2016年7月18日月曜日

わたしの街のテロ

結局のところ、フランス革命記念日の夜、ニースの海辺、ひとりの鬱病の気がある狂った男が高速でトラックを人混みに突入させ、たくさんの犠牲者を出した。ISは我々に感化された者だと言っているが、本当のところのそのつながりはまだ明確になっていない。
まとまりがなくなるだろうけれど、綴ってみようと思う。


ベッドの上でいつものように寝る前Cyrilとふたりでいろんな話をしていた。いつもよりも少しふたりとも熱くなって話に没頭していたように思う。花火の音が聞こえだしてお互いの話の邪魔をするまでは、外ではキャトルズ・ジュイエ(フランス革命記念日)の催しが行われていることをふたりして忘れていた。開けてる窓から花火の音が響いてかなり音うるさいねなんて窓を閉めた。窓を閉めたあと、今になっては花火の音かどうかわからないけれどとてつもなく大きな音が何発か響いて、ふたりして驚いたのを覚えている。
それから数分、数十分?明確な時間の感覚は覚えていないけれど、携帯がFBのメールを知らせる音を鳴らし、何気なく開いた。日本の友達からのメール。
「大丈夫?ニュースでニースが大変なことになってるって知って。無事だよね?」
なんかニースで起きてるのかな?とCyrilに確認すると同時に、テロだなとすぐに直感した。ふたりしてすぐにインターネットで情報を調べる。
まさか...プロム(プロムナード・ザングレ)でテロが起きた。
それからまもなくサイレンの音が引っ切り無しに鳴り響き、それは明け方まで続いた。


次の日の朝目が覚めて、不思議な感覚だった。いつものように空は突き抜ける青さだし、かもめもいつものようにうるさく鳴いている。本当に何か起こったのだろうか?寝ている間に次々と寄せられていた日本の家族や友達からのメッセージを見て、ニュースをチェックし、死亡者の数が格段に上がっているのを知る。
ぼうっとする頭のままいつもの癖でジョギングウェアをベッドの上に広げた。「まさか今日は走りに行かないよね?」Cyrilに言われてはっとする。
昨日の事件が起きたのはわたしがいつも朝走っている、あのプロムナード・デ・ザングレだ。いつも折り返し地点の目印にしているホテル・ネグレスコはちょうど暴走したトラックが走った2kmの中間地点。そこは紛れもなく「わたしの道」だった。


日課のヨガをするけれどいつも以上にバランスが取りづらい。瞑想もうまく集中ができない。家にいる気にならなかったので散歩に出ようと外に出て街を歩いた。突き抜ける青い空の下、特に閑散とした様子もなく、人は普通に街を歩いている。ただすれ違う人たちが携帯電話で話している内容はすべて昨日の夜のことだった。友人カップルが経営しているカフェをのぞく。目と目を合わした瞬間にどちらからともなく強く抱きしめ合うい、背中をさすり合う。生暖かい友人の体の温もりのせいでなぜか涙がでそうになった。またねとカフェを後にする。
そしてよく行く別のイタリア人家族が経営するカフェの前で、テラスに出ていたマンマとそこで働くも友人と、それぞれ抱きしめ合い背中を撫で合う。
帰り道、別の友人のカフェをのぞく。お互いやその家族や友人たちの無事を報告し合い、ビズをする。いつものようにノワゼットを注文する。途切れ途切れに昨日の事件のことを話す。友人のパートナーも店にくる。カフェのオーナーを交えて事件の話をし、彼らの憤りを感じる。
カフェを出ても、やっぱり空はいつものように青い。少しだけ海の湿気を含んだ風が頬をなでる。

次の朝、いつも通りの空、歩く人々


ヨガを教えている友人ルリアに安否の連絡をとる。夕方一緒に彼女のスタジオで祈りのヨガをしようということになった。わたしが一番早くスタジオに着き、ルリアと話をしていた。そこに明らかに腫れた目をした若いエラが入ってきた。昨日、恋人と目が見えない友人とプロムで花火を見ていたと話す。花火を切り上げ旧市街に入ってしばらくすると、突然猛烈に走る人の波が旧市街の細い道を埋め尽くし、エラはそのまま波にもまれわけもわからずに走った。周りでは叫び声が飛び交うが一切の話し声はなく、皆細い道の両壁に身体をぶつけながらただひたすら走っている。盲目の友人の肘を抱えひたすら走る。何もかもが混乱しパニックだったと話す。
エラの話をそこまで聞いていた時、今にも大粒の涙がこぼれだしそうな目でマリナがスタジオをに入ってきた。彼女は事件の起こった30分後、仕事帰りいつもの道、海辺のプロムを自転車で走っていた。そして、あちらこちらから聞こえる悲鳴、なぜかわからないけれど喧嘩をしている男たち、そして鳴り響くサイレンの中、道にバタバタと倒れている人を目の当たりにした。光がたくさん溢れて空は青くて幸せなイメージしかないあのプロムでこんなことが起こっているなんて本当に信じられないのと彼女の目からとめどなく大粒の涙が流れた。
わたしたちはやっぱり抱きしめ合い、背中をさすり合った。
ルリアが誘導する祈りの歌を歌いながら4人でヨガをする。マリナのすすり泣きが響く。


ニースは世界的に観光名地として有名なわりに、街自体は本当に小さい。人口は約35万人、東京23区の人口の30分の1。友達ができると、徐々にそれは数珠つなぎにつながっていき、賑わうカルチエ(地区)も3つほど。それぞれにお気に入りのカルチエがあり、テラスでカフェを飲んでいると、必ず知り合いに合うというような本当に村のような街だ。観光客で成り立っていると言われるほど夏には観光客がたくさんの街で、そして真上から惜しみなく降り注ぐ太陽の眩しすぎる光と空の青さがなんだか陽気過ぎて、ここで暮らし始めたての当初はそれがなんとなく自分にしっくりこないと思っていたのだけれど、徐々にニースの暮らしの虜になりだし、今では日焼け止めも塗り忘れても気にしないほどここの太陽の光を浴びるのが好きになっている。

旧市街

こんな悲惨な事件がこの街で起こって、日本の家族や友人に心配をかけているのだけれど、なぜだかあんまり怖さというものがない。事件を知れば知るほど不可解なことが多い。19tトラックに積み込まれてあった多量の銃や手榴弾。それにもかかわらず運転手はひとり。そしてそれらの銃や手榴弾はすべて偽物だった。通常大きなイベント、例えばユーロサッカーなどの開催時はプロムは通行規制がかかり、車両は入れない。それなのに、アイスクリームの配達だというだけで特に確認もなくあのトラックは入れていた。内部が入口を開けて犯人を通していたのは言うまでもない。
パリのシャルリーのテロ以降、大きなテロの後には必ず国の法律が、国民をテロから守るという口実のもと書き換えられる。それは国民を守るなんてもってのほか反対にその後国民の自由や権利を脅かすもので、テロは、政府にとっては、いや、世界を牛耳っているものにとってはひとつの国の法を改正できるこれとない機会になる。


この異様な出来事たちの中で、少なくともフランス人は何か変だと気付きだしている人が少なくない。14日の事件のあと、ここに住み始めてから約8ヶ月、一度も思いもしなかったのに、Cyrilの腕の中で、そして友人たちの腕の中で、心底、ああ、この街はわたしの街だとぎゅっと感じた。

わたしたちは何もできないのだろうか?わたしはそうは思わない。
悲しいことだけれど、この事件によってわたしは小さくてもわたしにもできることを確信し出している。
世界が起こっている出来事のすべては繋がっている。

光がずっと変わらずわたしたちの道を照らしますように。

愛しい日々の連続を。

わたしの街




2 件のコメント:

  1. 何にかはわからないけど…
    怖い 怖くてたまらん…
    モヤモヤがおさまらない(>_<)

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    1. 怖さとか恐怖とか不安は自分の心(怒りとか過去の記憶とか、ネガティブな想像を種にして)が作り出してるってことを本当に知ったら、少しずついろんなことが怖くなくなるよ。ネガティブな感じは引っ張られて実現させてしまうから、だから怖さとか恐怖、不安を作り出さない訓練をしないとあかんと思う。今それをヨガで毎日訓練中〜♪

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