2015年10月8日木曜日

深い関係、光の重なり、変化

うっかりと本の世界に引き込まれてしまい、あるいは、すっぽりお尻を包み込むひとり掛けのソファとうっかり深い関係になってしまい、気がつくと窓の外はもう薄暗い。思いがけずカフェに長居をしてしまった。急いで勘定を済ませ、外に出た。


ぼってりと空全体を密閉している灰色の雲。肌寒さを感じ、シャツの襟元を寄せる。今にも雨が降りそうで、家路を急ぐ。帰宅時のラッシュだ、あちこちで車のクラクションが鳴り響く。
同じように家路を急いでいるのか、早足で歩く若い男がわたしを追い越した。追い越し際、その男が吸っているタバコの煙がわたしの顔に触れる。
その瞬間、時が止まった。何か強烈な記憶の気配が瞬時に体を包み込んだ。
そしてその感覚の懐かしさに、クラクラした。


曇天の空、肌寒さ、タバコの煙、クラクションの喧噪、灰色のグラデーションに包まれた街。南仏の青の街を沈ませ突如浮き上がったモノクロームの空間。
それは身体に染み込んだParisの記憶。

永遠を感じさせる存在と静けさの音色は、完璧な調和を。
控えめな太陽も妖艶な月も、その軌道をめぐり
光も力もその場所にある。
瞬間、毎時、すべてがそこにある。
光が宿っている。


ここ3日間、自分の中で、何か少しずつの大きな変化を感じている。
大きくバランスが崩れ、自分でもコントロールできない何かが動いた。
自分が今まで克服できなかった内側の固い塊の存在を再認識し、それに面と向かっている。いよいよそれを溶かし始める時、始められる時が、きたのかもしれない。


変えることができないことについては平穏にそれを受け入れる恵を。
変えるべきことについてはそれを変えてゆく勇気を。
そして、その二つを見分ける知恵を。
(The serenity Prayer より引用)

そばにいてくれる愛しい人への愛を。
そして、愛しい日々の連続を♡







2015年10月1日木曜日

イチジクの色気に自由を隠す

フランス人はお喋りだとよく言われるが、よくもまあ次から次へと口が動くことだと今まで何遍思っただろうか。わたしの夫もやっぱり、よく喋る。
喋るとひとことでいっても、内容はたわいない雑談に始まり、政治、哲学、思想、いろいろあるけれど、世間話をする”喋る”というものから始まり、意見を交換する”話す”という類いまで。話す、話す、話す。
もはや今わたしにとっても、それはなくてはならないものになっている。
とにかくわたしたちは、いろんなことを話す。


彼が仕事から帰ってきた夕方。まだ空は明るく夕飯の支度にも早い。ちょっと外を散歩しようかと外に出る。アパートの扉をバタン、鍵をガチャリと締める。短い螺旋階段を静かに降りる。中庭でタバコを吸っている階下に住むリュシアンと挨拶を交わす。大きな緑の扉を開けて外に出る。

そういえば、読んでたインド哲学の本、もう読み終わったの?どうだった?
わたしたちは話し始める。教会の鐘がなる。2つ目の角を左に曲がる。Rue Bonaparte(ボナパルト通り)。フランス人はこの道をナポレオン通りと呼ぶ。夫もそう呼ぶ。この通りに好きなカフェが手前に1件、奥に1件。最近は奥の方が気に入っている。彼のお父さんがくれたいい香りのろうそくについて話ながらテラスに座る。あの香りはもうアパートの部屋から消えないよ。それくらいずっと嗅いでたい香り。
ノワゼットを2つお願いします。


何を話してたんだっけ。そういえば人が何かの意見に狂信的になることについてなんだけどさ...etc
ここのノワゼットには手作りのクッキーがひとかけら付いている。それが美味しい。そのクッキーをノワゼットにひたしながら話を続ける。
デモの代表に学生がいつも使われるという偶然の(!)歴史について、誰が法案を通したいのかについて、自分の憧れの女性が実はそんなに知性が深くなかったと気づいたときどうするかということについて、仏陀とキリストが言ったそれぞれの言葉の表現の違いについて...etc

まだまだ話し足りなくてわたしたちはカフェをお代わりする。
で、何を話してたんだっけ。そうそう、可愛い小物を売るという行為について、消費について、それからおととい買ったイチジクの色気のある甘さについて...etc


4杯分の小銭を置いて、席を立つ。Merci! Bonne journée!
今日履いている靴の色について話しながらまた歩き始める。
電子音だらけのエレガントからかけ離れたファッションショーについて、道でよくすれ違う整形をたくさんしている男性について、ナルシズムと外見と精神の歪みについて、リズム感の無い人の踊りについて、わたしの大いなる偏見と反省について...etc
ここまで話していると随分遠くまで歩くことができる。とくに目的地があったわけではないので折り返す。


先週買った家具の色について、犬の糞に対する法律について、アマデウスについて、決まり事の無意味さに気づくことについて、なぜ世界は現代アートを根付かせたかについて...etc
ちょっとここに寄ってもいい?ズッキーニを買っておきたいから。
あ、パンも買おうよ。香ばしい匂いを抱いて、また歩き始める。
友達から届いたメールの内容について、妄想と現実について、作り込まれた現実について、管理下の世界について、海岸沿いを走る気持ちよさについて...etc


街中は音に溢れかっている。店でもカフェでも通りでも。わたしたちは大きな声で相手に話しかけなければならない。
わたしたちの耳に大きな音で鳴り響く電子音は必要だろうか?
それは本来ある何かをかき消すためのものなんじゃないだろうか?
いろいろな物事の本来が持つ本当の意味を取り戻したい。

気づいたらアパートの建物、緑の扉の前。中庭を通り短い螺旋階段を登る。
リュシアンが中庭でタバコをくゆらせながらワインを飲んでいる。Bonsoir!
鍵を開けて部屋に入る。


窓を閉めカーテンをひく。ろうそくつける。パチュリの香りが広がる。
裸になって布団にもぐりこんでも話している。
ひとりひとりがするべき内側のことについて、場所の空気と自分の肌が混じり合うことについて...etc

わたしたちは話すことを止めない。わたしたちにはまだ話す自由が残っている。
寝て、食べて、それからの続き。
本当の自由のために。愛のために。

愛しい日々の連続を。








2015年9月17日木曜日

目の前にあるもの

わたしの目の前には扉があった。
深い緑のペンキ、朽ちた木の気配。
時間の経過が放つすえた匂い。


南仏の日差しはどんな時間でも正面から照りつける。
ついうっかりサングラスを忘れると、その日一日中日陰を探して歩くことになる。

アパルトマンの建物には共同の小さな中庭がある。
誰がどのような権利で管理をしているのか知らないが、住民が思い思いに持って来た観葉植物が中庭のふちを囲い、真ん中には小さな木が植えられてあり、その脇には椅子とテーブルが置かれている。


誰の趣味か知らないが、この建物のあちらこちらに、海辺で拾ってきたであろう手のひらサイズの色とりどりの石が転がっている。
中庭の木を囲むようにその石が綺麗に並べられているし、共同のごみ捨て場の角にも幾つか並べられている。

このアパルトマンに越して来た日、雨戸を開け部屋から中庭をのぞこうと窓を開けた時にも、窓のふちに並べられた石たちと目が合った。
 

建物には直接陽が入らないので、真夏でもひんやりとしている。薄暗い共同の廊下をひたひたと歩き、正面玄関の思い扉を開けると、突然強い光が目を射す。
越してきて二週間、ここの暮らしにも少しずつ慣れてきている。
ひたひたと廊下を歩きながら鞄をごそごそ。
玄関の扉を開ける前にサングラスをかける。 

今日もわたしの頭上には突き抜ける濃い青があった。

カルダモン、クミン、シナモン、ジンジャー、スパイスで始める朝


フランスで生活を初めて2ヶ月。新しいアパルトマンへ引っ越して2週間。
新しい食べ物や面白い場所に出会って嬉しかったり、
自分のフランス語のレベルにため息をついたり、考えたり感じたりと
体はフル回転でぐったりする時もあるけれど、この街の美しさの匂いと空の青を栄養に、深く呼吸をし始めました。

親友が夢に出て来たので、その朝の朝食はネイティブアメリカン風 

ニース、素敵な街です。
愛しい日々の連続を♡






2015年9月9日水曜日

美しさに宿る力

フランスには必ず公共の場所に芸術作品が置かれている。
これは国の取り組みで、芸術家たちを支援するための政策のひとつなのだそうだ。公共の空間に設置される芸術作品のことを、パブリックアートと呼ばれている。「公共的な芸術」。最近気になることがあるので、ちょっとパブリックアートについて調べてみた。

wikipediaには、
”パブリックアートとは、設置される空間の環境的特性や周辺との関係性において、空間の魅力を高める役割をになう、公共空間を構成する一つの要素と位置づけされる。”と説明されている。

ニース市外の中心に位置するPlace Masséna(マセナ広場)
コートダジュールの空の色と、ニース独特のイタリア建築の建物の色を
開けた空間の中で体感できる場所。

wikipediaの説明をどこまで正しい定義として扱うかということももちろん考えなければいけないけれど、”設置される空間の環境的特性や周辺との関係性において、空間の魅力を高める役割をになう”というところは市民にとって重要なことではないだろうか。

わたしはここフランスで、公共空間に設置されている芸術作品に対して個人的に疑問を持っている。はて、この芸術作品たちはこの自然景観と調和しているのだろうか?「空間の魅力を高める役割」からかけ離れているのではないか?と疑問を感じるのだ。

そのマセナ広場になんか変なものが。
街灯かと思ってよく見ると、

彫刻家ジャウマ・プレンサ(Jaume Plensa)によるパブリックアート
全部で七体

20世紀後半から、芸術は美しさを最大の価値とはしていないのは明らかだ。現代アートは、美しさではなくある種のショック、刺激を鑑賞者に与えるものが多い。あるいは作品を前にして、「これは一体何なのか?」と疑問を鑑賞者に彷彿させるもの。大まかな定義では、現代社会の情勢や問題を反映し、美術史や社会への批評性を感じさせる作品のことを現代アートと呼ぶらしい。現代アートを全面的に否定するつもりはないが、パブリックアートにおいて最近いくつもの問いが頭をめぐるのだ。

長い歴史の中で芸術とは、人間の創造を超えた美しさを表現する、そしてそこに宿る精霊のようなものを伝え残すものではなかっただろうか?
なぜ”美しさ”から距離を置く必要があるのだろうか?たとえ”美しさ”に価値は置かずとも、反対の”醜さ”を氾濫させてるのではないだろうか?

夜になるともっと酷い。
街灯の明かりを無視して、ディズニーランド化

美しさや醜さはもちろん個人的な感情、主観に因ってくるので、普遍的な定義はないのだし、両者はそれぞれ個人的主観、社会の構造などで変動することもある...

なんてこむずかしいことは美学やら芸術学やらの専門家の何百枚の論文にまかせるとして、フランスで目にするパブリックアートに本当にいつもがっかりさせられているので、ここで鬱憤をはらしたいだけのことw

フランスでは歴史的なモニュメントや広場、場所で、多く、”醜い”現代アートが設置されているのを目にする。”醜い”というのがわたし個人の感情からくるものなのであれば、言い直す。その場所に居る人に何かしらのショックを与えるもの、設置されている周りの環境から浮き出ている存在のもの。
これらを目にする度、これはもともとの自然景観の美しさを破壊しているのでは?と感じるのだ。もともとそこに在るだけで美しい、例えば何百年も存在する歴史的な建物や広場の前に、ショックを与える奇異な現代アートは必要なんだろうか?それを設置させることで、人々が美に対する考えを知覚し直すための挑戦?そんなこと、少なくともわたしは望んでいないし、もしそうならそんな挑戦個人的に勝手にやってくれと思うのだ。こんな作品、この場所に無い方が景観は美しいと感じるのはわたしだけだろうか? わたしたちの趣味嗜好は十人十色、万別なので、特殊なものや奇異なものは個人の所有空間に設置する、もしくは個人が携帯するだけではだめなのだろうか?

わたしが今のところ見た中で一番ひどいと思うパブリックアートは、マルセイユにある。
道路のロータリーに突如出現する、セザール(Cesar)による巨大な親指

とはいえ、わたしも学生の頃、訳もわからず現代アートかっくいい!なんて思っていたし、あの頃なら、遊びがあっていいんじゃない?なんて公共の場所に出現する変なものもアートだわなんて思っていたに違いない。
年をとっただけなのかもしれない。
それでも最近、物質で溢れる現代社会で、昔からあるさまざまな価値観は徐々に、正反対の意味することを示していっているのではないかと感じるのだ。美しさの価値もそうだと思う。よく昔から、人は内面の美しさが外見に現れると言うけれど、わたしは、美しさには何かスピリチュアルな力があるのではないかと感じている。その美しさの代わりに反対の醜さへ価値を置くことで、そこに宿る力が減少する。人々を散漫させるには、美しさから遠ざけ、醜さや汚さの中に放り込んだら、都合がよさそうだ。偉大なパブリックアートの前を通る時、わたしの頭にはいつも「裸の王様」の寓話がよぎる。

美しさに宿る力を取り戻したいなと感じている。

変な写真ばっかり載せて好きな写真を載せられなかったので、フラストレーションがたまるw ので、最後に全然関係ないけれど、家から5歩歩いたところにある内装が超好みのイタリアンレストランの写真と、最近ハマりまくっているビオスーパーのラビオリ。リコッタとほうれん草だとか、セップとチーズだとか最高の組み合わせがたくさんあり。手抜きが癖になってしまう!




美しさは特別なことをしなくても、多分いつもすぐ目の前に広がっている。
愛しい日々の連続を♡




2015年9月3日木曜日

教会の裏、色の夢


新しいアパルトマンに引っ越してきた。
一筋縄ではいかず、少々騒動ありの引っ越しを終え、ここ何日か朝から掃除や買い出しなど毎日パタパタ動く日々を送っていた。
少し片付けも落ち着いてきたので、ちょっと気分転換に外に散歩に出てみた。

  
新しい土地で、新しい生活、知らない隣人の人たちとのやり取り、近所の散策、心躍るようなことがあったり、少し落ち込んで不安になったり。まだまだ日常の生活することにおいて、感情で左右されるなあなんて、気づくことも多い。ちょっと気分が落ち込んだときなんかは、バスに乗ったり、カフェに行ったりして周りを見渡してみる。


一歩街に出ると、本当にいろんな肌の色、髪の色、目の色、体系、服装、話し方、歩き方...etc、色々な人がいることに気づく。女性も、特に髪型にいたっては本当に様々。流行なんてものはこの国には存在しないのではないかとさえ感じる。
日本のことを悪く言いたいわけでは決してないけれど、日本では髪を茶色に染めて、モテ雑誌の中の写真と同じようなメイクをして、爪に絵を描いて、ヒラヒラと可愛いファッショに身を包む女性たちを見ることが多かった。個人的に、そういう女性はみんな一緒に見えるなあなんて思っていた。この国では年を重ねた女性も、ベリーショートからロングヘアまで様々で、年をとっているからおばさんらしく短くしなければならないなんて、そういうのはない(笑)
なので女好きのわたしとしては、街を歩いて女性を観察するだけでもほんとに楽しい、うはうは。



この国で改めて生活をし始め、他人との比較ほど意味のないものはないのではないかという思いが強くなってきた。内面はもちろん知性や生活スタイル、外見すべてにおいて、他人と比較するより自分の個性をのばす方がよっぽど効率的で、生産的で、それから楽しい。もちろん奇抜なものがいいというのではない。ひとりだけ目立てばいいとかそういうものも趣味が悪いように感じる。
調和の感覚も大切にしながら、個性をのばす。簡単にすぐにできることではないかもしれないけれど、それでも時間をかけてでもやるべきことなんじゃないかと思う。自分を楽しむこと。



日本から、たくさんの本を荷物に詰めて来た。まだ整理ができていないので、適当にパッと思いついたあるヨギが書いた一冊の本を手にとって、最近読み始めた。その中に、ハッとリンクする文章があった。

”比較を落としなさい。あなたは唯一無二の存在なのだ。
...
あなたの唯一無二の個性を尊重しなさい。そして比較を落としなさい。
...
あなたが自分の中の何かを否定するとき、あなたは、それを他人に投影する。”


バスや、カフェや公園のベンチなんかで、外見が様々な人たちがみんなおおいになんだかんだぺちゃくちゃ話をしているのを見て、なんか髪型も服もさまざま、色とりどりの鳥みたいだなと思う。それで、よし、わたしはわたしの個性を楽しもうと勝手に思うのだ。


このアパルトマンは教会の真裏にある。
毎時間ゴーンゴーンと鐘が鳴り響く。
色で溢れている夢をみた。鐘の音が心地よく目が覚める。

みなさんも、色とりどりの素敵な日々を♡







2015年8月26日水曜日

結婚式の一日

結婚式が無事終わった。親族と親しい友人だけの小さな結婚式で、終始アットホームな雰囲気で緊張することなく。

区役所で区長さんのスピーチを聞いて誓いをする。証人とともに婚姻届けにサインをする。区長さんが気の利いた軽いジョークをはさむので、場が和む。
区役所での式が終わった後は、親戚の家に移動してカクテルパーティ。ロゼやシードルなどののお酒を飲んで軽食をつまむ。


わたしはこの日一日で、どれだけの回数のビズをし、どれだけの人に抱きしめてもらっただろうか?とても温かく家族に受け入れてもらったことを本当に感謝する。

↓家を出発前。まだ時間の余裕ありw

さて、この日朝から晩までフランス人だらけの中に居て、改めて二つのことを発見した。ひとつめは、彼らには「時間を守る」という概念がないわけではなく、「前もって時間を計算する」という概念がないのだということ(笑)
それからふたつめ。彼らのお喋りが時間の遅れにおおいに関わっていること、そしてそのことに誰ひとり一切気づいていないということ。


朝8時ホテル。比較的ゆっくり起きて、彼と一緒に準備をし始める。今日の段取りを彼に尋ねる。「すぐにお義母さんの家へ移動して、ゆっくり朝食をとる。シャワーを浴びる。10時半に花屋さんへブーケを受け取りに行く。その後、11時にナタリー&フランクをホテルまで車で迎えにいく。そこから家で料理をして軽い昼食をとる。ドレスに着替えて身支度をして、13時過ぎに出発する。14時に区役所で全員と待ち合わせだからね。余裕だよね。」
彼はなんとも時間に余裕があるかのようにわたしに話す。
でもかつてフランスで、時間に余裕があったことなんてあっただろうか?


結果、その後の時間の経過はこうだった。
お義母さんがホテルに迎えてに来てくれたのが9時前、家に着いたのは9時半前。そこから朝食をとる。(もちろんたくさんのお喋りとともに。)花屋には10時半の予定じゃなかったっけ?わたしはすでに時間の余裕のなさにそわそわしている。わたしがシャワーを浴びたのは10時。わたしが彼に急がないとと促してようやく彼も時間のなさに気づき始める。彼がシャワーを浴びたのがそのあと。家を出るのは当然10時半。
花屋でブーケを受け取るまでの10分間、お義母さんは、たくさんやることがあるので、車で一旦家に帰って食材屋さんによって、それからもう一度わたしたちを花屋まで迎えにくるという。10分間でそれをする??ぜったいにできないとわたしは心の中で確信する。


案の定、わたしたちは花屋の前で15分ほど待ち、当然ナタリーたちのホテルに着いたのは11時20分。家に戻ってきたのが11時半。
なんとか昼食も、身支度も済ませ、時計を見ると13時過ぎ。
あら、なんだ余裕だわ、なんて思うのも束の間。彼のお姉さんの到着を待つこと30分。
出発13時45分。14時ぎりぎりに区役所に着く。式は14時半からなので、まあ大丈夫、問題はない。初めて合う親戚たちとひとりひとり挨拶を交わす。
14時半、恋人が慌てている。お義父さんがまだ到着していないとのこと。
探し回ってやっとお義父さんを見つけ(実はお義父さんは13時に到着していたのだが、門番とお喋りをしていたらしい)、式は20分遅れで始まる。そう、さして問題はないのだ。


カクテルパーティの後は、16時半頃からスタート。その後の予定は、若い人たちだけで街のレストランで20時に夕食の予約をしているので、時間には余裕がある
...本当に?

現実はこう。
パーティの間、約3時間ひたすら喋り続け、時計を見ると19時半。
そろそろ行く準備をした方がいいんじゃないかと彼を促す。じゃあそろそろ行こうかと言ってすぐに出発できるなんて、 フランスではありえない。ひとりひとりにさよならの挨拶をしなければならない。ビズをして抱きしめあって、それからまたお喋り。やっとこさ、出発しようと玄関まで集まれたのが20時ちょうど。さあ出発だというそのときに、誰かが車の鍵がないなんて言い出す始末。全員で部屋中を探し回り、無事鍵が見つかり、出発したのは20時15分。


↓朝からお義母さんやお義姉さん、親戚の人たちで準備してくれたカクテルパーティ
ベジタリアンカナッペたちの飾り付けがなんとも好み♥

街のレストランに着いたのは20時45分。店に入るなり、店員の女の子が私に向かって指差しながら、「Vous êtes super jolie! あなた超綺麗!」とウィンクをする。席に通される。45分遅れは、よかった、問題ないみたい。

わたしの友人のナタリーはパリジェンヌ。彼女とは年も近くもう5年以上の付き合いで、親戚みたいに近い大事な友人。彼女は席に着くなりわたしに囁く。「この間Parisで、友達と予約していたレストランに5分遅れたのよ。じゃあサービス係がさ、もう席は他の人に譲ったって、突き返されたの。分かる?たった5分の遅刻で席がなくなってたのよ!それに比べて南仏は最高だね。」


とはいえわたしも実は、もともと日本に居た時からいつも時間に遅れてしまうたち。お喋りで時間に遅れることはないが、時間に余裕ができると要らないことをごちゃごちゃ入れ込もうとしてしまい、結果遅れるタイプ。でも、ここフランスで、はるかに自分を超える時間感覚の持ち主たちの中にきて、さすがにハラハラする。なので、今、これからの自分はどうするべきか、立ち位置に迷う(笑)
自分が引っ張っていけるように、自分の時間の感覚のネジを改めてきつく締めるべきか?
もしくは、郷に入れば郷に従え、この人たちに合わせて自分のネジをもっともっと緩めるべきか?
...きつく締めて自分が引っ張る?!
この自己主張が強いフランス人たちを?
まさかそんなことはできっこない!

というわけで、時間に遅れた時のあの、さも重大なことが起きたかのような大げさな言い訳の仕方を、態度を、表情を、この温かい愛すべき家族の中で、これから学んでいこうと思う♡ww

みなさんも言い訳はユーモアでくるみつつww 愛しい日々の連続を♥︎



その他、結婚式の細かな様子は”Ayamiのフランストリコ”にて♪




2015年8月20日木曜日

場所と体とアムールと

不思議なもので、自分の居る場所が変わっただけで、体や気持ちが楽になるということがある。体が変わったり、その人が持つ雰囲気も変わったり、人によっては分かりやすく人相まで変わる。


フランスに来て、なんというか、今まで以上に楽になった。体の面も。気持ちの面も。6年前Parisに住み始めた時も同じように感じたので、フランスの気候なのか、もしくはこの土地の持つ周波数のようなものが自分に合っているのだろう。あるいは湿気のせいなのかなとも考える。わたしは湿気にかなり弱くて、湿気が多いと体調を崩しやすい。気圧の変化にも少し敏感で、一種の低気圧アレルギーのようなところがある。湿気が少ない土地にきて、ただ体が楽になっただけのことかもしれない。

楽になったようなのは恋人も同じようで、日本に居るときの彼はもう少し繊細でどこか少し気むずかしいイメージがわたしの中にあった。3か月ぶりにあった彼は、その気むずかしさは驚くほどなくなっていて、おおらかになって、もともと穏やかで優しい人だけれど、もっと楽しい空気を増した雰囲気を醸し出すようになっていた。彼にとってはフランスが母国なので、もちろん気が楽になるだろうと思う。彼が日本という外国できついことがあった時も知っている。わたしたちはここにきて、今までよりもっとふたりで気持ちを楽にして居られるようになった。


自分自身が精神的に安定すること、精神的な自立がどれだけ大切なことか、ここ2,3年くらいの中で体感した。人は、モノに、人に、環境に依存しやすくて、目を話した隙にすぐに何かに依存しようとしてしまう。精神的に自立するために何が必要なのか、何が不必要なのか、それを探し求めることにことさら集中した時期もあった。
自分が精神的に自立していくにつれ、周りとの関係も変わってきて、どんどん楽になって、いろんなものが自然に流れるようになった。感覚は敏感になるけれど、不安には鈍感になってあんまり一喜一憂しなくなるような感じ。そうなると、精神的に安定しているからその状況になるのか、もしくは安定することを求めているからその状況を選んでいるのかわからなくなるのだけれど、多分そのどちらもそうで、最初からそういうものなのかもしれない。
フランスに来たから自分自身が今まで以上に楽になったのか、もしくは自分が楽になったからフランスに来たのか、おそらくそのどちらでもあるのだろう。


フランス人、この人たちの多くは(全員がそうではないと思うけれど)、いとも自然に言葉で、態度で、表情で、体全体で、気持ちを表現する。もちろん、これはいい意味でも悪い意味でも。(直接的な態度や言葉に慣れていない人にとっては、戸惑うこともあるだろうと思う。)このことはフランスに来て改めてわたしに、恋人はフランス人だったのだと認識させた。
彼は、日常生活の上で、大事な人同士は体の触れ合いが大事だと、日本に居る時からわたしに言い続けてきて、身をもってわたしに教え続けてくれた。恋人同士はもちろん、友達同士や家族で、愛情を言葉でもたっぷりと、それだけではなく、肌でも伝えること。電話で彼はお父さんと、もしくはお母さんや兄弟と話しているとき、何か辛そうなことがあったり安心させたい時があれば必ず”Je t'aime”(ジュ テーム 愛してるよ)と伝えている。それから例えば、相手が辛そうにしている時、肩を撫でたり抱きしめたりする。
相手を大事に思うことを、相手の体に直接伝えること。今までのわたしに不足していたことだった。彼と居るようになり、その感覚を少しずつ取り戻し、体のつながりは子供にだけ必要なわけではなく大人にとってもどれだけ大切かを知った。

わたしがフランスに着いて2日目、彼のお母さんは「大丈夫?長旅で疲れたでしょう?」と後ろからわたしの両方の肩をゆっくり撫でた。
こういうことを自然に大人同士でもし合えるということは、その分やっぱり体が、気持ちが、楽になる。


そして例えば恋人と。些細なことを”話合わなかった”ことで誤解が生じて、そこからお互いのエゴが大きくなって、何かのせいにしたくなって相手を傷つける言葉を使ってしまう、なんてことも起こったりして、恋人がふと「僕たちは全然まだまだ自分自身のエゴにとらわれているね。」なんて言って、ふたりで苦笑する。


精神的な安定のほうへ向かえば向かうほど、わたしはどこまでいっても動物なのだ感じさせられる。体の温もりだとか、元気にする食べ物だとか、その土地の匂いだとかその土地の空気だとか、それらに包まれる心地よさを本能で知っているし、その方向に向かおうとする。それから、エゴが決して敵ではないこともわかるようになる。


何を言いたいのかといえば、よくわからない(笑)
ただ、もし例えば体調がよくないとか、何かに不安を抱いているとか、精神的に安定できていないと感じる人がいるなら、少しの間でも例えば自分の居る場所を自分の鼻が利く方へ変えてみるというのもひとつの方法かもしれないな、と、この南仏の深い突き抜ける青と、海の輪郭の色を知って、ふと思った。それから、本当は最終的な優しい場所はいつも自分の中の奥の奥の方にあることを知れたらと思う。


毎日愛しい笑顔で誰かと笑いながら、ひとりの時、今の状況から抜け出せないと不安に沈む夜を抱える大切な友人たちへ。大切なことのためにこれから何かに挑戦しようとしている頼もしい友人たちへ。風にのせてAmourを♡



 ★★★お知らせ★★★
このブログとは別に、フランスの生活を中心にした、見ること、聞くこと、食べること...etc、フランスの魅力をイロトリドリたっぷり紹介するブログができました♡ ほぼ毎日更新しますので、日々の楽しみにしていただけたら嬉しいです。

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