で、数日前、いつものように何を読もうか本を選んでいた時、ふと”あの本”のことを思いだした。半年前くらいに買って、読みたいところまで読んで、半分くらいのところで満足して、途中でやめていた本。なぜかその本が気になったので、それを引っ張り出して、湯船につかって、その途中の部分から読み出した。
なぜ、今、このタイミングで、この本を手にとったのだろうと思ったことが今までに何回あっただろうか。
またそれだった。
ここ何ヶ月間自分の中で考えていたことの答えが、その本の読みかけの部分からあとに書かれてあった。
わたしたちは、「問いかけはいつも自分のなかで生まれ、そしてその答えは探し出すもの」、そう思っている。
だけど、本当は違う、逆なのだ。
その”答え”はすでにそこにある。すでに存在している。
そして「問うこと」とは、その答えに対して、”何とかして注意を向けさせ、意識の焦点を当てさせるための時間を与えられている。” ということなのではないだろうか。
つまり、その”答え”に引っ張られているのは自分自身なのだ。その答えは本当はすでに自分自身の中に存在している。
問題と答えは常に自分自身の中にある。起きている現実は、その投影にすぎない。
ということは、本当は物事はとてもシンプルだと思える。
自分の認識したことしか、現実には起きないということ。
隣で恋人が、わたしの親友にメッセージを書いている。
もうすぐ親友が子供を産む。
ワクワクする現実は、わたし自身の中にある。
ページをめくりながら、また問い始める。
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