2015年7月2日木曜日

アンバランスないいわけ

6月末、フランス語のテストが終わった途端、雲が切れたみたいにパッと、わたしの世界の空は明るくなった(笑)自分でもなんて単純なのかと思うぐらい、見るもの聞くもの嗅ぐものすっかり曇りがなくなりすきっと爽やかに見えるきらめきの世界だ。

実は、大阪に帰ってきてからぐるぐるといろんなことを考えすぎて、梅雨の真っ只中、しかもフランス語のテストを控え、なんだか気持ちが暗ーく、暗ーく、辛気臭くなっていた。
物欲の塊みたいになってぬり壁みたいな顔になってしまっている人とか、精神世界に生きているように見えて、物事の本質を探究せずにただの無知で明るいだけの子供みたいな顔で暮らしている人とか、そういう風なところばっかりに目がいってしまって、こんなにも周りの世界は目を背けたくなることばかりなのかと、勝手に息苦しくなっていた。


でも、実はそういう事柄は全部わたしの中に存在する、もしくは存在していて、その事実から必死で目をそらそうとしていたのだ。そういう自分の愚かさを棚に上げて、自分の考えをさも雄弁に語ろうとしていた自分に気づいた。気づかない間に、善意に隠された欲望がむくむくと育っていたのだ。きゃおッ、なんて恥ずかしい!
生活にいい物を取り入れるために遠い外国のものばかりに高いお金を払うこととか、自分の本当に求めているものが何かわからないために見栄と物ばっかりで埋め尽くしていることとか、一緒に生活している人と価値観のすり合わせができないこととか、子供をTVやゲーム漬け、砂糖漬けにしていることとか、友情関係をビジネス関係にすり変えてしまっている人とか、スマホ中毒とか、公共の場に出没する変な現代アートとか、悲観的なものばかりに囲まれてもういやだ閉じこもりたい!なんて風に、自分がカラカラと干からびていきそうで、”辛気臭い人”にどっぷり浸かりきるぎりぎりのところで、パッと気づいた。

気づけたのは、無事テストが終わり脱力して、ふと、去年わたしはどんなことを考えていたのだろうかと気になって、自分がこのブログに書いていたちょうど1年前の6月の文章を読み返したことに あった。あれだけイヤだイヤだ、としつこく書いていた”○○臭い人”に、今、自分がなっていたことに気づいたのだ(笑) (詳細は”潜んだ欲望と、変な顔”へ)
ひゃー!ミイラ取りがミイラになるって、このことかしら!という風に。


で、この辛気臭さから脱却するためにとっさに本能からか救いを求めた先が、宗教でも、占いでもましてや電話相談でもなく(笑)、それはファッションの本の中にいる素敵な女性たちだった。エレガントにお洋服を着こなすマダムや、刺激的なコーディネートで楽しむ同じ世代くらいの女性たちの佇まいが、辛気臭くなってかちんこちんに固まっていたわたしの頭と心に柔らかく水をかけた。みるみるうちに癒されていった。過去恋人たちに何回もバイと疑われただけのことはある、わたしはやっぱり素敵な女性が好きなのだ、やっぱりもうメロメロ(笑)

で、同時に改めて気づいた。もう昔みたいに服を買い漁ったり、所有し過ぎたりすることにはまったく興味はないけど、洋服を着ることで一層引き立つある種の美しさとは何か、それがやっぱり気になって気になってしょうがないのだ。何を今さらと言われるに決まっているけど、わたしはやっぱりファッションが大好きで、どうしても素敵な女性たちに惹かれてしまう。物質に精神を埋め尽くされることを拒否しているくせに、消費社会のファッションの世界とどう関わっていくのか、なぜだかわからないけどおそらくこれはアンバランスで矛盾だらけのわたしのこれからの課題になりそうな気がする。
癒されるはずが、別の乾きを求める始まりになってしまったw


とにかく、”○○臭い”からの脱却に、何が必要だったって、自分のアンバランスさを再認識することだったと思う。どれだけ自分はバランスがいいなんて奢っているか、それに気づいたら、なんともいえない恥ずかしさで穴にもぐりたくなる(笑)わたしはやっぱりまだまだ矛盾だらけで頭でっかちでアンバランスだ。願わくばバランスのよい感じになりたいけれど、なかなかそう簡単に矯正はできない。ので、気長に行くしかない。

でも、こうも思う。このアンバランスさは、見方によっては自分の何か大切なものにつながっているのではないかと。アンバランスさによってバランスをとっている、なんともややこしくて且つ精妙なものなんじゃないのかと。複雑さは女の人の魅力だよと恋人がなぐさめてくれたことがあったけど、アンバランスさも個性になりえるのかもしれない。自己表現なんてどこまでもナルシストで自己中心的な行為なのに、それが自分を支えている。わたしは、バラバラと気になるものや好きなものが多すぎて、いっそ全部飲み込んでしまいたい衝動にいつもかられている(笑)
さっそく、結婚前にこれだけは再度伝えておかなければいけないと、恋人にスカイプで「というわけで、やっぱりわたしは洋服が大好きで、それから矛盾を抱えていてアンバランスなのだ」ということを堂々と宣言したわけだが、彼は苦笑して、「何をいまさら。今は矛盾に思うかもしれないけど、あとあと必ず君の中でつながっていくよ。まあ、その宣言は昔から何度も聞いているけどね」と、同じ話を何度も繰り返す老婆扱いされた。


曇りが晴れたついでに、そのファッションの本たちをパラパラと読んでいて、なぜかすとんと気づいたことがある。それは、「何かひとつの方法でしか物事の本質を追求できないということはない。」ということ。これはわたしの恋人が何度もわたしに言っていることだけど、この意味がようやく腑におちた。例えば悟りを開く唯一の道は、ヨガをすることだけでもないし、カトリック信者として一生をおくることだけではない。すぐにわたしたちは、自分の道だけが正しいと思ってしまいがちだけど、何を持って本質を追求するか、それは人それぞれに道がある。


 
とういうわけで、洋服の色合わせなんて考えているとやっぱりなんともワクワクしてしまう。文章を書いているとワクワクが止まらなくなる。辛気臭さを払拭するには、やっぱりワクワクすることが必要なのだ。瞑想しながらこのワクワクに引っ張られてはムヒヒとなってしまう。
そんなことでひとりムニムニしていたら、美しさについて、ふっと浮かびあがったことがある。
美しさとは、これ見よがしに表現されたものにではなく、細胞に、内面に息づく気配こそに宿るのではないか?


どうも最近自分が辛気臭くなっているなって感じてる人がいれば、もちろん梅雨の季節のせいにした上で、自分のワクワクのもとをもう一度探してみることをおすすめしたい。ひと足先に梅雨明けできるはず!
アンバランスでも矛盾だらけでもなんでも、愛らしい素敵な日々を♡


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