2015年11月5日木曜日

月のリズム、祈り

実はここにこれを書こうかどうか心底迷っていた。けれど、書いてみようと思う。きっとまとまりはないだろうけれどw

きっかけはちょっとしたことだった。
2ヶ月前、引越しの朝。知人からこの日のために借りたバンに荷物を積み込み、ドアを閉める。親戚たちの笑顔で見送られて走り出す。好調な滑りだしで始まったキラキラの朝日に喜ぶのもつかの間。
高速道路に入ってすぐ、突然バンがみるみるうちに重くなり、止まってしまった。なんと車が故障したのだ。そこからなんとも連鎖反応のようにいろんなことが引き起こり、1日で終わるはずの引越しはなんと、2ヶ月近くかかったのだった。

実はわたしはこの出来事、つまり「車の突然の故障、引越しの初日の失敗」を乗り越えられずにいたのだった。普通なら「こういうこともあるよー」なんてどうにか流せるのに、わたしはその出来事が起こった瞬間からずっと、「なんでこんなことが起こるのだろう、あんなことさえ起こらなければスムーズにことが運んだはずなのに、何も悪いことなんてしてないのに、なんで、なんで、なんで」と、 その起こった出来事を受け入れられずに、ぐるぐると思考の洞窟にはまり込んでいた。


それでもなんとか引っ越しも済み、新しいアパートに入っていろいろ片付けている時に、高いところに置いたものが何かの拍子に床に落ち、大きな音をたてた。その音を聞いた瞬間、ボロボロと涙が溢れ出し、止まらなくなってしまった。
「車の突然の故障、引越しの初日の失敗」は、誰も悪いわけではなく、誰にでも遭遇し得ることなのだが、そんな出来事に偶然にも遭遇してしまった状況、その中に居た自分をかなり責めていた。

もしくは別のささいなことがきっかけで、わたしの感情は突然火を噴いたように高まり、嵐が起こった海のように波うち、その時突如湧いた怒りが体全体を電流のようにかけめぐり、夫にきつい言葉をむけたこともあった。そして言いながら涙が溢れ、止まらなくなった。そして涙がでなくなったあとは、言葉を発することも夫と目を合わすことも何もかもすべてが億劫になり、ただただ放心し、それでもなくならない怒りの固まりを心に感じたままだった。突如、そんな状態になった。

またある時は、他の人の無知な部分や、人の弱いところをを赦す(ゆるす)ことができないなんてこともあった。口には出さないけれど、内心では、馬鹿にして批判しているような強い気持ちの渦の存在を認めた。


わたしは3年ほど前から、自分の内側に目を向けるということに取り組んできていたつもりだったので、正直、自分にまだこんなにもコントロールできないネガティブな感情や反応があるのかと心底驚いた。今まで時間をかけて内面を見つめるということに取り組んできたというのに。
初めは生理前のホルモンのバランスの影響かなと思っていたけれど、そういうことがあったとしても、何か根深いものがあるからこんな反応にでるんだなと確信した。この2,3年、我ながら穏やかになったなー、なんて思っていたけれどなんのなんの。子供の頃からの心の在り様がまだこんなにも深く根付いているのかと、これはきちんと向き合って解放しなければいけないなと思った。
フランスに来て、古くからの民間療法のホメオパシーを知り、そこからFleur de Bach(日本語ではバッチフラワー)を知ることになり、ずっと続けている瞑想にも合わせて、それを生活に取りいれてみた。わたしにはこの花の自然療法はとても合っていたようで、始めてすぐに反応があった。それから少しずつだけれど、確実に、自分の感情や心の動きを客観的に見ることができるようになってきている。


落ち着いてくると面白いもので、答えにつながるヒントみたいなものがポンと手の平に落ちてくることがある。
知り合いのヨギー二の女性が、10月の満月の日はいろんなことを引き起こしてしまって散々だったよーなんて言っているのを聞いて、 もしやと思って調べてみた。ら、バッチリ。わたしたちの引越しの日は8月の満月だった。潮の満ち引きが月の引力と連動しているのと同じように、月の引力に加えて、満月の日は満月のエネルギーが満ちるので、人の体の吸収力が最大となって、いいものも悪いいものもよく吸収するのだそう。
引き込むエネルギーが強いから、ネガティブなエネルギーを出しているとあっというまに引き込まれてしまうんだよーって、その人が教えてくれた。満月の日は出産率も高いし事故の確立も高い、そういえばそういうことは昔から言われている。
それで納得がいった。引越しの日のこと(笑)。我ながら単純だとは思うけれど、ちょうど3ヶ月前からシュタイナーに興味を持って色々調べているので、月の影響力の関係にも繋がって、そっかー、月の力って改めて凄いなって、それなら仕方ないなってw


で、月のことを考えていたら、祈りと願いの違いについて気になってきた。
「欲望から出る願いはぜったいにしてはいけないよ、それは一種の魔術だから」って、ある人が最近言っていたのが気になっていろいろと調べてみた。例えばわかりやすいところでいえばお金が欲しいやら仕事で成功したいやら恋愛成就などは欲望がバッチリ絡んでいる。そういう願いは必ず他の人の不幸が絡んでしまうらしい。知らないうちに魔術を使うことになるということ。巷で流行っている引き寄せの法則なんかも、悪気が無い人が大半なんだろうけどあれも魔術の一種。
そういえばキリスト教ではありとあらゆる魔術の使用を禁止している。占いなんかにしてもそう。
もしその人に、何か特別な力があったのなら、例えば人の未来が見えるもしくは占えるとか、自分の体を通して人を治癒できるとか、透視ができるとか、魔法が使えるとか。その力は特別に与えられたもので、与えられた使命のようなもの。その特別な力をどのようにして他の人を助けるのに役立てるかを、探さなければならない。そして、与えなければならない。
だから決してその力をお金と引き換えにしてはならないそう。その力も与えられた使命も、いつしか消えてなくなってしまう。
もしそうなら、ひとりひとり、実は個々にそれぞれ素晴らしい力が備わっているのではないだろうかなんて考える。それなら必要なのは、その力を最大限に伸ばし、周りに与えること。
それから、願うのではなく、祈ること。


ってな風に、わたしの考えることはどんどん四方八方に広がり、結局まとまりを欠くw なんかオカルトチックになってきたなー(笑)
ちなみに昔からしつこく言っているけれど、わたしは自分教以外にハマっている宗教は、ない。
まあとにかく自分のネガティブな部分の解放と、自分に与えられた能力を最大限に伸ばしていこうということ。
仏教での内観っていうのをよく聞くけれど、自分を客観的に見つめること、ネガティブな部分を認めて解放してあげることは、簡単ではない。でもそれは他の誰かができることではなくて、自分が自分にやってあげるしかできないこと。もしイライラしたり自分以外に対するどうしようもない怒りが自分の中にあったら、それは愛しい力で癒す必要があることだと思う。自分のそういう弱い部分に気づいて認めることができたら、あとは大丈夫、解放する方法は不思議と目の前に現れる。欠けていると感じていることも、満ちていることと同じくらい愛しいことだ。
それからそれと同じくらいに、自分にも自分だけの素晴らしい力が備わっていることも知る必要があるのだと思う。
そういうことを、心の底から応援する。大切な人すべてに祈る。

少しずつ。月の力を借りながら。
それから、自分の弱い部分をまるごと愛してくれる、隣に居る愛する人へたっぷり感謝をしながら。
みなさん、愛しい日々の連続を♡
月のリズムを感じて。






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