2016年5月22日日曜日

センスの正体

何事にもセンスが必要だ。と思う。会話をするセンス。服を着るセンス。香りを纏うセンス。目線をそらすセンス。言葉の使い方のセンス。笑うセンス。黙るセンス。踊るセンス。言い訳のセンス。嫌味のセンス。汚い言葉を吐くセンス。奏でるセンス。聴くセンス。綴るセンス。食べるセンス。飲み方のセンス。余白のセンス。描くセンス。色のセンス。気づくセンス。自分の中の醜いものに、気づくセンス。

必要なものを選んで、そこからもう一度捨てるものを選んで、組み合わせる。

選ぶことより捨てることのむずかしさ

いつからか、外見だけの美しさや、言葉のアピールだけの美しさ、というものに退屈を感じるようになってしまった。高いドレスを纏い、内面の孤独から目をそらせ続けている人は外見を際限なく取り繕う。意味のないお喋りで場を埋め尽くす。エレガンスからどんどんとかけ離れてしまう。そういう人たちをみると、もうエレガンスを諦めてしまったのだろうかと思う。それともそもそもエレガントであることに興味がないのかもしれない。フランス人の男性たちはとても優しいけれど、時々意地悪なので、そういう女性を見ると顔面の皮膚を全部首の後ろへ集めて架空のヘアゴムでしばるふりをして、揶揄する。

人が”将来を約束された”という表現を使う時、それは「経済的に裕福な生活ができる」、もしくは「名声を手に入れることができる」ことを指すのだろうか。わたしには、そのどちらもが一定の時期になら役に立つのかもしれないけれど、将来を約束するにはとても脆い種類のものだと感じてしまう。

生きるために踊ることの美しさ

精神世界をお洒落な売り物にしてしまった人たち、言葉たくみにそっちの世界の魅力をアピールする。物質主義的ではないのだと声高に叫んでいるその渦中をのぞいてみると、そこは結局のところ同じ世界。アースカラーでボタニカルで、地球的に”最先端”で植物的に”お洒落な”物、物、物。
そしてその内面にある排他的な感情を見つけてしまっては少しだけ落ち込む。そこにある偽りのアヒムサのトゲを見つけては、これはいったい何だろうと途方にくれる。仕方がないので目でぐるりと空を仰ぎ、ふうとため息をつく。こんな時フランスのジェスチャーは便利だ。

エゴと対峙した時にできること

こんなことを考えているわたしは、意地悪だと思う。
そしてどれもこれもわたしの中にもあることを知っている。
時には渦中にいたり、時には傍観したり、時にはまったく関係なかったり。
そしてわたしもまだここから抜け出す術を知らない。  

湧き上がるものがあれば自然に結びつく方法を知ることができる。
”本能”とよばれるものを使いながら、そこに飛びつかないセンスを磨く。
磨いていけているのだろうか?
嗅いだものを選り分ける。要らないものを嗅ぎ分ける。
...もしかしたら。センスは引き算の能力なのかもしれない。

大好きな女友達と久しぶりに話しこみ、別の大好きな女友達からメッセージが届き、また別の大好きな女友達から手紙が届く。どれも同じ日だなんて。なんて贅沢で素敵な日なんだろう。

愛しい日々の連続を♡




1 件のコメント:

  1. Ayami ちゃんの文章、本当に大好きよ。
    ”センスのある人、ない人の違いってなんだろー”と、
    センスのある人に異様に憧れを覚える私にはツボでした☆

    Kaori

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