2016年10月5日水曜日

Marking in Paris3

>>>前回からの続き

ラスパイユのビオマルシェに行こうと思いついたのが遅すぎて、着いたらすでに終わっていたので、しかたなく周りをあてもなくふらふら歩いていた。すると偶然近くの道沿いに蚤の市が立っていて、そのまま物色する。


面白かったのはこの界隈はボンマルシェがすぐそばにある高級界隈で、面白かったのは蚤の市で出している人の大半が高級マダム、売り物もルブタンだのボンポワンだのと蚤の市にだす?!という品揃え。接客も、「これボンマルシェの2階で買ったのよ。」と独特(笑)「これサイズ何ですか?」と聞いたマドモワゼルに「バレンシアガの38」とつっけんどんに返していたマダムの店もあった。バレンシアガのサイズ感知っている人しか買わないで的接客なのだろうかと内心笑いが止まらなかった。物欲の塊だった昔のわたしなら、帰りの荷物は倍以上に膨らんでいただろうな、なんて苦笑。


店番のマダムたちのコーディネートも素敵な人がたくさいいた。写真を撮らせてもらう。ちょうど開催中のミラノコレクションには行けなかったので、ここで欲求不満解消w


もちろんちらほら普通の蚤の市も出ている。極端に盗品ばっかりを売っているんじゃなかろうかと思うような店もあったりしてなかなか他では味わえない独特の蚤の市で面白かった。

前に住んでいた界隈を久しぶりに散歩。ここからも実はエッフェル搭が見えるスポットがある。



ニースに住む友人、イタリア人のヴェロニカからSMSが届く。
「パリはどう?コートダジュールブルーが恋しくなってるんじゃない?」
返信:海で泳ぐ本物の魚が恋しいよ。
偶然見つけて入った可愛いインテリア店の魚の壁飾りの写真付きでメールを返信する。


次回へ続く




Marking in Paris 2

>>>前回からの続き

有給をとってわたしのParis散歩に付き合ってくれた親友。メトロの地図はほとんど頭に入っているし、わたしの大好きな9区も11区もすでに住んでいたのでさくさくと道がわかる。彼女とのParis散歩は地図もGoogle mapも必要ない。



パッサージュの何がいいって、光の入る具合で風景の色彩が変わるのが素敵だ。




パリの街はグルテンフリーのパティスリーがかなり増えていた。個人的には強いグルテンフリー信仰はないけれど(ただし安心できる小麦粉に限る)、小麦粉を使わないでこれだけ美味しいって、いろんな可能性が広がって楽しい。




この日二人して行きたかったのはローフードレストラン。とにかく繊細で洗練された味に親友も仕事を休んでよかったと納得w


夜は夜で女友達3人でSoirée de filles(女子会)。やっぱり気の置けない女友達というのは本当に居心地がいいもので、話題はつきない。目の前に出されたすごく美味しいきのこのソテーに舌鼓を打ちながら、恋人の友人カップルが極端に人種差別主義者で彼らとのディナーがどれだけ苦痛だったかやら、その女性の方のメイクがすごい(酷い)ことやら、彼女たちふたりともが習っている生け花教室の先生たちの確執やら、BOBOの悪口やら、結局話題はどうでもいいことだらけなのだけど、ワインがすすむ。ふたりして昼間は結構固い仕事をしているくせに(?)まったく真面目じゃない。なぜだかこのふたりのフランス語は頭にすいすいと入ってくる。ワインのせいか...

>>>Marking in Paris3へ続く




Marking in Paris1

>>>前回からの続き

ぽっかりと空いた扉の向こうに広がるインド。

  



 友人を待つ間、時間潰しに入ったカフェは思いがけずとても、とても好みだった。



最近わたしが散策するのが好きなのは20区。だいたい20区を散歩していたら、道に迷うのでそのあとの友達との約束の時間に間に合わないw



お気に入りのブルックリンを思い出す本屋。アートの本が専門だけど、絵本コーナーもあるので、親子で楽しんでいる人たちもたくさん。



今までは何かというと11区好きだったけれど、今回9区の面白さを再発見。何かと言うと9区を歩いていた気がする。


古着屋のお姉さんと気が合ってついつい長いして、ついつい荷物が増えるw


コートダジュールブルーには比にならないけれど、それでも傘の出番は一度もなくずっと青空が広がっていた。


>>>Marking in Paris2へ続く



気がついたらパリ、メトロの構内

ニースに帰ってきてから丸2日間、泥のように眠った。開けようとしても開けようとしても瞼はきっぱりと閉幕を決めた緞帳(どんちょう)のように重く、重くとじる。15時の南仏の太陽は容赦なく部屋の中に差し込んでくる。9月の終わりというのに、カーテンの隙間から強い日差しが入りこみ部屋の中に居ても日焼けをしてしまう。それでもどうしようもないほど体が重く、雨戸を閉めるのが億劫でバサリとベッドに倒れたその時のまま、太陽の光と時折吹き込む風の間でわたしは四六時中眠った。

ようやく目が覚める。なぜこんなにも眠ってしまったのだろう。今回パリから帰ってきてから同じ国なのに時差ボケか?と思うほど、体は重く頭は朦朧とし、眠ることしか考えられなかった。今までに海外旅行も何度か経験しているけれど、国をまたいでもそうそうへこたれない体なのに。こんなことは今回が初めてだった。
そしてもうひとつ、パリから帰ってきて変なこと。道を歩いていたり人と話していたりしているのにそれとは一切関係なしに、一瞬、友人や知り合いの顔が頭にはっきりとした鮮明な画像で浮かぶ。そしてその数分後、もしくは数時間後、その友人から連絡がくる、もしくは道でばったり会う。これをこの数日5、6回繰り返している。
パリから帰ったあとはいつも何か不思議なことが起こる。今度はパリでわたしの中に何が入りこんだのだろう。



気がついたらメトロの構内をずんずんと歩いていた。昔にもここに書いたことがあるけれど、わたしはパリに来る時、時空を超えたようなワープをしてしまう。今回もまたその感覚だった。もちろん、ニースから飛行機を乗って、CDGでバスに乗り換えて、という工程を踏んできた、はずだ。というのも、朝起きて家の近くのバス停からバスに乗り込んだあたりから記憶が曖昧で、そして、気付いたらパリ、メトロ、なのだ。なぜかここに来る時はいつもこう。ワープをする。ワープをした後は、それまでの曖昧さとはうってかわってやけに頭がすっきりし、目の前に広がるものがくっきりとよく見える。初めてのこの体験の時は、気付いたらオルセー美術館のサイの銅像の前。2回目はマレのカフェの前。そして今回は、気付いたらメトロの構内。ぼーっとした頭を抱えて階段を上がってみると、いつものようにやけに頭はすっきりし目の前に現れたのはオテルドヴィルの二匹のライオン、くっきりと浮かぶ二匹の輪郭を見た。


パリに住む親友のセリーヌには、一年間に2回もなんてちょっとパリに来すぎじゃない?なんて憎まれ口を叩かれる。それでも、当初はアパートをどこか借りるつもりだったわたしに、借りる必要なんてないと、滞在の丸一週間彼女の家のベッドを独り占めさせてくれた。

パリ滞在丸一週間、朝から晩まで歩きまわった。左岸の端からぐーっと右岸の端への移動を同じ日に何度も繰り返してみたり、反対に同じカルチエ(地区)の細かい路地を縫うように二日連続で少しずつ歩いてみたり、20区の端で迷子になったりと、自由気ままに気の向くまま、野良猫のマーキングのようにとにかく、とにかく歩いた。朝から女友達を呼び出してずっと喋り続けたり、親友のオフィスに遊びに行って仕事の邪魔をしたり、突然家に泊まりに行ったりと、歩いていない時は友人たちをわずらわせる。


パリに住むもうひとりの大切な友人、何から何までいろんなことを話し合うゾラは、パリから戻るといつも決まってわたしには何かしら状況などの大きな変化が起こるという不思議な出来事を知っているので、彼女は最後の別れ際わたしに言う。「今回はどんな変化があるのか楽しみだね。」


ニースの青い空とエメラルドグリーンの海との暮らしが本当に好きになっている。それでもやっぱりいつまでたってもパリの街の美しさにわたしはいつも魅了されている。美味しいものを食べたり話題の店に行ったり素敵な雑貨を買ったりと、そういう街遊びが好きということもあるのだけれど、本当をいうとそういうことはわたしの中でまったく一番ではない。実はそんなことがまったくなくてもいい。ただただ、わたしは惹き付け続けられている。パリの街全体の微妙な色彩が放つ不思議な磁場に。

>>>Marking in Paris1へ続く