2014年9月30日火曜日

Paris 私的回想録 - 18 区 -

気がついたらただただ階段を登っていた。最後の一段をのぼり、目の前に立つサクレクール寺院を見上げた。長く階段を登ったせいで温まった息は一層白く、寺院の壁の灰白色と混じり、空気の中に煙のように消える。

あの日なぜあんなにも寂しい気持ちだったのか、なぜあんなにも気持ちがキュウとなっていたのか、今となっては思い出せない。突然発作のようになぜかサクレクール寺院をひとりで見たくなった。冬の日の曇天の空の下で、寺院の壁はいったい何色に見えるのだろうかとそれが気になり、Abbesses(アベス)駅でメトロを降り、長い坂の階段を登った。こんな平日の寒い日に来る観光客は少ないのだろう。いつもなら寺院の白亜の壁を背景にして観光客の色とりどりの洋服の色がちらちらと視界に入るのだが、今日は背景の色だけをゆっくり眺めることができる。以前訪れたのは初夏だった。その時は青い空の下にくっきりと寺院が白く浮かびあがっていたが、目の前の寺院は輪郭の線や色があいまいで、ごしごしと指でこすると、そのままごにょごにょと周りの空気の中に混じりって消えてしまいそうだ。


しばらくぼーっとその壁の色を見ていた。それから後ろの階段を少し降り、広場に立った。晴れた日ならここから遠くまでParisの街を見渡せるが、今日のParisは街全体に牛乳がこぼれたみたいだ。隅から隅までたっぷりと薄い灰色に滲んでいる。
牛乳で滲んだParisの街。悪くない。晴れた日の眩しいParisはくっきりと美しすぎる。
街にこぼれた牛乳をすするようにして、息を吸い込んでみた。そうするとわたし体の中の空間がすこし膨らんで、その景色の一部がわたしの体にじわりと混じり込んだ。

 
気がつくと夕方の5時を過ぎていた。辺りはすでに薄暗い。冬の夜の匂いが薄く階段に積もってきたのを感じる。わたしはさっき吸い込んだ景色の不思議な重さ、といっても心地のよい重みを体に感じながら、街灯に照らされた階段を降りはじめた。


あの日を境にして、わたしの体には今になってもParisが混ざり込んでいるのだ。







2014年9月23日火曜日

Paris 私的回想録 - 1 区 -

Parisに住み始めて1ヶ月過ぎた頃、わたしは、さてどうやってフランス語を話せるようになろうかと考え始めた。まったくと言っていいほどフランス語を話せない状態でParisに住み始めたからだ。
語学学校に通うという選択肢はわたしの中ではなかった。Parisの語学学校と言えば授業料が高いことで有名で、そんな授業料を払えるわけなかったし、それにせっかくParisで生活しているのに多くの時間を学校に費やすのが嫌だったのだ。なんとかお金をかけずに、自分の好きな時間を過ごしながらフランス語を話せるようにならないだろうか。

とは言え、フランス語が話せないわたしはもちろんフランス語の文章も十分に理解することができない。だから日本語の情報に頼るしかなかった。Parisには日本語で暮らしていけるのではないかと思うほど、探せば日本語の情報はいくらでも手に入る。
ネットももちろん、有名な日本のフリーペーパーもいくつかあるし、みんな掲示板に個人的な広告を出して、やり取りがけっこう頻繁に行われている。持ち帰ったフリーペーパーをペラペラめくっていると、掲示板ページの中で「日本語とフランス語をエシャンジュしましょう。(Fabien) 」という短い文面のアノンスを見つけた。エシャンジュというのは、交換という意味のフランス語で、ここでは”お互いの言語を交換して勉強し合いましょう”という意味の記事になる。
何の予備知識もないわたしは、お!これなら簡単にフランス語を勉強できるかも♪ なんて、即効そのFabienへメールで連絡したのである。



今思えば無謀である。外国で、掲示板の書き込みだけで水知らずの人と会うのである。その当時のわたしはフランス人の名前もそう詳しくなかったので、その”Fabien”という名前が男性名なのか女性名なのかもわからず、しかも調べもせず無頓着にコンタクトをとってみたのである。
1週間後、Fabienから”来週の月曜日の16時、メトロChâtelet(シャトレ)駅の、シャトレ広場の出口で待ち合わせしましょう。”と返事が来た。

ということで来週の月曜日に会うことになった。
ということを長くParisに住んでいる日本人の知り合いに話したところ、「え?大丈夫?その名前だったら男だよね?ってかそんなフリーペーパーにアノンス出す人なんて男しかいないよね。気をつけた方がいいよー!日本人の女性目当ての漫画とゲーム好きのオタクのフランス人男性がうようよいるんだから!」と言われたのだ。自分の無知に気づき、その瞬間から来週の月曜日が恐くなった。他の知り合いにも聞いてみると、やっぱりあんまりおすすめしないとのこと。どうしよう。

というわけで、行かないことに決めたのである。
とはいうものの「まだ経験する前から怖気づいてどうする?もしいい人だったら?」なんて気持ちもあったりしてちょっとだけ気になってはいた。

そして当日、ヨーロッパに長く住んでいた経験のある友人Iが偶然Parisに旅行で来ていたので会ってお茶をすることになり、「もう行かないけどね、ちょっと気になってはいるんだよね。」とカフェでその話をした。そうすると意外にもその友人Iは「会ってみたらいいよ。きっと怖い思いなんてしないから。今からでも行ったらいいよ。」となぜか迷わずにきっぱりわたしに言った。「別に行かないならそれでもいいけど。でもいい出会いになるかも。きっと怖くないよ。」
時計を見ると16時10分。すでに約束の16時は過ぎている。顔をあげてIを見ると、彼女はわたしの目を見てにやっと笑った。
「やっぱりとりあえず行くことにする!ごめんね!ありがとう!!」

”待ち合わせに少し遅れます。”
ショートメールを送り、カフェを出てすぐにメトロに飛び乗った。


Châteletの駅を知っている人は想像がつくだろうけど、この駅はParisのほぼ中心に位置し、メトロ1、4、7、11、14号線が通り、 RER(近郊高速鉄道線)も止まるので、ターミナル的存在のかなり大きな駅なのである。待ち合わせのシャトレ広場の出口もすぐに見つかるだろうと安易に考えていたのが馬鹿だった。駅構内はだだ広く、即効迷う。長い動く歩道を行ったり来たり、迷ったあげく適当な出口で地上に出ても結局まだ地図を見ることにも慣れていないので、また構内に戻ったり。
時計を見るとすでに16:40。
もうだめだろうと半分あきらめながらも走る。やっとシャトレ広場の出口を見つけて、地上に出た時には16:50。
走った上に、やっぱり変な人だったらどうしようという不安とで、動悸が尋常もなく早い。しかも待ち合わせに便利な場所なのか、人がうようよいて、色んな人が怪しく思えてくる。やっぱり引き返そうか。

 
うわ、なんか目が会ってる人いる、近づいてくる、近づいてくる。なんだか冷たそうな感じの金髪の男性だ。
「あなたですか?僕がFabien ファビアンです。」

彼は背が高く端正な顔立ちの、一見イギリス人俳優にいそうな金髪の男性だった。
なんと彼は1時間もずっと待ってくれていたのだ。(フランス人だからもしかしたら待ったのは45分くらいかもしれないけどww)わたしは覚えたてのフランス語で1時間も遅れたことを詫びた。
「C'est pas grave. 問題ないですよ。お会いできてよかったです。」

わたしのあの最初の心配とはうらはらに、Fabienはとっても紳士的で日本が大好きな、だけど漫画にもゲームにも全く興味のない、穏やかで真面目なとてもいいやつだったのだ。
わたしたちはすぐに打ち解け、フランス語と日本語を教え合うために1週間に1、2回お互いの暇を見つけて会うようになり、時々は美術館に行ったり映画を見たり、お互いの友人を交えてホームパーティに招待したりと、とても仲良くなった。
彼はわたしが初めてParisで友達になったフランス人で、今でも時々連絡を取り合っている大切な友人のひとりとなっている。


とはいえ、今考えると待ち合わせの相手がFabienで運がよかったなと思う。日本人相手の掲示板に書き込んでいるフランス人の男性は、日本の女の子目当てのオタクが90%であることは確かだったことがあとあと分かったので、それからは女の人としかコンタクトをとらないようにした。
それでもやっぱり、アノンスを見て連絡し、あの時行ってよかったと思う。あのおかげでわたしはフランス語を話せるようになった、とちょっと大げさかもしれないが言い切ろうと思う。Fabienと出会えたこともそうだが、あの日Iに会うことになったことも全部つながっている。

それにしても、 Parisに住み慣れてからは、Châteletの駅を待ち合わせに使うようなことも無謀なことだと知った。東京でいうと新宿駅、大阪でいうと大阪駅で初対面の人と待ち合わせするようなものだ。広すぎて人が多すぎて、わたしはよっぽどの用がない限り、Châtelet駅では降りないww 



Parisは不思議な磁場があると何度もここに書いてきたが、Parisの街の中には見えない糸が張り巡らされているのだ。その糸は時空を超えて張り巡らされている。もしかしたら Parisに魅せられる人というのはその糸に何か関係があるのかもしれない。
でもその糸は誰が絡ませているのだろうか。誰が気まぐれに解きほぐしているのだろうか。





2014年9月17日水曜日

Paris 私的回想録 - 19区 -

Paris 19区(2009年 12月- 2010年 7月末)

これから住むアパルトマンがあるメトロの駅のホームにわたしが初めて降り立ったのは、12月の初めの朝の5時過ぎだった。Parisの冬の5時はまだ真っ暗だ。5日前に日本からパリに着いたばかり。まだ地下鉄にもなれていない。しかもあれほど日本を発つ前に、Parisの街をよく知るいろんな人から「人気のない地下鉄にはひとりで乗るな」と忠告を受けていたはずなのに、すでにパリ到着5日目でその忠告を無視している。
すくみそうになる足をどうにか動かし、メトロを降りるとホームを走りとにかく必死に地上への出口を探しかけ上がる。地上に出ると、目に入ったのがメトロの駅の名前が付いたカフェ。そのまま信号を斜めに渡ってパン屋。その横の角にはメガネのチェーン店。もちろんまだ全ての店は閉まっている。真っ暗な中で看板の文字だけが目印だ。左に曲がって、少しそこからゆるやかな坂になる。
Parisの地図の青い本を右手に、住所を走り書きしたメモを左手にぎゅっと握りしめて暗い通りを急ぎ足で、とにかく前だけを見て歩く。高架下の物影が動く度に足を速める。こんな無茶なことするんじゃなかったと後悔で胸と頭が一杯になった時、メモに書いている住所の通りと同じ名前の通りを見つけた。
薄暗く地面も整備されていない小道に入る。


その日はParisに住む日本人の女友達が日本に帰国する日。彼女の借りていたアパルトマンに入れ替わりわたしがその日から住むことになっている。一週間前、わたしがまだ日本を発つ前に彼女と電話をした時には、鍵渡す時にゆっくりお茶でもしようね、なんて言われていたが、出発前の日になって「荷造りが全然終わってないの!5時半にはもう出発するから、悪いけど出発する前に直接アパルトマンまで取りに来て!」と電話がかかってきたのだ。Parisに1年住むと、気性の荒さがすっかりパリジェンヌ化してしまうようだ。

その薄暗い小道、並ぶ建物はどれも同じ建物に見え、番地を注意深く見ながら歩く。あった、十一番地!
蹴れば簡単に開くのではないかと思うような立て付けが悪いそのアパルトマンの朽ちた緑色のドアの前に立ち、部屋番号の呼び鈴を鳴らした。


とにかく快適でないないらすぐ引越しなよ!ハイ、これ!
とぶっきらぼうに彼女から手渡された鍵は、日本では見たことがない初めて手にする、古いヨーロッパ映画でみた鍵のかたちをしていた。

その日からわたしのParisでの暮らしが始まった。
実際蹴るまでいかずとも、足に力を入れて押さえながら鍵を閉めるコツがいる立て付けの悪いアパルトマンのドアや、隙間だらけの斜めの床、日曜日になると隣に住むアフリカ系の家族のアパルトマンから聞こえてくる民族音楽の太鼓の音、すばやく済ませないとお湯から水に変わってしまうシャワー、一睡もできない夜を経験させたねずみの爪音(!)
そのアパルトマンの暮らしは、わたしに順応さ、そして日本の暮らしがいかに快適であるかを体得させた。でも元来柔軟さは持ち合わせているので、1ヶ月もしないうちにわたしはその暮らしを気に入り始めた。(ねずみ以外!)

そこの暮らしを気に入った大きな理由はその地区がとても住みやすかったというのが大きい。アパルトマンから徒歩2分、MOF(フランス国家最優秀職人)取得の美味しいパン屋があり、八百屋も肉屋もチーズ屋も、モノプリもホームセンターもナチュラリア(オーガニック商品専門のスーパー)も本屋も花市場も、生活に必要なものはなんでも揃う。メトロの駅の名前がつくカフェはアパルトマンから5分のところにあり、そこのサラダ・ペリゴールは大のお気に入りで、今でもわたしにとってのParisの味はあれなのだ。そのカフェのすぐそばにはサンマルタン運河が流れ、天気のいい日はその界隈に住む住人が日向ぼっこをしに行く。そんな界隈だ。



近所の八百屋やパン屋の店員と顔馴染みになり、アクセントや”R”が入るその少しむずかしいメトロの駅名をやっと正しく発音できるようになった頃に、かの有名なサンジェルマン・デュプレから目と鼻の先の左岸の界隈へ引っ越すことになり、わたしは19区の暮らしを離れた。

BoBoなのかスノッブなのかしらないが、今でも時々、「いやー、わたしはもっぱら左岸派です。右岸?一桁代ならまだしも二桁の区なんて、そんな移民だらけの庶民くさい界隈なんて、足を踏み入れたこともないよ。」なーんていう人種に出くわすことが極たま~にある。Parisは20区に分かれいて、セーヌ河を境に右岸、左岸と呼ばれている。右岸は特に二桁代、つまり10区~20区は移民が多く住む庶民的な界隈なのだ。
そんなことをいうスノビッシュな人と出会った時、わたしは心の中で大いに”庶民的なフランスの楽しさ”を知っていることの優越感に浸り、そしてそんなことを言う人を面白みのない人だと判断する。
シックな左岸の暮らしももちろん本当に楽しかったが、あの19区の庶民的な暮らしは独特で、フランスという国がまさに人種のるつぼであることを感じさせられ、そしてそれを生活レベルで楽しむことのできる経験は他ではなかったのだから。


Parisには不思議な磁場がある。今でもあの磁場をわたしの体のどこかの器官が察知している、そんな気がする。

こうやって断片的に回想しながら、少しずつParisの街の魅力を解剖してみようか、なんて、意味があるのか無いのか、結果は目に見えているようなもんなのだけど、もしかしたら、もしかしたら、その秘密の端に指先が届くかもしれない。
なぜ今のタイミングなのかはよくわからないけど、わたしの記憶を辿りながらちょっとそれを試みてみようかと思う。Parisを記す。
まあ、飽きたらやめよう。

 
 
 

2014年9月4日木曜日

ノロケ以外のなんでもないけれど

わたしは恋人がトマトを切っている姿がとっても気に入っている。
彼とふたりで家で食事をする時にはだいたい役割分担をしながらふたりで料理の準備をする。


作る料理によってももちろん違うが、だいたいにおいて「洗って」「切る」作業は彼が担当し、わたしはそれを炒めたり、蒸したり、煮込んだりする。わたしが彼の洗った食材を炒めたり蒸したりしている間に彼がサラダを作るという流れ。
サラダを作るといってもそんなに手の凝ったものではなく、シンプルに基本はサラダ菜とトマト、オリーブオイルとヴィネガー、塩、胡椒。そこに例えば炒めたキノコとか、その時によっては旬のアスパラだとか、ポーチド・エッグとかなんだのかんだのをその時の気分で加える。
そしてわたしはというと、野菜とか肉とかを炒めるのに集中している風を装って、ちらっと横目で盗み見るのだ。彼がトマトを切るところ。

洗ったトマトを大きな手の中でくりくりっと回して、ペティナイフでへたと芯をくり抜く。それから少しだけ慎重に半分のところでナイフを引き、そのあとはざくっざくっとくし切りにする。
この一連の作業、この手の動きを見るのがなぜだかわからないけれど大好きなのだ。

セクシーだと褒めると、ふつうのことじゃない?と言って肩をすくめる。



そういえば最近また、自分の中の知らない部分に気づいた。へ~、こんな感情が実はあったんだー、というように、自分の中で巧みに覆い隠されていた負の感情の存在に気づいた。
長い間自分の中にあった”克服できない部分”を、ここ最近は、あ~わたしにはやっぱ無理なのかな~なんてあきらめ始めようかとしていた矢先、それを克服できない原因が、この負の感情にあるということに気づいた。

ちなみにその感情とはあることへの”罪悪感”。
自分でもこの存在にはびっくりした。
無意識のうちにこの”罪悪感”で自分自身を抑えつけていた。その罪悪感の存在に気づくと、わたしのいつまでたっても”克服できない部分”はそれが原因だということにするっとつながった。
そして今回それを気づくきっかけになったのが、彼がしてくれた、本当に愛情たっぷりなあることだった。(これね、ノロケ以外なんでもないっつーことは)わたしが喜ぶだろうと時間をかけてしてくれたことだった。

他の誰かを変えることはそうそうできないし、っていうかそんなことするもんじゃないと思う。だけど、自分自身が変わることはいつだってどんな時だってできる。で、変わった自分にふと気がつくと、必ずそこのきっかけには愛のある何かが関わっている。で、その愛のある何かのおかげで、自分には価値があるということを知ることになる。

その彼がしてくれたことに対してありがとうと言うと、彼は、う~ん、でもふつうのことじゃない?と言う。そういう時、彼のことをセクシーだなと感じる。

 
今まで克服できないと思っていたあの部分を、もしかしたら克服できるかもしれないと、今はなぜかわからないけど、根拠のない自信が少しだけ出てきている。ひとつ年をとった途端の出来事だったので、やっぱり年をとるというのは意味があるもんなんだな、なんて思う。

どうでもいいけど、人がトマトを切る姿をセクシーだなんて今まで思ったこともなかった。これも年のせい?


...はい、つまり、とどのつまり、結局はノロケでしたー