その人はわたしにメロメロなのだ」
随分との間、わたしは ”その人からメロメロに愛されているわたし” を受け入れることができなかった
今思うと、初めてその人に出会った瞬間を除いては実際とのころ、一度もそれを受け入れていなかったのだろう
出会ったその瞬間のその愛は、それを認識をするという選択のせいで徐々にそのかたちを変え、その質さえも変化させる
愛というものについてこう考える、
愛の、そのもの本来には、そもそも質は存在しない
形状もない
無色透明 無味無臭 量もない
ゼロ
ゼロだけど、存在している
(それは、矛盾を喚起させる存在、でもあるのだ)
ただ在ることだけを感じる存在
「認識」というものは愛を「執着」、もしくは「固執」というものに
かたちをすり変えさせ、そして質を与え、その上、本来ならば感じえない”量”を与える
かたちをすり変えさせ、そして質を与え、その上、本来ならば感じえない”量”を与える
愛と質は本来無関係なものなのにもかかわらず
重いとか、軽いとか、そういうこととは全然次元が違うのに、認識が勘違いさせる
相手から離れる必要が無いのに、離れなければならないと認識したり、
相手に愛されているのに、そこに自ら不満を発生させたり
(これは本当に滑稽なこと)
とにかく、
その人はわたしのことがとってもとても大切で、その人はわたしをとても愛している
わたしはその人のことがとってもとても大切で、わたしはその人をとても愛している
時間もない、空間もない
在るのは、愛の中に浮かぶ、その感覚だけ
ほら、また宗教みたいなこと言ってる
ほら、もともと変とは勘付いてたけど、いよいよ頭おかしくなったんじゃない?...なんて言われるだろうけど(笑)
もしくは、なんの話やねん!とか(笑)
とにかく、「誰かが自分にメロメロだ」ってこと
自分だって実はその誰かにメロメロなのだ
あ~これってなんて幸せなことなんでしょう~♡、なんて
へらへら考えてたりしたら、あっ!!
という間に年の暮れ!
でもその前に、素敵な素敵なクリスマスを☆
自分だって実はその誰かにメロメロなのだ
あ~これってなんて幸せなことなんでしょう~♡、なんて
へらへら考えてたりしたら、あっ!!
という間に年の暮れ!
でもその前に、素敵な素敵なクリスマスを☆
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