2018年10月21日日曜日

とても、とても私的なこと

誕生日を境にして、自分を取り巻く環境がゴロゴロと変わりだした。いつまでたっても大人になりきれていない部分があるわたしを見かねた何者かが、こうなったら強行突破、周りごと揺らしをかけてやれと言わんばかりに、わたし自身の変化を強行に促進させているようなことが起こり出した。もちろん、「人生の大きな変化のある前後になぜかいつもParisに呼ばれ、なぜかParisへ行くことになる」という長年のわたしの人生の流れの掟のようなものはもちろん健在し、前記事でも書いたけれど、変化の波の真只中わたしはなぜかまたParisにいた。



変化をひと一番恐がり、変化が起こりそうな気配をいち早く察してはジタバタと抵抗し、恐怖におののきまくりすばしこく逃げ回ろうとするくせに、いざ変化へ突入してみると、いつかしらその変化が楽しいことに思えてきて変化前の恐がり様をコロリと忘れてしまうのは、近しい人曰く、「ティピック・ド・Ayami」、それはわたしの典型らしい。

それはそうと、今回Parisに行く前と、帰ってきた後では、何か自分の中の感覚が目に見えて大きく違っていた。
ご多分に漏れず今回の変化前の動揺はひどかったのだけれど、少しいつもと違ったのは、変化前の同様も変化そのものも、それから変化後の世界も、全部まるごとごくりと受け入れてみようと思ったこと。そして、生まれ持ったデカい口を利用してくじらみたいに変化の波ごとぶわっと飲み込む勢いで、変化の真ん中に鎮座してみた。



それでわたしは今もその変化の真っ最中にいるのだけれど、この変化全体をすべて受け入れてみるという試みは、本当にわたしを根本から変えるひとつの大きな点になった。

まずは、自分の不安やら恐怖と距離をとり観察してみることをし始めたみた。そうしてしばらくすると、今までどれだけ自分が不安を主な材料にして自分の人生を構築してきたのかが見えてきた。これは結構な驚きだった。だって自分は自分の人生をそれなりに楽しいことや嬉しいことなどを土台にして築いてきたと、そうなんとなく思っていたからだった。

そうこうしているうちに、日々の小さな(でもないのかもしれない)楽しみや幸せがどんどん目に入るようになり、気がついてみると「なぜかはよくわからないけれどなんだか嬉しい気持ち」で過ごしている時間がほとんどで、不安や怒りを感じることが少なくなってきた。



そしておととい、海に入った。
わたしは週一、二で、早朝に海岸沿いをジョギングし、そのまま途中の海に降りて泳ぎ、またジョギングをして家に帰って来るという、ひとりトライアスロン(自転車競技が欠けているからビアスロン?)的なことを楽しんでいる。この早朝の海というのはなんと表現していいのかわからないくらい、いいエネルギーで満ちていて、体を水の中に滑り込ませた瞬間から、大きな何かに包み込まれているような、そしてそれと同時に自分が解放されるような、とても心地よい感覚に抱かれる。そのことを知って以来、この早朝マラソン&海水浴にハマっている。

18/10/2018 8am

それがおとといの朝は違った。
いつものように水の中に入り泳ぎ始めると、すぐに何か居心地のよくないものが身体にまとまりつくような感覚を覚えた。くらげがいたらどうしようかということで不安な気持ちなのかな?と最初は考えながら泳ぎすすめていたのだけれど、いつものように水中は透明で澄んでいて、どうやらくらげうんぬんの不安ではないらしい。そのままその嫌な感覚を振り払うようにして泳ぎ続けているうちに、ふと、ああ!これはわたしの中にある不安の反映なんだ、とピンときた。そうすると、わたしにはまだ解放する不安が身体に残っていて、それを解放する機会を今得ているのだということに気がついた。すると目の前に太陽の光がキラキラと水の中自分の斜め前に差し込んでいるのが目に入った。そして、水中でその光に吸い込まれるていくような煙のようなものが見えた。
なんだか水の中が自分の思考そのものを反映したように思え、不思議な感覚を覚えた。くるりと背を下に反転し、空をみながら太陽に照らされそのままぷかぷかと浮かんでみた。そしていつのまにか嫌な感覚はもうどこにもなくなっていることに気づいた。それからいつものように海岸まで泳ぎ返した。

18/10/2018 8am

この大きな自分の変化の中、じわじわと縁がどんどん深くより良くなっていく人もいれば、反対になぜかふわっと自然に縁遠くなる人もいて、それは取捨択一(悪いものや不必要なものを捨てて、よいもの、必要なものを選び取ること。 取るべきものと捨てるべきものとを選択するということ)、すべて必要な流れであるということが、最近身をもって体感し、五臓六腑にストンストンと落ちている。

仲のすごくいい友達とこの変化の不思議な感覚を共感したり影響しあったり、友達から突然ポーンと楽しいカミングアウトを受けたり、自分だけでなくて周りの人たちもそれぞれの変化の中にいるのだ。自分だけが存在しているのではない。


愛しい日々の連続を♡
...変化の真っ只中、思考の海を泳いでいる人へ