2016年7月27日水曜日

テロの後、日本のこと、パラドックス、すごくすごく感じること 

あれから二週間、ニースの街はやっぱり青い空と青い海が輝いている。もともとあまりニースの中の観光メッカに特に行く方ではないので目の当たりにしないせいか、観光客は減ったという印象もさほどない。カフェのテラスではいつも通り人々が思い思いに話ながら食事やお茶の時間を楽しんでいるし、眩しい光の中かもめの声がいつも通りうるさい。

毎日泳ぎに行く海岸。魚がうようよ

7月14日ニースで起きた事件は、やっぱり不可解なことが多い。いや、もはや不可解ではないのかもしれない。おそらくフランス人でも知らない人もいるだろうけれど、「7月14日のあのトラックを写した街中のビデオカメラの映像を全て消去せよ 。」という公的文書が発行されていることがわかった。
あんなにも多くの被害者を出した事件のトラックの動画を、なぜ検証するのではなく、削除するのか。隠したいことがその中に隠されている。

日本の家族から「テロがあった街で恐くないのか?」と問われたが、奇妙かもしれないがやはり以前として恐怖心はない。怒り、というのもない。ただ(前回にも書いたけれど)、世界で起きているすべてのことは繋がっているんだな、と確信しただけだった。


日本ではつい最近、参議院選挙が行われていて、わたしはわたしの周りの多くの人たちがSNSでシェアする三宅洋平氏の動画を繰り返しみた。”選挙フェス”という言葉を幾度となく耳にし、選挙に行って彼に投票しよう、そして戦争法案に反対しよう!という意見の書き込みを何度見たかわからない。とても盛り上がっている様子だった。わたしはそれにうっすらと違和感を覚えていた。

わたしは三宅洋平氏に反対ではない。彼の言っている意見はとてもまっとうだと思うし、頑張っている彼を応援したいと思っている。じゃあなぜ違和感を覚えたのか。
わたしは「選挙」自体を信じていないのだ。国が作ったこのシステムはすでに出来上がっている。わたしたち国民は投票でこの国の政治に参加できると思っているが、わたしはそれを信じていない。この国を牛耳っている人たちはそんなにも簡単にわたしたちに権利を与えるとは思っていない。三宅氏が当選しても当選しなくても、細かなところに変化があったとしても残念ながら大枠はもともとの筋書き通りで進行していく。選挙自体に意味があるとはわたしには思えないのだ。三宅氏を応援していた人たちのエネルギーは相当なものだったと思う。素晴らしいなと本当に思った。だけどそれと同時に、この人たちの大半が三宅氏が何か変えてくれるんじゃないかと彼に期待をしているだけなんじゃないのかとも思った。選挙が終わった後この人たちはどう生きるのだろう。ファーストフードをやめるだろうか。スタバをやめるだろうか。食べ物を変えるだろうか。自分の子供たちにスマートフォンで遊ばせることをやめるだろうか。テレビ付けの日々から抜け出すだろうか。どれだけの人が自分の日々行っていることたちが世界の全体に繋がっていることを知っているのだろうか。大半の人がそれはそれ、今までと同じ生活を何の疑いもなく続けていくのではないだろうか、と考えた。
だからと言って選挙に行く人やそのことを非難するわけではない。自分がそれを信じているならばそれはするべきだと思う。流されるのでなく自分の目で耳で確かめて選ぶことはいいと思う。

残念ながら、彼が当選していたとしても、大きな変化が起きるわけではない。変化は日々のわたしたちの行動でしか変わらない。そうわたしは思っている。毎日毎日わたしたちが日々の中でしている選択一つ一つが、世界の出来事すべてにつながっている。何を食べるか、何を買うか、何を読むか、何を見るか、何を教えるか、何をやめるか。政治に参加することは投票に行くことだけではない。
誰かに期待して依存しても、けっきょく自分が変わらなければ世界は変わらない。

日常は変わらず過ぎてゆく

わたしたちの今の世界はパラドックスに満ちている。わたしたちは何かを信じ、それが正しいことだと思っているけれど、盲目的になった時点で、もしくは他人に何かを期待し決定権を委ねた時点で、パラドックスの世界が開く。

ある時、ある会食中に、ひとりのオーストラリア人の女性が何かの話の中で「わたしはアフリカの孤児たちを救うために毎年お金を寄付しています。」と言ったことがあった。それに対して別の若い女性が質問をした。「世界中に、例えばこの国フランスにも、 あなたの国オーストラリアにもたくさんの孤児がいるのに、なぜアフリカなの?」

Vegan(ヴィーガン)とは、肉や魚はもちろん卵も乳製品も口にせず、食用以外でも革製品など一切の動物利用を排除する考え方のこと。蜂蜜も蜂が作ったものを人間が搾取するという考え方に反対し、蜂蜜も口にしない。世界では蜂がどんどん減っている。環境汚染が問題で、このままでは絶滅してしまう種類もあるのではないかとも言われている。生態系を維持するうえで、花粉の媒介者となる昆虫の役割は不可欠で、種子や木の実、野菜、果物などの生産も、昆虫に依存するところが大きい。その中でも、特に養蜂家によって飼育されるミツバチの活躍は特にめざましく、他の昆虫に比べて20~30倍もの送粉機能を持っていると言われている。蜂が作ったものを搾取するという考え方も結構なのだけれど、実は蜂というのはヨーロッパや南米では人と神聖な繋がりのある動物であり、長い間(約9万年も前から)人間と蜂は蜂蜜を介して共存を守ってきた。 蜂蜜を採集するには例えば牛乳を搾取するような機械仕事はありえない。すべて人が作業をしなければならない。今蜂を守っているのは、実は蜂を飼育している養蜂業者のみだと言われている。それでいて、蜂を守るために蜂蜜は食べない。パラドックスだ。わたしはベジタリアンなので、日々こういうことについて考えてしまう。

市場でイスラエル産のアボカドを手にし、考える。わたしはこれを買わない。


フランスはテロの標的になっている。他の国と比べるとテロで死んでしまう確率は大きいだろうと思う。だからと言って、日本の暮らしはわたしにとっては必ずしも安心だとは言えなかった。市場に並ぶほとんどの食品に入っているアミノ酸はフランスの食品で見たこともない。日本の医療資格のレベルが他の先進国では国家資格として通用しないことも目の当たりにした。食事中もスマートフォンだらけの状況をみることも少なくなった。テロのように一瞬で死んでしまうことがないかわりに、ゆるりゆるりと自分の選択していないところで(本当は自分の選択なんだけれども)割与えられた未来の病気を抱えている。だから、すごく、ひとつひとつ目を開けて自分自身で選択していくしかないと思うのだ。日々自分自身で選択するということは、少なくとも自分に責任があるし、それに希望がある。

自分が信じていることを何度も何度も洗ってみなければならないと思う。そうじゃなければ、前から何回も書いているけれど、いつだってわたしたちは精神的なBoBo(ボボ)になってしまう。


この瞬間、わたしが浮かんでいる空間、わたしの体の感覚、わたしの体を揺らすリズム、わたしの体に響く音、目眩いを起こさせる色、記憶、感じていること、あらゆる気配、わたしを包むもの。それらすべてが交差する一点の染み。内側に侵食し、広がる滲み。
浸す、湿らす、染める、紡ぐ、結ぶ。
ここ、この場所に。
全ての音を。
わたしはゆっくり息をする。
濃密な霧のような体の温もりを感じ、境を慈しむ。
魂のための今を、丁寧に紡いでゆく。

愛しい日々の連続を。



0 件のコメント:

コメントを投稿