2015年12月10日木曜日

南仏海辺空想録①

ニースに住んでいると、市内ならたいていの所には、市内を東西に走るトラムウェイで行ける。そして、身の回りの買い物、郵便局や市役所、銀行や学校、繁華街は全て徒歩圏内にあり、日常生活では全て歩いて事足りる。わたしは毎日毎日、犬のマーキングのごとく嗅覚と肌感覚を便りに、ニースを歩き回っている。

フランスに来て4ヶ月、ここニースに越してきて3ヶ月が経とうとしている。まだわたしのフランスの携帯電話の電話登録帳は10人にも満たないままだけれど、毎日のマーキングのおかげか、アパートの住民、カフェの店主、雑貨屋の店主、食材店の店員、道でよくすれ違う人...いわゆるご近所さんたちと挨拶をしたり軽く会話をかわすようになってきた。


アルフォンソとカリーヌはわたしのアパルトマンのすぐそばにあるカフェビストロの店主カップルである。長い手足をめいいっぱいに動かし、長身の体を折り曲げ たり伸ばしたり 身振り手振り大げさに話すアルフォンソはイタリアン人。束ねた黒い髪と灰色の瞳、スタイルがよく都会的な遊びを取り入れた着こなしで、お客にも笑顔とハスキーボイスでサバサバと会話をするブルターニュ出身のカリーヌはフランス人。ふたりは、パリで30年間レストラン業を営み、50代も半ばを迎え、半年前からここニースに引っ越してきた。一年を通して温暖な気候、アルフォンソの祖国イタリアからも近く、地中海の香りが色濃く漂うここニースで老年を迎えようと港近くの店を居抜きで買い上げた。


わたしの住むアパルトマンは、港の教会のすぐ裏、中心地から近いわりにはひとつ通りを奥に入るので真夏でも観光客の流れはさほど激しくなく、わりと静かに暮らせる場所にある。そこから5分も歩けば、レストランやお洒落な雑貨屋やカフェなどが並ぶ通りがあり、地元住民しか知らない美味しいお店などもありとても住みやすい界隈として知られている。
ご近所のアルフォンソとカリーヌのカフェも、教会のすぐ裏。教会の表通りと違って夏でも比較的人通りは少ない。それでも夏は、港から流れてきた観光客でランチ時などはテラスはいっぱい。わたしはたいていランチ終わりの時間に顔を出していた。


11月に入り、徐々に気温が下がり始める。いくら冬でも温暖な気候の地方とはいえ、目に見えて街には観光客の姿が減る。海沿いや観光客の多い通りのカフェや店屋は、夏のかき入れ時のみ営業し、夏が終わると一旦店を仕舞うところが多い。そのせいで、気温が下がると同時に街全体になんとなしに裏寂しい空気が漂う。 反対に喜ぶのは住民で、夏が終わって街には観光客も少なく、落ち着いたこの界隈は一層過ごしやすい。


寒さも穏やかな休みの日、観光客気分で近所の海沿いを散歩しようかと夫とふたりでアパルトマンを出た。カフェの前を横切ろうとした時、アルフォンソが店から出て来た。目に見えて元気がない。夏が終わり、人の入りが減ったことによる経営の心配と疲れを隠しきれない様子だ。わたしと夫は顔を合わせ目配せをし、お茶をしていくことにする。


テラスに座って夫とふたりエスプレッソを飲んでいると、しばらくして店内からアルフォンソの怒鳴り声が聞こえた。驚いて思わず店内を見る。アルフォンソと目が合う。
「実は彼が怒鳴るのを聞いたのは今日が初めてじゃないんだ。」
夫がわたしに顔を近づけて言う。
「この間も店の前で声を聞いたよ。多分経営のことだと思う。大きな音も聞こえたし、カリーヌに手を出してたりしなきゃいいんだけどね...。」
わたしたちはどちらともなく、そろそろ行こうかと席を立ちかけた。

すると店の扉が開き、アルフォンソがテラスに出て来た。
「さっき大きな声が聞こえてしまったでしょ。見苦しいところ見せてしまってごめんよ。僕の声は昔からよく通るんだ。これお詫びにどうぞ。」
彼はチョコレートケーキがのった皿をわたしたちのテーブルに置いた。


夏のまぶしい光だけを求めて南仏に来たものの、彼は南仏にも冬が訪れることを忘れていたようだ。夏の光が眩しければ眩しいほど、その先にある濃い冬の影が見えない。

会計を済ませ、テラスに出て来たカリーヌに「ケーキ美味しかった、ごちそうさま。」と言うと、「美味しいでしょ、わたしが作ったの。イタリアのガトーよ。」とウィンクをした。夏が終わっても輝く彼女の笑顔をどうぞ大事に冬を越してください、と心の中でアルフォンソに伝える。

街が持つ陰影を味わう。わたしは少しずつここの街に馴染み始めている。
雨の日が少ないニース。今日約一カ月ぶりに雨が降っている。



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2 件のコメント:

  1. ついこの前に立ち寄った街の息吹が感じられます。またいつか、行ければいいな−。

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    1. ありがとうございます。だんだんとこの街が好きになってきました。いつかまた紺碧のグラデーションを楽しみにいらしてください。

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