2017年7月20日木曜日

剥き出しの感覚、光の隙間、海

無性に海が恋しくなる。朝起きて顔を洗い終わった瞬間から、「海の中に入ること」、それだけしか考えていない時がある。そんな時のわたしはいつもの寝起きの自分とは見違えるほど無駄のない動きで、心を散らさず一心に海に行く準備を整える。体をテキパキ動かしているけれど、頭も心ももうすでに水の中に半分潜っている。
ワンピースを脱ぎ、ビーチサンダルも脱ぎ、脇目も振らずまっしぐらに海岸に下りる。ザブザブと水の中を進む。そしてスルリと体を水の中に滑り込ませる。ヒヤリとした水に全身を撫でられていく感覚。ゆっくり、ゆっくりと前へ進む。横切る魚の群れを目で追う。水に体を同化させていく。そう、この。この瞬間。感情のもやもやが一瞬にして海の中に溶け出す。海に着くまでの道、歩きながらあれだけ止まらなかった思考のスパイラルも一瞬にしてスーっと消えていく。


フランスで個人事業主の申請手続きをし始めてからすでに2ヶ月半が経とうとしている。フランスに住み始め、想像もしなかったひょんなことからヴィーガンのスウィーツを作る仕事を始めることになり、本格的に事業として登録することになった。
半年ほど情報集めやら資格取得に時間を費やし、やっとこさ事業主としての申請手続きを始めたのが2ヶ月半前である。いやはやここはフランス。もちろんすいすいと物事が進むはずがなく、今になっても手続きは完全に終わっていない状態。

わたしの作るスウィーツは、動物性食品は一切使わず、卵も乳製品も使わず、そのうえ熱を加える調理をしない。法律&決まりごと王国のフランスで、わたしが作るこのヴィーガンローケーキはまだまだ”何やら正体不明のもの”。
それでなくてもこの国で手続き系をしようとするとうんざりするほどの時間と事柄が待ち構えているのだけど、それに加えて「新しいこと」に関してはその倍以上の時間とエネルギーがかかるのだ。手続きの担当者から、わたしの作るお菓子はこの地方ではわたしが初めて事業として登録するのだと聞き、なんでまた外国でこんなことに手を出したのだろうかと自嘲気味になった。疲れることこの上ない。振り回され過ぎて一週間以上寝込んだほど。ここでは書けない汚いフランス語を何度口にしたかわからないw とはいえ、完全に終わったと言えないけれど、とりあえず手続きはなんとか無事収束に向かっている。


落ち込んだ時、とっさにパリに住むフランス人の親友に電話をする。彼女と話すとパリ特有の皮肉を交えた会話感が戻ってくるので、シニカルな会話のやり取りを楽しんでいるうちに気持ちが少し楽になる。それからニースに住む仲のいい女友達にも話を聞いてもらう。結局こんな時にはいつもわたしは女友達が必要になる。自分のフランス語が上達すればするほど、彼女たちとの会話も深みと味わいが増す。これはわたしのフランス語への最大のモチベーションで、それなら、もう少し勉強しよう、という気になる。


みんな結構いい歳なのにキッズみたいな仲間たち

仲のいい男友達たちが働くカフェのキッチンに出向き、愚痴を聞いてもらい、音楽の話をして、オーブンから出て来たばっかりのフランボワーズのタルトをひときれぱくりと口に入れてもらう。

どっさりと色とりどりの有機トマトを買い込んで、どしどし切って大きなボウルに放り込む。バジルやミントなんかのその時あるハーブを手でちぎって、同じ店で買った独特の風味のシシリア産のオリーブオイルをかける。ただ、それだけ。左手にボウルを抱え、右手で持ったフォークでどんどん口に入れてゆく。トマトの色と甘みがどんどん体に入ってゆく。
そうこうするうちに、少しずつ元気が戻ってくる。



先日、自分の住んでいるアパート界隈の担当の郵便配達員の人と道端で小さな言い合いをした。相手があまりにも理不尽なことを言うので、詰め寄って文句を言った。その人が立ち去ったあとは、「まったく有り得んな、あいつ...」とため息をついたあと、ふと、なんだか笑いがこみ上げた。詰め寄って顔近づけて人に文句を言うことなんて、今まで日本ではしたことなかったなと思う。場面を客観的に想像したら、漫画みたいだw こんなこと深く考えもしないで行動するなんて、なんだかんだいって、この国の環境に体が馴染んできたのかもしれない。

知り合いのアーティストの倉庫を改装したアトリエ、がとても素敵

そして街のショーウィンドウに映った自分の姿を見て思わず立ち止まる。いったいわたしはナニジンになっていくのだろうか。
「え?!まだあやみちゃんここ来て二年も経ってへんの?!馴染みすぎやろー(笑)!」
なんて、つい二、三日前に同じ関西出身のニースに住む友人に笑われたばかりだ。いらだたされることは日常茶飯事、言葉にしようのない不甲斐なさや憤りを感じることも多いとはいえ、それでもどこか自分にしっくりくる部分がこの国にはあり、日本に背を向けて思い切り深呼吸できる自分もいる。「他人の言葉をあてにしない、真に受け過ぎない」をモットーにしさえすれば、この国では案外近道や抜け道を見つけて目的地に辿りつけるということもだんだん分かってきた。けれども、わたしはやはり日本人であるし、この国では外国人だ。

まるで家族みたいに大切な人たち(ってか実家族1名)

何かを感じすぎたり、起きた出来事に説明や意味を求め過ぎたり、心もとないふわふわした気持ちになったり、なんで?なんで?なんで?と疑問符で頭がいっぱいになったり、時々自分がまた思春期に戻ってしまったような、頭と体と心がバラバラになってしまったようなそんな心もとなさを感じることがある。長年共にしてきた皮膚を剥いで、何もかも剥き出しで歩いているような、そしてまた新たに皮膚を再生させるような、感覚。
一旦頭と体と心をバラバラにして、組み立て直す。大人になってから外国に住むということはそういう作業なしには進めないのかもしれない。


まるで街の全体を光だけで包めることを誇示したいかのような南仏の太陽の光を体全体に浴びながら、広場に咲き誇るネムノキの鮮やかなピンクの花を見上げる。静かに目を瞑る。
そしてまた海へ向かう。

愛しい日々の連続を。