えなだけで、自分の考えではない。いろんなことを鵜呑みにするのではなく、一回自分で考えてみる。疑ってみる。感じ直してみる。わたしには肉も魚もTVも必要じゃないし、きっといつでもどこでも人とネット上でつながったりワンプッシュで誰かと話したりすることも本当は必要ではないだろうと思っている。あんなに昔はドラキュラ?というかこうもり?みたいな生活をしていたけれど、今はアルコールも時々人と楽しむ程度でいいし、あんなに高いお洋服もとくにそんなに必要ではない。だからといって、ベジタリアンになったから、何も山奥の千人のような生活をするわけではない。ヒールを履いてお洒落をしたり、人とご飯を食べに行ったりすることが好きなのはなんにも変わらない。浮世離れをしたいのではなく、今の生活で少し世界との関わり方を変えてみるだけだ。でもくれぐれもBoBoにだけはならないように気をつけようww

それにしても、自分自身で世界の彩りを選ぶということは、なんてわくわくすることなのだろうか...体の感覚と心の音と周りの世界を大事にすればいい。ただただそれだけのこと♡


最近はまっているロースウィーツづくり
 

2015年3月4日水曜日

ナルシズムロマンチシズム、快楽のティラミス

もうすぐここ、福岡を離れる。2010年の11月末からだから、4年と少し。いろんなことをこの街でしたなと思う。サロン・デトワールのパーティイベントだとか、フランス語の教室だとか、離婚だとか。4年なんてあっという間で、短い間なのに濃密な時間だった。本当にいろんな人と知り合いになって、その中の何人かとは、ぐっと掘り下げて話ができるようになった。そしてここで出会った人と一緒に次の場所へ行くことを決めた。


で、 この間ふと思ったのだ。わたしはここでは、やっぱり初めから最後まで”外人”だったなあと。もちろんその”外人”の立ち位置を選択したのは自分だ。初めはとくに意識していたわけではなかったけれど、”あ、わたし外人なんだ”と気づいてからは、それを楽しむようになった。時々はここの人たちがグループになっている雰囲気をいいなあと思ったことはあったけれど、もともとわたしは子供の頃からグループの中に長くいることが苦手なので、やっぱりそれはあきらめて、外人でいることを楽しんだ。そんな風に居ると、本当にこの福岡の街は居心地がよく最高に住み易い場所だった。

で、そんな”外人”とぐっと仲良くしてくれるのは、同じ外人性質のタイプの人か、生粋の地の人にもかかわらず”外人”を追い求め、群れることが苦手な一種の変わり者(笑)のどちらか。この約4年の中でできたぐっといろんなことを掘り下げて話せる数少ない友人たちは、そうやってみると、このどちらかしかいないと気づいたのだ。

 
で、この変わり者の人たちを密かに観察してみると(笑)、全員ある種類の”かっこつけ”なのだと気づいた。ここが彼らの、多分わたしが一番気に入っているところであり、共通点だ。この人たち群れることが苦手なので、この”かっこつけ”というのは、もちろんひとりかっこつけ。周りの人たちにとってはどーでもいい、いわばちょっと神経症的なネクラかっこつけの種類。セレクトショップの店頭に立つ店員のようなばっちり決めたかっこつけの種類ではないし、あそこの人たち格好いいよね的なグループかっこいいでもない。その”かっこつけ”を不特定多数と共有する趣味は持っていない。時には恋人や近しい人にも見せたくない、言いたくない、バレたくない類の”かっこつけ”。これは、どこまで行ってもあくまでも”かっこつけ”なのであって、”隠れてする努力”というものでは決してない。(元来、この種の人たちは努力することを毛嫌いしている人も多い気がするw)

それは、脳内だけで完璧に味わえることが分かっているくせにちょっとだけ外に出したい、ちょっとだけ誰かと分かち合いたい、だけど誰にもコメントとかされたくない的なナルシズムとロマンチシズムが混じり合った突発的な涙みたいなもの。心の底からうっとりするためのもの。例えば恋人と使ったオモチャの電池は見えないところでそっと抜きたい、そんな類。ライブのステージで、曲と曲の間におもむろに香水を手首につける、そんな類。そんな類の”かっこつけ”。まあわたしはライブもしないし、オモチャも使わないけどw わたしたちはその”かっこつけ”がとてもひとりよがりで孤独であることを知っている。
お互いに”かっこつけ”を認め合い慰め合い馬鹿にし合う。恋人とは違う意味でロマンチックな夜を共有できる間柄。


この愛すべき”かっこつけ”の友人たちとは離れがたいけれど、それもまあしかたがない。あと1ヶ月と少しでここを発つ。またわたしは”外人”と呼ばれる場所で生きていくことになる。
ここで出会った友人たちとロマンチックな夜をまたどこかで過ごせたらいいなと思う。


そんな愛すべき友人の一人と夜、新ガエタノで食事。ここのティラミスが美味しすぎた。とろりと溶けたりカリカリしたりぐんにゃりしたりと欲張りなのだ。あまりの美味しさにわたしとその友人はふたりとも瞬時に、分け合うことを拒否し、丸々一個を独り占めしたくなり過ぎてもうひとつお代わりした。快楽はどこまでいってもエゴイスティックだ。
それにしてもあのティラミス、あともう1回は最低でも食べたいので、センチメンタルになるのはさくっと止めて、福岡にはまだあと1ヶ月居れるんだと、貪欲に過ごすことにする。そうしたらまたあのティラミスを食べることができる。



イラストはセビリア生まれのアーティスト Adara Sánchez Auguiano
http://adarasanchez.tumblr.com/




2015年2月27日金曜日

あの夜から手のひらに在る石

白を纏った男がゆっくりと舞い始め、薄いブルーを纏った女が軽やかに周りを舞う。動きは徐々に重さと厚みを増し、体は絡み合い、地を踏み、空間を動かす。背景の老松だけが静を保つ。
二人の姿がなくなり、空間を舞っていた細かな動きの分子がゆっくりと綿埃のように底に落ち着く。場は静寂を取り戻す。そしてセロの音がその静寂に静かに切れ目を入れ、ゆっくりと時空が歪む。戯曲の幕開け。


その夜、レオナルド・ダ・ヴィンチが現れると聞きつけ、わたしと恋人はその場所にはぜひ立ち会わなければと、会場に出向いた。日本海の風が一日中吹き付け、春分の日なんてそんなこと言うから少し春の陽気を期待してしまうじゃないか、本当に温かくなんてなるのだろうかと気持ちが頑なになりそうな、「もう寒いの飽きた」なんてごちる、そんな気温の低い日が続いた週の週末、金曜日の夜。
特別な用でもない限り、こんな寒い日に大濠公園に来ることないよねなんて言いながら、駐車場に車を停めて、コートのボタンを上まできっちり留めて、マフラーをぐるぐる巻きにして歩き出す。いつもの入り口から歩き出すと、黒く光る池と、等間隔でジョギングコースに立つオレンジ色の灯りがとても綺麗で、思ったよりも冬の夜の公園を散歩する人が多いことに驚きながら、寒さも気にならなくなりふたりで高揚した気分を楽しみながら会場へ向かった。
その夜の会場は公園の中にある能楽堂。もちろんいつもは能が演じられる場所。能楽堂に入るのは初めてだった。わたしたちにはめずらしく遅刻せず、というか開場時間の10分前くらいには到着した(!)にもかかわらず、すでに長い列が作られていた。久しぶりに会うイタリア会館の館長ファミリーに挨拶をし、列に並ぶ。来ている人たちの年齢層は少し高めで皆落ち着いていたが、今夜何が起こるのだろうかという少し子供のようにはしゃぎたいような雰囲気を皆隠せずにいるのが感じとれた。白檀の香りが鼻先をかすめる。


空気の中にセロの音色が吸い込まれ、会場は再び静寂に包まれた。ゆっくりと幕口から、少し猫背の年老いた男が静かに橋掛けリを歩いてくる。黒いベレー帽に青白い顔、銀色に光る豊かな長い髭、白いブラウスの上に纏う黒いスモック、細い二本の足、そして白足袋。ゆっくりとレオナルド・ダ・ヴィンチとの対話が始まる。

絵画と詩について、絵画と音楽、彫刻、科学との関わり、彼が何に基づいて表現をしているか、彼の分析のもととなるものは、水について、愛とは何か、魂とは...etc
ゆっくりと紡ぎだされる彼のイタリア語は時間と空間を超えてわたしたちの耳に届く。
「白貂を抱く貴婦人」のこと、「ウィトルィウス的人体図」 のこと、「最後の晩餐」に描かれた十二使徒の動きのこと、
そして― 「モナリザ」のモデルとは一体誰なのか。

彼は背を向け立ち去る。一瞬立ち止まり振り返ったときの彼の眼差しは、空間にぎっしりと配列されたすべての言葉を集約し、問いへの答えを語った。その彼の 後ろ姿と眼差しの光は、ひっそりと光を放つ小さな石のように確固たる重さと存在感を持ってわたしの内にかたちを残した。そして彼は姿を消した。


最近”表現すること”についてずっと考えていた。対象やその方法、衝動や欲望。―その行為と引き換えにわたしは乞食になれるか―
その一連のことにつながりそうなものが、その夜にはあった。

時間の境目にそびえ立つその壁画。朝早くやってきて、彼は壁の前に立つ。何時間も立ったまま。そしてひと塗りを足す。そして壁の前からゆっくり立ち去る。その一連の光景を観察する。わたしの眼にレオナルド・ダ・ヴィンのその後ろ姿の残像がありありと映しだされる。

あの夜からあの光る石がわたしの手の中に在る。


ESSERE LEONARDO DA VINCI われ、レオナルド 福岡公演
白足袋のレオナルド・ダヴィンチへ




2015年2月18日水曜日

冬の裾の色

恋人が気に入った万年筆のツルンとした柄は北斎の波の色に似ている。
灰色のコートの二番目のボタンはほつれた時にちょうどいい色がなかったから引き出しにあった糸で留めた。そのちぐはぐな糸は、実家の近くの酒屋の主人がつけていたエプロンの色と同じだ。

そのセーターが気に入っている理由は、蝋燭を点けたとき下の方で揺れる炎の輪郭と同じ色だから。何重にも織り込まれた絹糸のようなヴァイオリンの旋律が響く夜に似合うから。
シリウスがもうすぐ一番美しく見える夜がくる。太陽よりも熱い星の色。


窓を開ける。南国のリゾート地で食べる薄いアイスブルーのかき氷のグラデーションに似た透明に近い空。ピキンっとこめかみの上が引っ張られて、耳の上の方までキュッと冷たくなるような朝。記憶の中の限りなく透明に近い祈りの音色がその日を揺らし始める。

わたしは恋人に青色の言葉を伝えた。







2015年1月16日金曜日

ポンヌフからBoBoまで

わたしには映画を選ぶセンスがあまりない。というのも、わたしが見てみたい!と思う映画はたいてい、全部が全部ではないけれど90%くらいでハズレなのだ。映画と言っても最近はほとんど映画館でなくて、ツタヤに行ってDVDを借りて家で恋人と一緒に見ることが多い。彼はいつのまにそんなに見たのかというほどよく映画を見ているので、だいたいこれよかったよ的なおすすめ映画を一緒に借りて見ることがほとんど。たまには君が選んでよと過去何回か言われ、わたしが見てみたいと思ったものを選び、そしてその結果...今までほぼ失敗している。
前々回は”クロワッサンで朝食を”で失敗した。それの前は”ビフォア ミッドナイト”。これは至上最悪だった。前作(ビフォア サンセット)が好き過ぎただけに落ち込み度ときたらなかった。
というわけで、彼とふたりで、もう今後はわたしは映画を選ばないことにしようと決めた。
はずだったのだけど、なぜかその記憶がふたりとも抜け落ちていて、うっかりこの間、また選んでしまった。20代の頃からずっと見たいと思っていたけれどなんとなく見る機会を失っていた”ポンヌフの恋人”。


わたしはParisの街並みが大好きなので、Parisが舞台になっている映画はあの街並みが見れるはず!なんて単純に、あらすじなんて読まずにそれだけで選んでしまうことが多い。まあParisが舞台のものじゃなくても、わたしはあんまりあらすじを読んだりせずに、ジャケットデザインとか、色合いとか、雑誌の評判とか、好きな女優が出てるとか、そういうのだけで選んでしまう。根本的にそれが失敗の理由だと最近はうすうす感づいてきた。

で、ポンヌフの恋人。期待が大きかっただけに、がっくりだった。何のためにあの二人の境遇を主人公に置いたのか、置かなければならなかったのか全くもってわからなかった。別に乞食でなくたって、失明の危機になくたってよかったのではないか。そんな境遇じゃなくても、あれほどエゴだらけの人たちはごまんといるはずだ。最初から最後まで、一切の感情移入ができなかった。ただ単にそういう境遇や退廃的な雰囲気で、”ちょっとアーティスティック”な感じを作り出したかったのではないかとそんな風に感じた。このちょっとアーティスティックってのが、あの”○○臭い”に通じるわたしの苦手な胡散臭さが漂うので、わたしは拒否反応を起こしてしまう。(詳しくはこちらへ)そしてそこからつながる”お洒落臭い感じ”がいやなのだ。つまり、スノビッシュ、いわゆるわたしが苦手とする"BoBo" (ボボ)なのだ。わたしの恋人はフランス人なので、"BoBo" に関しては彼の方がもちろん目ざとい。わたしたちはこの"BoBo"が苦手なのである。


一体"BoBo"とは何かと言うと...

まずはちょっと日本のサイトに紹介されていたページから引用
”パリでオーガニックなライフスタイルを送り、おしゃれリーダーとして知られているのが「BOBO(ボボ:ブルジョワ・ボヘミアンの略)」と呼ばれる人たち。裕福な家庭でしっかりとした教養を受けて育ち、ファッション関係やメディアなど、憧れの仕事に就き活躍しています。
でも、その暮らしぶりはいたってナチュラル。高級ブランドに囲まれたラグジュアリーな生活よりも、自分の時間を大切にしたリラックス重視の暮らしを送り、都会にいながらオーガニックや身体に良いものを、ごく自然に取り入れています。”
 引用:http://www.ilyfunet.com/ovni/actualites/couv/530_quartier.html

次に日本のファッション雑誌のパリ特集の見出から引用
”ボボとは、ブルジョワ・ボヘミアンの略。クラシックな左岸を避け、右岸の新しいエリアで、ヌーヴォーシックなファミリーライフを楽しんでいる彼・彼女たちの日常をリポート。”
”ブルジョワ・ボヘミアンのイニシャルをとってボボと呼ばれる種族について、彼女はこう説明してくれた。もちろん自分もボボであると認識する。
「ボボって6区や16区あたりのブルジョワ家庭の出身者なのよ。しっかりとした教育を受け、どちらかというとカトリック。大人になった彼らがミックスカルチャーを求めて、パリの庶民的な地区で暮らすようになって......」”

もうこの文章、書いてるだけでいやだ(笑) ”ヌーヴォーシックってなんやねん(笑)”どちらかというとカトリック”ってなんやねん(笑)ちなみにページタイトルは「新おしゃれ種族、9区10区のボボたちとは?」
つまり、日本人にとって”BoBo”とは”憧れのお洒落な人たち”なのである。


わたしがParisに住んでいた時、この "BoBo"というのは、フランス人は批判的な言葉としてみんな使っていたので、あんまり人を褒める時に使う単語ではないと認識していた。 (というか、今もそう思っている。)みんなこの言葉を耳にすると、鼻で笑うか苦笑いしてするような、「BoBoねえ~、まったくねえ...」そんな感じ。
"BoBo"はbourgeois-bohemeの略語で、ボヘミアン的なブルジョワということになる。ブルジョワ階級だけど、保守的な右翼とは違った、左翼的な思想を持った人たちのことをいうらしい。
Parisでいうと、30代、40代で、自由業に就いている裕福な階層。でも、7区、16区な どの閑静で治安がいいだけが取り柄の高級住宅街には住みたがらず、移民が多く住む10区、11区、20区などにある工場などを買い取って、広々とした超モダンな住宅に改造して住みついている。
問題は、"BoBo"が進出するにつれて、Paris東北部の地価が高騰し、家賃は上がり、移民を初めとする貧しい人たちや職人たちは、ますます郊外に追いやられ ているという状況。そのうえ、BoBoたちがせっかく”開拓した”地区に、低家賃住宅などの建設計画が出たりすると、真っ先に反対するのも彼らだという。

”Parisを車で移動なんて環境に悪いし古臭いわ、もっぱら移動は自転車なの、べべ(赤ちゃん)はベビーカーにのせて散歩するのよ。彼女のこの靴下?あら、やっぱり分かる?これボン・ポワン(高級子供服店)の今シーズンものなのよ。え?わたしのこのデニム?蚤の市で買ったの、安物のリーヴァイス。でもねトップスはクロエの今シーズンのもの。わたし堅苦しいのって大嫌い、仕事もほら、クリエイティブだし、時間は自由に使わきゃ。今日は夫と20区の行き着けのタイ料理屋でディナーなの。でも、ねえ聞いて、最近憂鬱なのよ。だって、これ以上世界の環境破壊が進むことってあるのかしら?小さなことから始めれたらって思って、コットンは全部オーガニックコットンを使うようにしてるの。同性愛婚?もちろん賛成よ、愛に性別の差別なんてするべきじゃないわ。”
↑わたしの中の妄想BoBo(笑)

わたしたちお金持ちライフになんて興味ないの、もっと庶民に近い感覚で人生を楽しんで、人助けもしたいの的な、なんて言うんだろうか...
きっと素敵なライフなんだろうと思うけれど、この手の人たちというのは、本質を見極めようとはせず、もちろんわかっていないだけに始末が悪い。何もフランスだけじゃなくたって、こういう人たちというのは日本にもいる。ただし、日本ではセレブに近い人はいても、ブルジョアと呼べるほどの富裕層も上流階級もほとんどいないので、"BoBo"とは呼べないのかもしれない。だけど、その考え方だけで十分なので、わたしと彼はふたりで、あの人"BoBo"だね、なんて言ったりしている...ww

 
というわけで、ポンヌフの恋人はわたしにとって、 "BoBo"的映画だった。なんかいかにも日本のお洒落芸能人が好きそうだと思った。橋の上で二人で踊る愛のダンス(笑)はもちろんコンテンポラリーなわけで、なぜそこにクラシックではなくコンテンポラリーダンスが必要なのか、そもそもコンテンポラリーダンスという芸術の意味を理解した上でなのか、そういうところがなんとなく気になった。たいていの場合、映画のストーリーよりも、画面の色彩の美しさとか、カットの美しさとかそういうところにわたしは結構惹かれたりするのだけど、それもひとつのカットを覗いては、残念ながらパッとはしなかった。ジュリエット・ビノシュが好きなだけに、がっくりした。←きっと、こういうミーハーなので、映画選びを失敗するのだ。


先週Parisで起こった、シャルリー・エブドの事件。わたしも、何があっても暴力には断固反対だし、表現の自由は守るべきだと思う。だけど、それがイコール、”Je suis Charlie(わたしはシャルリー)”ということではない、と思う。わたしはシャルリー・エブドではないし、彼らと共有するものは持っていない。かなり下品で下劣な風刺表現が多い新聞で、わたしはどんなに暴力に反対で表現の自由を尊重したいと思っていても、あの新聞を買うことへのイコールにはならない。読みたいとも思わないからだ。福島の野菜を買うのと同じこと。本当に必要なのはそこじゃないはずだ。

あらま、今回はなんとも批判的な感じになってしまったー
それもこれもわたしの映画選びの自信喪失からくるやさぐれなのです♡
というわけで、わたしは映画を選ぶ担当からは完璧に外されました。








2015年1月8日木曜日

それから、旅の始まり

あのショコラを口にした瞬間から旅の扉が開かれた。

その扉から続く道を進むと、雨が降ってきた。どこからともなくびゅうと風が吹き、雨はいっそう激しくなった。体が塗れてどんどん体温が奪われていく。早く雨がやみますようにと祈りながら歩いた。それでも風は止まず、次第に雨は雪に変わっていった。雪はわたしの肩にどんどん積もっていく。体は芯まで冷え、手や足の指の感覚はなくなった。辺りは真っ白で、空と空気と地面の境がなくなっていた。わたしは祈ることをやめた。その代わりに、目を閉じ吹きつける風の音を受け入れ、体に雪を纏う(まとう)感覚を持って歩くことにした。
しばらくそのまま黙々と道を進んだ。少しずつ雪はゆっくりとわたしの体温で溶け始めた。いつのまにか風は止み、気がつくと空が晴れていた。少しずつ手の感覚が戻り、踏み出す足の感覚も戻ってきた。
気がつくと隣に恋人がいた。手をつなぎ、ふたりで道を進んだ。つないだ方の手が徐々に暖かくなってきた。ふたりともぎゅっとつなぎあっていたので、手は熱を帯び、とても熱くなった。熱すぎてつないでいられなくなって、手を離した。すると、離したわたしの手の平に何か、こそばいようなごにょにょとした感触を覚えた。手の平を掻いたり、手を何度か閉じたり開いたりを繰り返した。そしてもう一度ゆっくりと閉じてその後にそっと手を開くと、手の中に銀色にきらりと光る指輪が入っていた。驚いて思わず彼の顔をみると、小さな子供のようなそれでいてお爺さんのようななんともいえない顔で嬉しそうににやりと笑った。細かな細工が施された細い指輪で、指にはめるとぴったりのサイズだった。あまりにもその細工が綺麗だったのでわたしは指輪をはめてしばらくの間はめた指に見とれてしまっていた。


ごそごそという音がするので顔をあげると、目の前にきらきらとまぶしく光る2メートルほどの高い壁が現れていた。よく見ると土でできた壁には色とりどりのガラスがびっしりと全面に飾りつけられている。ガラスに光が反射して色とりどりに光っているのだった。音のする方へ壁を伝ってあるくと、壁は曲がり角になり、どうやらそれは大きな正方形の箱になっているようだった。その箱は、これから歩く道の真ん中にどんと置かれている。上の方でごそごそと音がするので見上げると、彼がその箱の壁をよじ登り、箱の中に入ろうとしている。なんとかして彼はその箱の壁の頂上に立った。ずらすように開閉するのか、箱のふたが少しだけずれて、中が開いているようだった。取り残されてはいけないと、急いでわたしもよじ登ろうとすると、頂上に立った彼が「君はちゃんと道を歩いて来ないとだめだよ。僕は先に行って待ってるからね。」と言って微笑むと、箱の中に入り、そのまま箱のふたを中からずりずりと閉めた。ふたが閉まった途端、その箱は小さくなり、最後はピンクの煙をふわりと残して消えた。足元を見ると、道も消えていた。
わたしの周りには何も無かった。何もないところにわたしはただただ立っていた。どうしようもない淋しさがこみ上げてきて、目から涙がぼたりと落ちた。涙は地面に落ちるとすぐにジュワっと蒸発した。あまりにも大きな涙の粒だったので、わたしは両手を受け皿のようにしてそれを受けた。涙が指にはめた指輪の上にぼたりと落ち、その瞬間指輪は蒸発し、指輪の施されていた細工の柄だけがそのまま指に跡のように刻印された。
目を閉じてみた。さっきの箱と同じ色とりどりの光がまばゆく光っている。手を開き、目を閉じたまま刻印をその光にかざしてみる。確かにある。指輪はわたしの体の一部になっている。その光を集めて道を作ってみる。足を踏み出す。大丈夫、進める。



空想なのか夢なのか。幻想なのか現実なのか。
わたしが体験していること。

何かを見つけた人へ。何もかも見失った気分になっている人へ。
何かを探している人へ。旅の途中の人へ。








2015年1月1日木曜日

魅惑のショコラ、旅の鍵

「これあげる。すっごく強いから気をつけてね。子供とかは強すぎて食べられないから。」 その女性からわたしは一粒の丸いショコラを受け取った。ポンと手の平にのせられたそのショコラはアルミホイルで丸く包まれていた。最近知り合いになったばかりのその素敵な女性はわたしにそのショコラを手渡すと、くるりと向きを変えて行ってしまったので、いったい”強い”ってなんのことなんだろうかと気になったが、聞くタイミングを逃してしまった。とりあえずショコラを鞄の中にそっと仕舞い込んだ。


その日は音楽のイベントで恋人と一緒に参加していた。イベントの終盤くらいでわたしは高揚した場所の雰囲気に少しのみこまれてしまったのか、少し気分が落ち着かなくなった。わたしの少し不安定な様子に恋人が気づき、何か温かい飲み物を持ってきてあげると言ってドリンクバーにたった。わたしは彼を待つ間、気持ちが落ち着くようにじっと座っていたが、ふとショコラのことを思い出し、鞄の中から取り出した。彼が戻ってきたので、「これ、さっきの女の人がくれたの。ショコラ。なんだかわからないけど、すごく強いらしい。食べてみる?」と聞いて、ふたりでそれを齧って食べた。黒胡椒が入っているのか、どこかピリッとして、ビターショコラにスパイスが効いた風味はわたしの好きな味だった。それは彼が持ってきてくれたカルダモンの温かいチャイにとてもよく合った。美味しいねこれ、なんて言いあっているうちに、気持ちがずいぶんと落ち着いた。


面白いな~と思う。何かを口に入れ、それを飲み込む。ただ単純なことだけど、それが自分の体と心に作用し、自分の肌を薄く覆うものを色づけ、そしてその外側にあるものに反映する。その口に入れた何かは一体何なのか、どんな旅をしてきたのか、誰から託されたものなのか、そういうものがすべて自分の内と外の境界に溶け込む。

ちなみにその強いワケは、マカがたくさん入っていたから。媚薬入りのそのショコラは、わたしにとって新しい旅の始まりのキーアイテムだった。そういう鍵をわたしに渡すのは、なぜかいつも決まって素敵な女性たちなのだ。


そうこうしているうちに、あっという間に年を越してしまった。2014年は、生活をすることと芸術に関すること、身体のことと宇宙のこと、男と女の関係と子供が大人になること、食べることと選択すること、癒すことと癒し合うこと、いろんなことを再発見したいい一年だった。それらは何か魔法が働いているかのようにひとつずつ浮かびあがりつながりを見せ始めている。そして、女であるということの感覚もまた違う色合いが加わって、自分の中で変化している。

月の香りを感じたり、黒色の官能を選んだり、揺れるスカートで現実を少し覆って、ひとりにやりと匂いに潜む秘密の記憶を楽しむ。言い訳の赤は太い指でぬぐってもらう。お湯の中に体を沈めて、耳までそっと入れる。目を閉じる。滲む色を味わう。揺らぐリズムに身を委ねる。


そして、わたしは今年もやっぱり、きらきらと楽しんでいる女性たちに魅かれるのだろう。その愛らしい人たちに、温かい腕を差し出す男の人には ”がんばってね~”とおせっかいのエールを送ることも忘れないでおこう。

皆さん、2015年も彩り豊かな素敵な日々を。