2015年6月25日木曜日

Paris 私的回想録 - 6 区 -

Paris 6区(2007年)

わたしが初めてParisを訪れたのは、当時働いていたアパレルブティックの女社長から、次のパリコレクションのバイイングに連れて行くわと伝えられ、来シーズンの秋冬を買い付けるための1週間の出張旅行だった。わたしが働いていたそのブティックはパリやミラノコレクションが好きな人なら誰でも知っているそれはそれは錚々(そうそう)たるブランドを取り扱うセレクトショップで、その女社長が一代で築き上げ、セレクトされた洋服の目をむく値段と店のディスプレイの風格から、その当時は一目置かれていたブティックだった。わたしは大学を出てすぐそのブティックで社員として働くようになり、潔癖な女社長の機嫌を損なわないようにガラス張りの窓はもちろん梯子でふきあげ、一切の埃や塵が舞う隙をあたえず、店の売り上げ、報告、国内外ブランドのバイイング、個人売りもしっかり予算組みされた上での接客、彼女の趣味で飾る植木の管理やその他経理以外のほとんどの雑用をこなし、日々ハイファッションに身を包み12cmのヒールを履いて毎日店に立っていた。


アパレル業界で働いている物にとって、パリコレクションのショーに招待されること、それからそのフロントローに海外のジャーナリストと肩を並べて座ることは夢のようなことである。「はい、あなたの分ね。」と、わたしの名前が書かれた、ファッション雑誌には必ず巻頭に特集を組まれるようなブランドたちの招待状を受け取ったときは、天にも登る気持ちになった。
Parisの天気は変わりやすいと散々いろんな人から言われ、その上毎日スケジュールを組まれたショーにまさか同じコーディネートをするわけにはいかないと、コート、ジャケット、シャツ、シルクのドレス、バック、アクセサリー、タイツ、ピンヒールにブーツにと、行きのスーツケースから重量オーバーすれすれで日本を発った。

今日は朝から4区の展示会場でのバイイング、そのあとは1区、合間に取り扱いのパリのブティックを視察、ディスプレイのアイデアを盗む、話題のセレクトショップをチェックし、昼食、夕方からは6区のショー会場に移動、同行していた社長の顧客を交えた夕食と、朝から晩までスケジュールはパンパン、足もパンパン、夜ご飯を終えてホテルに着くのは夜中の0時を回っていることもしばしば。毎日がそんなスケジュールだった。
ショー会場で配られるコレクションマップを片手に、初めてのParis、右も左もわからない、それでもいっぱしの業界人気取りで見た目はバッチリハイブランドで固め、石畳を12cmヒールで歩き回った。


そんなスケジュールのなか、半日だけ自由な時間が与えられた。とはいえ、初めてのParis、フランス語は全くわからず、「出口」という意味の"Sortie"と書かれた地下鉄の表示板の読み方さえもわからないような者には、行き先にあまり選択肢はなかった。それでも嬉しくて嬉しくて、特に決まった充てもなくParisの地図だけ抱えて朝7時にホテルから飛び出た。
ホテルから歩いて5分ほどのところに、サンジェルマン デプレという有名な教会があるらしい。名前はなんか聞いたことがある、そこに行ってみよう。
教会では厳粛なミサが行われており、そこにわけもわからず参列してみた。教会の天井から差込む光の筋、足元に揺れるステンドグラスの光の色、祈りのフランス語、何もかもが初めてで、それでなくても浮き足立っていたわたしの体は、それこそ教会の天井に吸い込まれていくかのようだった。

暗がりの教会から出ると差し込む朝日に思わず目を瞬かせた。次はどこへ行こうか。そうだ、有名なカフェが近くにあるって社長が言ってたなと、王道も王道、カフェ・ドフロールを目指した。
メニューは入る前から決まっている。パン・オ・ショコラとエスプレッソ。本場で食べるのが憧れだったのだ。まだ誰も居ないテラスに座る。せいいっぱいの努力をして、フランス語で注文を伝え、最後に”シルヴプレ”を言うことも忘れなかった。
東洋人はそれでなくても年齢より10歳ほど若く見える。この高級地区のテラス席に座り、フランス語も話せない当時20代だったわたしは、店のサービス係りにはよほど滑稽、もしくは奇異にうつったに違いない。旅の恥は掛け捨て、若気の至り、日本語には都合のよい言葉がたくさんある。


そうやって朝食を摂っていると、隣の席に耳下で切り揃えられた少し白髪混じりのパーマスタイル、黒ずくめの50代の男性が座った。ちらりと目をやると、東洋人、どうやら日本人のようである。ここの常連のようで、流暢なフランス語で店員とひとことふたこと言葉を交わしている。なんか、この顔見覚えがある。失礼きわまりないがわたしはじろじろとその男性を眺めた。あ!デザイナーのWさんだ!と気づいた瞬間、思わず「あ!」とわたしの声が漏れていたのだろう、その男性と目が合う。気まずさで思わず「Wさんですか?」と声をかける。彼はパリコレクションでトップレベルを誇るブランドの日本人デザイナーで、自身のブランド名になった彼の名前はファッション好きなら知らない人はいない。

彼はわたしの質問には答えず、静かに「学生さん?」と聞き返してきた。学生ではないこと、セレクトショップで働き、今回バイイングでパリコレに初めて連れて来てもらったことを話した。わたしの働く店の名前を聞かれたので答えると、彼はおもむろに目を細め、途端表情を緩めて静かに話し始めた。
実は、君の働く店の社長さんとは古い知り合いでね。当時僕のブランドを取り扱ってくれていたんだよ。
彼はオムレツを食べる手を休め、わたしの方へ身を傾け話しを続けた。
こんなこと君のような若い人に話すようなことでもないけどね、君の社長と僕は途中でビジネスで仲たがいをしてしまって、彼女とはそれっきりなんだよ。僕はそんな風に彼女と縁が切れてしまったことを残念に思っているんだ。また彼女とビジネスを再会したいとずっと思っているんだけどね。

ところで君は、僕のショーには興味はあるかい?
もちろんわたしの返事は決まっている。
明日の夕方は空いてるかな?もしよかったら、僕のショーがあるんだけど、秘書に席をふたつ用意させるから、誰か友達と来たらいいよ。招待状は秘書にバイク便でホテルに届けさせるから。それから、社長には、ぜひ機会があればまた話したいと伝えて。
ショーのチケットの件はあとで君の携帯に秘書から連絡させるから。

この想像もしない成り行きに、わたしは文字通り天にも昇る気持ちで、このままでは体が宙を舞うのではないかといてもたってもいられなくなり、W氏に礼を伝え、社長へ伝えておくことを約束し、浮き足だって店を出た。


その後取り扱いのブランドのショー会場で社長たちと落ち合い、すぐにW氏と偶然会ったことを報告した。すると話をしているそばからみるみるうちに彼女の顔色から血の気がひいてきた。
普段からわたしは彼女の顔色を四六時中伺いながら仕事をしているのだ。彼女の機嫌が変化したことはすぐさま気づく。
しまった、何かしでかしてしまったみたいだ。
あのデザイナーとよっぽどのことがあったのだろうか、W氏は社長のことを尊敬しているような話しぶりで、本当にもう一度友好な関係を結びたいと言っていた。恋愛ざたの問題などはまったく匂わなかったし、一体何が彼女の気に触ってしまったのだろう...
大好きなブランドのショーだというのに、そのことばかりが頭をぐるぐる回った。

その後ショーの最中も終わってからも会場を出てからも、彼女は一切わたしと話しをせず、目も合わせてくれなかった。社長とひとことも話すこともなく夜ホテルに着く。自分の部屋に戻り、どさりとベッドの倒れた。すると、部屋の電話が鳴った。
「ちょっとわたしの部屋まで来なさい。」社長からだった。 時計を見ると12時を回っている。
わたしは再度身支度をととのえ、階上にある彼女の部屋をノックした。

「W氏との今日のいきさつ、どういうことかもう一度話して。」
初めから事細かく話し、彼はあなたともう一度話ができるようになりたいと思っているとそう仰っしゃっていましたと伝えたあたりで、彼女はわたしの話しを遮り、こう言った。
「つまり、あなたはわたしの名前を利用して、その有名なデザイナーにショーの招待状をもらったっていうわけよね?だってわたしの名前を出さないと、彼があなたを招待するはずがないもの。」
わたしは何も伝えられなかった。なぜなら彼女はいつも自分の出す答えに完璧な肯定を、完璧な降伏しか求めていないことを知っているから。
「その招待状届いたらわたしに渡してね。まさか行くつもりじゃないでしょ?」


次の日、ホテルに届いていた招待状を手に、W氏の秘書にショーへは行けなくなった旨の連絡をした。するとすぐにW氏本人からわたしの携帯へ連絡がきた。
もしかして、本当は社長が僕のことで気分を害したからなのではないかとわたしへ問う彼に、自分が他のショーの日程を間違えて把握しており、わたしのミスであなたのショーへはいけないのだと答えた。
彼は一瞬無言になった後、「大事なショーの席なんだ。仕事をなめるな。」と言い残し、電話を切った。しばらく、ツーツーと不通音を響かせる受話器を置けずにわたしはその場に立ち尽くした。


次の日、社長は何事もなかったように、ベルギーへ行くので滞在が長くなることをわたしに告げ、気をつけて帰りなさいと笑顔を見せた。
社長たちと別れ、わたしは帰りの飛行機に乗るためひとりでドゴール空港までタクシーに乗った。窓からは遠くにそびえ立つエッフェル塔が見えた。切り取った絵のようなそのエッフェル塔に、帰国したらアパレル業界から足を洗うこと、それから自分の意思でもう一度Parisの街へ来ることを誓った。頑なな子供みたいにぎゅっと膝の上で手を握りしめ、目を閉じて、ただそれだけを誓った。







2015年6月18日木曜日

紫のニュアンス

小学校の教室で紫式部の名前を初めて聞いた時、その語感が持つ色っぽい響きと、その漢字の並びが持つ静かな威厳のようなもの、挿絵に描かれた十二単の鮮やかな薄紫がわたしをうっとりさせた。あれからわたしは紫色の放つニュアンスにどうもこうも惹かれる傾向にある。

鮮やかな赤と濃い青を混ぜる。それだけじゃ足りないから、そこにミルクを数滴。赤と青の間を行ったり来たり、消え入るミルクの筋を漂う。

1re
夏の到来を思わせる鋭い日差しに目を細める午後。Parisの街、ひとつ路地を入り、奥まった場所にある店。外の喧騒から離れてひんやりとした洞窟の入り口のようなその店先に誘い込まれるように、足を踏み入れる。アンバーの強くて甘い匂いが立ちこめ、お香の煙が体を包む。その店の壁の色。

2e
彼女の部屋のソファに腰を下ろす。彼女は猫のように目を細めて笑う。長い黒髪が揺れる。お茶を入れる後ろ姿。スパイスが湯気とともにほのかに香る。カタカタと食器を揺らしながらお盆を持ってくる。くるりと向きを変え台所に戻る彼女の長いスカートからのぞく引き締まったアキレス腱。色とりどりのビーズが施された彼女の部屋履きの色。

3e
ベッドの端で膝を抱えてぎゅっと座る。西日がゆるくカーテンの隙間からシーツに淡い陰を作る。広げた本のページの上にぼたりと雫が落ちる。涙で霞み、活字が滲む。家の外から靴音と鍵音が近づき、ガチャリと扉が開く。薔薇、芍薬、カーネーション、花たちから漂うほのかな香りが部屋に立ち込める。手ぶらで帰るよりも、君と早く仲直りができると思ったから。恋人の手から溢れる花のグラデーション。


...dernier
直接空で染料を混ぜたような魔法のような夕闇の色。
あるいは、光に透けたハートカズラ。
太陽の甘い光に溶けてしまわないように、わたしは思わずそれを縫いとめたくなるのだ。






2015年6月4日木曜日

フランス、結婚準備、ドレスの色

というわけで、フランスで結婚することになった。
恋人がフランスへ先に帰国して、約1ヶ月。彼の仕事が想像以上に早く決まり、住む街も決まり、わたしもすぐにフランスへ来てよし!という指令がきたわけだ。当初の予定より早いその指令に、出発に向けていろんなことがドタバタと動き出した。


具体的なものが見え出すと、物事というのは途端進むのが早くなる。「よし!結婚しようぜ!」ということになった。とはいえ、何分、「フランスで結婚」は初めてなので(結婚は初めてじゃないけどw)、どんなことをどんなふうにするのかがよくわかっていない。

で、0から調べるわけだけど、フランスでフランス人と結婚する日本人は結構いるもので、みなさん親切にご自身のブログに手続きの足取りを残して置いてくれているのだ。これには多いに助かっている。フランス大使館のHPやら在仏日本大使館のHPなんかを見るんだけど、分かりにくいので、そういう時に、先輩方のブロ グが役に立つ。ただし、情報がかなり古いものだったり、結構肝心なところで、詳しくはフランス大使館へ問い合わせを。となる。
ので、電話をしてみた、東京にあるフランス大使館へ。


もし暇人で興味がある方がいれば、ぜひこのフランス大使館へ問い合わせの電話をしてみてほしい。電話に出るのは日本人の女性なんだけど、ひとつ質問をした途端、突然、キー!となるのだ。その沸点は電話してからわずか数十秒で、何のこっちゃわからない。しかもかなり噛み砕いて質問をしてみるのだけど、質問の意図が全く通じない。ビザの質問なんてしに電話をしたわけじゃないのだが、こちらの話を遮りまくって、キーとなりすぎて、声を震わせながら(笑)「ビザの質問で大使館に電話されると迷惑なんですけど!」とお叫びになったのだ。わたしはビザではなく、法廷翻訳に関する質問の電話をしたのに。

そういえば、パリにいた時、こういう日本人女性たちがいたのを思い出した。なぜか、一部の日本女性たちは、フランス人に囲まれて暮らしていると、自分をフランス人だと勘違いして しまうのか、同胞敵視というか、かなり高飛車な態度で、というかありえないほどのヒステリーになっている人がいる。でも、なぜかこういう人たちはフランス 人相手になると感じがいいのだけど、日本人相手になると、途端、口をへの字に曲げて鬼みたいになるのだ。


結局わたしの質問はビザの質問ではないので、代表電話の受付に出た鬼の人から、ようやく領事部の人へと回されたわけだが、その女性もまだマシとはいえ、横柄な感じなので似たりよったり。一番まともだったのは、フランス人女性。片言の日本語で一生賢明答えてくれた。
知り合いのフランスで何十年も暮らしている日本人女性たちは、まったくこういう風ではない。やっぱり人によるんだけれど、なぜだろう...?猫や犬が人間に飼われていると自分のことを人間だと勘違いし出すという話はよく聞くが、そういうのに似た現象なのだろうか?


わたしもいよいよフランスで暮らす日本人になるので、次は我が身、鬼にはなるまいと気を引き締めた。その電話の出来事を祖母と、それから恋人に愚痴ると、 「多分あれだよ、その人たち半年以上セックスしてないんじゃないの?」というような意見をそれぞれ別々にいただいたww
そうか、そういうことなのか。


とはいえいつまでもクサクサしているわけにはいかない。やることは結構あるのだ。 恋人がさくさくと調べてくれるので、基本わたしはその説明を受けてGOサインを出すという係なのだが、日本のようにペロッと婚姻届けを書いて提出する、みたいな感じかと思っていたら、実際そうではないようだ。市役所で結婚手続きをしないといけないのだけど、日取りを2ヶ月前くらいから予約し、証人を立てて 親族や親しい友人の前で誓いを立てないといけない。いわば”結婚式”をしなければならないのだ。結婚式をすることなどまったく考えてなかったので、「ドレスを着るんだよ。」とさくッと彼に言われ、「え?ドレス?」となった。

実はドレスと日本語で訳してはいるが、実際のところは”robe”(ローブ)というフランス語。これは時にはドレスだし、時にはワンピースとも言えるのだ。フランスで結婚式に参列したこともないので、ドレスとひとことに言ってもどこまでのどういうものを着ればいいのかまったく見当もつかない。試しに、「フランス 結婚式」で検索してみると、日本人同士がエッフェル塔の近くなんかでメレンゲみたいなドレスを着てピースしてたりして、う~ん、全然違う。彼からもメレンゲは止めてといわれている。わたしだってメレンゲは趣味ではない。白じゃなくても淡い色のものでもいいと聞いたので、2回目の結婚なので白じゃない方がいいのかと思い、ベージュとか薄いグレーとかのドレスを見て親友に相談したら、「あんた、潔(いさぎよ)く白にしてたらいいやん、何、ちょっと2回目やからって白に色付いたみたいなん着るんよ(笑) なんなんそのアピール、そんなところで変な気使わなくていい!」と一掃されたww そっか、それでいいのか。


ドレス以外でも、招待状を作ったり、フランス人の友人に証人を頼んだり、なんかすることはいろいろある。証人になってくれるそのパリジェンヌからは、ホテルはもう予約してもいいのか、ドレスコードはあるのか、何かスピーチをしないといけないのか、プレゼントリストはあるのか、当日美容師はいるのか、なぜって爆発した髪の毛をどうにかおさめてもらわなくちゃならないから、あ、あと前もって言っておくけど、わたし当日泣いてしまうと思う...etc、質問が羅列されたメールが届いた。お菓子なんか作りながら、ふむふむとメールを読む。自覚がなかったけれど、案外わたしはのんびりしたした性格なのかもしれないななんて思いながらも、友人からのそのメールを読んでじわじわと楽しみになってきている。
心配ご無用、800人の式じゃないからオートクチュールのドレスは必要無しだとパリジェンヌには返事をし、日取りも決まり、じわじわ進行している。


飛行機のチケットもとり、思えば出発まで2ヶ月もないことに気づく。大使館や領事館とやり取りをする傍ら、終始ドレスのことが気になって気になって仕方が無いあたり、やっぱりビジュアル面からしか手をつけられない自分のクセは、なかなか直らないものだなと思う。
素敵なドレスが見つかりますように。髪を振り乱したら鬼の始まりだと自分を戒め、焦らずに準備をしていこうと思う。
というわけで、途中報告でした。

みなさんも、鬼には気をつけて、
っていうか鬼にならないように気をつけてww 愛の溢れる毎日を♡