2014年12月11日木曜日

味覚のフェチズム

わたしはなぜかよくわからないけれど、10代の頃から香味(?)が気になって気になってしょうがなくて、高校卒業したあたりから、シナモンから始まり、コリアンダー、カルダモン、バジル、オレガノ、アニス、クミン、ローズマリー、ナツメグ、タイム、セージ、etc... スパイスとかハーブとかの味にどっぷりはまって、きゃつらの虜になってしまって、今に至る。今はもはや自分で料理を作る時に、使わないほうが不自然になっている。おそらく、そういう味覚のフェチなんだろう。

そもそも人の味覚の趣味って何きっかけで、いつ形成されるのだろうか?


祖母のきんぴらごぼうとか、筑前煮とか今でも大好物で、いたって普通の日本家庭料理で育ってきている。今でも和の味は大好きで、納豆と、祖母の作った塩昆布で米を食べている。
だけど、何か適当に自分だけの晩御飯とか、好きに作る料理なると、その時食べたいものを炒めたり蒸したりして、例えばクミンと塩・胡椒で味付けをする。クミンさえあれば万事OK!と言っても過言ではない。

で、例えば、まだあんまり仲良くないくらいの人と普段作る料理の話とかになって、よく、「えー、オレガノ?ローズマリー?お洒落ー!」とか言われて、心の中で、あー、お洒落とか、そういう領域の話じゃないんだな~、あらま、ちょっぴりめんどうくさいわ、オムライスしか作らないって言っときゃよかった的な感じになる。わたしの中ではオレガノもわさびも同じくらい、もう本当に普通の、そして必要な味覚なのだ。
好きになった強烈的なきっかけとかも、おそらくない。ただただ自分にとっては自然な味覚で、もともと塩辛いのが極端に苦手なので、どちらかというと醤油とかがちょっと苦手だったりする。モチモチした食感が苦手なので、お餅も、白米もあんまり好きじゃない。

で、そんなんだから、過去の彼氏たちに料理なんか作る時、せっせこそういうスパイスだのハーブだのを使った料理を作ってたんだけど、あんまり喜ばれた記憶がなかった。日本人男子は和食が好きなのだ。(当たり前か。)それで、和食が食べたいといわれるので、それじゃあ作りましょかって作ってきたんだけど、途中で気づいたのだ。和食、食べるのは大好きだけど、自分で作るのはそんなに好きじゃないってことに(笑)。和食特有の絶妙な味加減のむずかしさとか慣れの問題ももちろんあるんだけど、なぜか自分の中でしっくりこない何かがあったのだ。

で、うすうす感づいていたものの、20代後半くらいで、遅ればせながら気づいた。
”もしかしたら、わたし...味覚の趣味が変わってるのかもしれない”
...


でも、不思議なことに、結局は味覚の合う人が周りに集まる。そして一緒にいるので、どんどん助長し合ってますます突き進んでいくのだ(笑)
恋人はフランス人なので、もともとがハーブとかスパイスの味覚の国で育っている人。だからわたしの味覚を「変」だとはとらえずにいてくれている。そうなると、料理をするのが楽しいのだ。
わたしの親友は、何故かカレーが大好きで、彼女がひとり暮らしの頃はほぼカレーしか作っていなかった。スパイスからカレーを作ることが本気すぎて、そして彼女の作るカレーが美味しすぎて、カレー屋をしろと色んな人から言われている。彼女の作るダルのカレーとか、辛くて美味しすぎてもう、食べた人みんな虜になっている。本当に彼女が店をしたら流行るんじゃないかと思う。

うまいことできている。変なやつにはそれに合った人に出会うのだ(笑)。

結局のところ、食べるものが自分の心と体を作っている、と思うので、「食べること」は大事にしたいし、一緒にいる人とは「味わうこと」を大切にしたいと思う。


最近「食べること」に対していろいろまた考え始めている。何を食べるのか?何を食べないのか?当たり前のように目の前に差し出されるものは、果たして自分にとって本当に必要なものなのか?それとも本当は必要でないのではないか?本当に好きなのか?それとも、好きだと思っているだけなのではないか?
食べ物に限ったことでない。疑問を持って自分で答えを探すことが必要だと思う。ストイックになり過ぎる必要はないと思うけれど、麻痺されて思考がぶよぶよになったまんまはよくない。本当の意味で”気持ちのいいこと”を自分で探すことが大事だと思う。
 
で、30代にも慣れてきた最近は、自分の「変さ」を正面から認めて、開き直りながら、こんなわたしと一緒にいてくれてありがとう、と周りの人たちに感謝している♡


あ~、でもこんなに寒い日はおでんが食べたい!

好物セット


2014年12月4日木曜日

Paris 私的回想録 - 完璧なメトロの降り方-

黄色のMの看板が目印。Parisの街ではその看板の下に地下への穴が開いている。階段を降りる。とたんに、洗剤と尿と何かシミックな花の香りを混ぜたような、酸の効いたそれでいて甘ったるい独特の匂いが鼻をつく。切れかけた蛍光灯のギリギリと鳴る音。半分剥がれた両側のポスターの間を歩く。改札のランプの上にカードパスをかざす。ひと気の少ない構内にビーと機会音が響く。ホームへの階段を小走りで降りる。ホームの電光掲示板を見上げる。あと何分でこの駅にメトロが到着するかの数字が目に入る。とにかくこの数字ほどあてにならないものはない。
車体がホームに到着する。もちろんアナウンスなどない。鉛色のハンドルに手をかけ扉を開ける。勢いよく扉が開く。
メトロの中に足を踏み入れると、今度は体臭と埃を交ぜた匂いに包まれる。席が二つずつ向かい合うボックス型の四つ席の通路側に座った。
隣には黒人の若い20代前半くらいの男が座っている。チャコールグレーのパーカーと黒いジーンズ。ジーンズはもう何年も履き続けているのだろう、色落ちしてパーカーと同じような暗いグレーになっている。その向かいには鮮やかなスカーフを頭に巻いたお尻の大きな50代くらいの黒人の女が座っていた。
一駅ほど過ぎた頃、女が自分の手提げ鞄からちり紙を取り出して、向かいの若い男に手渡した。男の方を見ると唇が乾燥して血が出ていた。男の肌の色もパーカーもジーンズも墨色のグラデーションだったので、その血の赤は男に似合っていた。
男は「Merci. ありがとう。」とぼそりと言い、ちり紙を受け取って唇の血を拭い取った。「De rien. どういたしまして。」とスカーフの女は小さくウィンクをし、お尻を揺らし次の駅に着いて車内から降りて行った。若い男は下を向いたまま、血のついたちり紙をジーンズのポケットに仕舞い込んだ。


その日の帰り、また四つ席の通路側に座っていた。白いマフラーを巻いた5歳くらいの金髪の女の子とその母親が乗ってきて、向かい側に座った。女の子が母親に何か耳打ちをすると、母親が笑って鞄からビスケットの袋を取り出し渡した。女の子は袋を自分で破き、チョコレートでコーティングされた四角いビスケットを食べ始めた。
ひと駅過ぎた頃、突然その女の子が口に手をあてえづきだした。そして、見る見るうちに首に巻いた白いマフラーの上にはどろどろチョコレートが流れ込み、ハンカチを出す余裕がなかった彼女の母親はもう仕方ないとばかりに、その白いマフラーで女の子の口を必死にぬぐった。女の子の白い頬も母親の白い手もチョコレートまみれになっている。

ここ。ここの瞬間で。鞄からちり紙を出す。そしてさっと手渡す。
ウィンクをして、席を立つ。ちょうど目的の駅に着く。鉛色のハンドルに手をかけ扉を開ける。列車が完全に止まる少し前、リズミカルにトンとホームに降りる。

これができたら、もうParisのメトロは完璧。