2015年11月17日火曜日

あることがきっかけで

実際のところ、今回起きたパリのテロ事件が起こるであろうことを知っていた、と書いたら驚かれるだろうか。
もちろん、いつどこでという詳細を知っていたわけではない。ただ早かれ遅かれパリでテロが勃発するだろうということは、以前から囁かれていた。


たくさんの人がフランス在住のわたしに安否確認のメッセージをくださり、たくさんの人が混乱していることがSNS上でもうかがえた。実際、わたしの胸中はとても複雑だった。個人的に、それは的を得ていないのではないだろうかと思う議論や意見を目にすることもあった。
だけど、こんな時一番控えるべきなのが、感情を高ぶらせること。むずかしいけれど、そうしないと、まさに計画通り、思うがまま。テロはある種の人たちにとっ て、ひとつのイベントに過ぎない。そこには奪いさられた人の尊い命以外の何物も残っていない。本当のところ、政治的意見や見解をSNSで拡散し過ぎることもあまり懸命ではないと思っている。それが真実であればあるほど。意見したり共有したいところだけど、そこはぐっとこらえて。もっと深く彫りさげて、正しい知識を蓄えることが必要だと思う。


そして改めて今回深く感じたこと、自分のブログなので、あえて書こうと思う。
無知は罪の一種になり得る。でも、無知な人を糾弾するべきではない。自分とてありとあらゆる面で無知なのだから。無知でなくなるための長い道のりの第一歩は、自分が無知であることを知ること、だと思う。


それでも、わたしの心から愛するパリの街で恐ろしい出来事が起きたことには、やはり少なからずショックを受けた。友人たちもいるので、心から心配した。知ってる人はいると思うけれど、わたしのパリに対する愛は深いのだ。憤りを感じないといえば嘘になる。
だけど今回改めて、このようなショックな出来事や心配事で少しでも動揺してしまう自分をまず、きちんとどしっと安定させようと思った。おそらくそれがないと これからやっていけないだろうと思う。(子育てや将来とかそういう自分の人生のこととは別の意味も含めて。)怒りや不安は何も解決しない。

模範を止め、自分の頭で考え、自分自身であること。
明るくあり、思いやり深くあること。


物質の世界はいつか終わりを迎える。
時間も空間も超えた永遠に続く祈りを。今は小さく感じても。
そして、愛しい日々の連続を。






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