2017年3月19日日曜日

久しぶりにがくんと落ち込んで、それからぺこりと起き上がったこと

フランスで生活をしていて、時々、いや、かなりの確率で、自分が子供みたいに感じることがある。ひとりで完璧に何かをすることができない、自分の言いたいことの半分ぐらいしか人に伝えることができない、細かなニュアンスをうまく伝えられない。そんな時、自分が今まで社会の中でいっちょまえに生きてきたという幻想を抱いているだけの、ただ年だけを重ねた身体とのサイズに違和感を感じている子供のような、自分が奇妙な生き物になったように感じて愕然とする。


久しぶりにがくんと落ち込んだ出来事があった。結局のところすべては自分の無防備さと甘さ、自分が的確にフランス語で相手に意思を伝えられなかったことなどが原因で起こったことだ。ぐるぐる頭からその出来事が離れず、久しぶりに眠れない夜を過ごした。その問題を乗り越えるためにはきちんとしたフランス語で相手に自分の考えていることをくっきりはっきり伝えることが必要で、自分の態度で、言葉できちんと自分の意思を表すこと、わかりやすく明確に要点を手短にフランス語で伝えることの重要さを学んだ。
そのことに対して自分はどう思っているのか、どう感じているのか、どんな考えを持っているのか、自分はどうしたいのか、それからどんな人たちと付き合っていきたいのか、そういうことが今回の出来事でとてもクリアになった。けっこう2、3日久しぶりに落ち込んだわけだけど、結果それはわたしにとっては必要な経験で、とても勉強になった。


それから、この一連の出来事を話せて、しかも親身になって聞いてくれて一緒に憤ってくれたりする友達が周りにいることのありがたさも再認識した。いつも感情表現豊かなわたしの周りのラテン人たちが、こういう時、大げさに慰めたりせずただただ優しい感情と論理的な視点と冷静な大人の見解を持ってわたしの話を聞いてくれるということに、小さな感動を覚えた。「その悔しさ覚えておくんだよ、それを糧にするんだよ!負けんなよ!」的な体育会系がけっこう苦手なわたしは、その大人な優しさにしみじみ癒される。


その起こった一連の出来事を相談した友達のひとりと、そしてCyrilは別々に、けれども同じことをわたしに言った。「賢さというのは心の温かさを持ってこそ賢さと言うんだよ。心のないずる賢さや相手に恥をかかせるような態度、攻撃的な態度、口先だけの会話、いろんなことを後ろに隠しながら繋ぐものなんて、ただの大きなエゴの塊から生まれたものでしかない。ビジネスだって友情関係だって、そういうエゴの持ち主とどう付き合うかはいつだって自分が決めていけることだよ。」


日本にいた時の何年間か、エゴがうずまく世界で仕事をしてさんざんへとへとになった。とてもよい経験だったし、そこから得たものは大きいけれど、何よりもそれぞれのエゴを全面に出しながら密接に関わりあう関係はもう懲り懲りだ。何より自分のエゴと向き合うことで精一杯なのでw、他人のそれに付き合うのはできればもう避けたい。



それにしても、今回、起きた問題をクリアするために、相手にきちんと自分の意見を伝えるために、改めてフランス語に向き合ったわけだけれど、やっぱり自分はこの言語が好きだなと感じた。話せば話すほど増す増す好きになっていく。日常生活の上でこれほど意味のない能力はないのではないかと何十年もの間常々思ってきた、小さい時に習得した絶対音感のせいで、いや、おかげでというべきか、日々、一句一句自分がフランス語を発する度、自分の発音とネイティヴの発音の違いが気になって気になって頭を掻きむしりたくなる衝動に駆られるぐらいイライラさせられている。自分の発音の不協和音にイーッとなる。のだけれど、それでも自分はこの言語が好きだとすごく思うのは、フランス語が奏でる音の美しさのせいか。
最近仲の良い3歳の可愛いわたしの友達は、大人の話す言葉できちんと文章を組み立て、フランス語を話す。彼女の発音はもちろん、語彙力、文法力にはもうわたしはすでに負けている。人にきちんとした発音できちんとした文法で何かを伝えることは、大事なことだ。言語をきちんと自分のものにすることで、社会の中で少しずつ大人になっていく...いけたらいいなあw

愛しい日々の連続を♡



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