2015年8月26日水曜日

結婚式の一日

結婚式が無事終わった。親族と親しい友人だけの小さな結婚式で、終始アットホームな雰囲気で緊張することなく。

区役所で区長さんのスピーチを聞いて誓いをする。証人とともに婚姻届けにサインをする。区長さんが気の利いた軽いジョークをはさむので、場が和む。
区役所での式が終わった後は、親戚の家に移動してカクテルパーティ。ロゼやシードルなどののお酒を飲んで軽食をつまむ。


わたしはこの日一日で、どれだけの回数のビズをし、どれだけの人に抱きしめてもらっただろうか?とても温かく家族に受け入れてもらったことを本当に感謝する。

↓家を出発前。まだ時間の余裕ありw

さて、この日朝から晩までフランス人だらけの中に居て、改めて二つのことを発見した。ひとつめは、彼らには「時間を守る」という概念がないわけではなく、「前もって時間を計算する」という概念がないのだということ(笑)
それからふたつめ。彼らのお喋りが時間の遅れにおおいに関わっていること、そしてそのことに誰ひとり一切気づいていないということ。


朝8時ホテル。比較的ゆっくり起きて、彼と一緒に準備をし始める。今日の段取りを彼に尋ねる。「すぐにお義母さんの家へ移動して、ゆっくり朝食をとる。シャワーを浴びる。10時半に花屋さんへブーケを受け取りに行く。その後、11時にナタリー&フランクをホテルまで車で迎えにいく。そこから家で料理をして軽い昼食をとる。ドレスに着替えて身支度をして、13時過ぎに出発する。14時に区役所で全員と待ち合わせだからね。余裕だよね。」
彼はなんとも時間に余裕があるかのようにわたしに話す。
でもかつてフランスで、時間に余裕があったことなんてあっただろうか?


結果、その後の時間の経過はこうだった。
お義母さんがホテルに迎えてに来てくれたのが9時前、家に着いたのは9時半前。そこから朝食をとる。(もちろんたくさんのお喋りとともに。)花屋には10時半の予定じゃなかったっけ?わたしはすでに時間の余裕のなさにそわそわしている。わたしがシャワーを浴びたのは10時。わたしが彼に急がないとと促してようやく彼も時間のなさに気づき始める。彼がシャワーを浴びたのがそのあと。家を出るのは当然10時半。
花屋でブーケを受け取るまでの10分間、お義母さんは、たくさんやることがあるので、車で一旦家に帰って食材屋さんによって、それからもう一度わたしたちを花屋まで迎えにくるという。10分間でそれをする??ぜったいにできないとわたしは心の中で確信する。


案の定、わたしたちは花屋の前で15分ほど待ち、当然ナタリーたちのホテルに着いたのは11時20分。家に戻ってきたのが11時半。
なんとか昼食も、身支度も済ませ、時計を見ると13時過ぎ。
あら、なんだ余裕だわ、なんて思うのも束の間。彼のお姉さんの到着を待つこと30分。
出発13時45分。14時ぎりぎりに区役所に着く。式は14時半からなので、まあ大丈夫、問題はない。初めて合う親戚たちとひとりひとり挨拶を交わす。
14時半、恋人が慌てている。お義父さんがまだ到着していないとのこと。
探し回ってやっとお義父さんを見つけ(実はお義父さんは13時に到着していたのだが、門番とお喋りをしていたらしい)、式は20分遅れで始まる。そう、さして問題はないのだ。


カクテルパーティの後は、16時半頃からスタート。その後の予定は、若い人たちだけで街のレストランで20時に夕食の予約をしているので、時間には余裕がある
...本当に?

現実はこう。
パーティの間、約3時間ひたすら喋り続け、時計を見ると19時半。
そろそろ行く準備をした方がいいんじゃないかと彼を促す。じゃあそろそろ行こうかと言ってすぐに出発できるなんて、 フランスではありえない。ひとりひとりにさよならの挨拶をしなければならない。ビズをして抱きしめあって、それからまたお喋り。やっとこさ、出発しようと玄関まで集まれたのが20時ちょうど。さあ出発だというそのときに、誰かが車の鍵がないなんて言い出す始末。全員で部屋中を探し回り、無事鍵が見つかり、出発したのは20時15分。


↓朝からお義母さんやお義姉さん、親戚の人たちで準備してくれたカクテルパーティ
ベジタリアンカナッペたちの飾り付けがなんとも好み♥

街のレストランに着いたのは20時45分。店に入るなり、店員の女の子が私に向かって指差しながら、「Vous êtes super jolie! あなた超綺麗!」とウィンクをする。席に通される。45分遅れは、よかった、問題ないみたい。

わたしの友人のナタリーはパリジェンヌ。彼女とは年も近くもう5年以上の付き合いで、親戚みたいに近い大事な友人。彼女は席に着くなりわたしに囁く。「この間Parisで、友達と予約していたレストランに5分遅れたのよ。じゃあサービス係がさ、もう席は他の人に譲ったって、突き返されたの。分かる?たった5分の遅刻で席がなくなってたのよ!それに比べて南仏は最高だね。」


とはいえわたしも実は、もともと日本に居た時からいつも時間に遅れてしまうたち。お喋りで時間に遅れることはないが、時間に余裕ができると要らないことをごちゃごちゃ入れ込もうとしてしまい、結果遅れるタイプ。でも、ここフランスで、はるかに自分を超える時間感覚の持ち主たちの中にきて、さすがにハラハラする。なので、今、これからの自分はどうするべきか、立ち位置に迷う(笑)
自分が引っ張っていけるように、自分の時間の感覚のネジを改めてきつく締めるべきか?
もしくは、郷に入れば郷に従え、この人たちに合わせて自分のネジをもっともっと緩めるべきか?
...きつく締めて自分が引っ張る?!
この自己主張が強いフランス人たちを?
まさかそんなことはできっこない!

というわけで、時間に遅れた時のあの、さも重大なことが起きたかのような大げさな言い訳の仕方を、態度を、表情を、この温かい愛すべき家族の中で、これから学んでいこうと思う♡ww

みなさんも言い訳はユーモアでくるみつつww 愛しい日々の連続を♥︎



その他、結婚式の細かな様子は”Ayamiのフランストリコ”にて♪




2015年8月20日木曜日

場所と体とアムールと

不思議なもので、自分の居る場所が変わっただけで、体や気持ちが楽になるということがある。体が変わったり、その人が持つ雰囲気も変わったり、人によっては分かりやすく人相まで変わる。


フランスに来て、なんというか、今まで以上に楽になった。体の面も。気持ちの面も。6年前Parisに住み始めた時も同じように感じたので、フランスの気候なのか、もしくはこの土地の持つ周波数のようなものが自分に合っているのだろう。あるいは湿気のせいなのかなとも考える。わたしは湿気にかなり弱くて、湿気が多いと体調を崩しやすい。気圧の変化にも少し敏感で、一種の低気圧アレルギーのようなところがある。湿気が少ない土地にきて、ただ体が楽になっただけのことかもしれない。

楽になったようなのは恋人も同じようで、日本に居るときの彼はもう少し繊細でどこか少し気むずかしいイメージがわたしの中にあった。3か月ぶりにあった彼は、その気むずかしさは驚くほどなくなっていて、おおらかになって、もともと穏やかで優しい人だけれど、もっと楽しい空気を増した雰囲気を醸し出すようになっていた。彼にとってはフランスが母国なので、もちろん気が楽になるだろうと思う。彼が日本という外国できついことがあった時も知っている。わたしたちはここにきて、今までよりもっとふたりで気持ちを楽にして居られるようになった。


自分自身が精神的に安定すること、精神的な自立がどれだけ大切なことか、ここ2,3年くらいの中で体感した。人は、モノに、人に、環境に依存しやすくて、目を話した隙にすぐに何かに依存しようとしてしまう。精神的に自立するために何が必要なのか、何が不必要なのか、それを探し求めることにことさら集中した時期もあった。
自分が精神的に自立していくにつれ、周りとの関係も変わってきて、どんどん楽になって、いろんなものが自然に流れるようになった。感覚は敏感になるけれど、不安には鈍感になってあんまり一喜一憂しなくなるような感じ。そうなると、精神的に安定しているからその状況になるのか、もしくは安定することを求めているからその状況を選んでいるのかわからなくなるのだけれど、多分そのどちらもそうで、最初からそういうものなのかもしれない。
フランスに来たから自分自身が今まで以上に楽になったのか、もしくは自分が楽になったからフランスに来たのか、おそらくそのどちらでもあるのだろう。


フランス人、この人たちの多くは(全員がそうではないと思うけれど)、いとも自然に言葉で、態度で、表情で、体全体で、気持ちを表現する。もちろん、これはいい意味でも悪い意味でも。(直接的な態度や言葉に慣れていない人にとっては、戸惑うこともあるだろうと思う。)このことはフランスに来て改めてわたしに、恋人はフランス人だったのだと認識させた。
彼は、日常生活の上で、大事な人同士は体の触れ合いが大事だと、日本に居る時からわたしに言い続けてきて、身をもってわたしに教え続けてくれた。恋人同士はもちろん、友達同士や家族で、愛情を言葉でもたっぷりと、それだけではなく、肌でも伝えること。電話で彼はお父さんと、もしくはお母さんや兄弟と話しているとき、何か辛そうなことがあったり安心させたい時があれば必ず”Je t'aime”(ジュ テーム 愛してるよ)と伝えている。それから例えば、相手が辛そうにしている時、肩を撫でたり抱きしめたりする。
相手を大事に思うことを、相手の体に直接伝えること。今までのわたしに不足していたことだった。彼と居るようになり、その感覚を少しずつ取り戻し、体のつながりは子供にだけ必要なわけではなく大人にとってもどれだけ大切かを知った。

わたしがフランスに着いて2日目、彼のお母さんは「大丈夫?長旅で疲れたでしょう?」と後ろからわたしの両方の肩をゆっくり撫でた。
こういうことを自然に大人同士でもし合えるということは、その分やっぱり体が、気持ちが、楽になる。


そして例えば恋人と。些細なことを”話合わなかった”ことで誤解が生じて、そこからお互いのエゴが大きくなって、何かのせいにしたくなって相手を傷つける言葉を使ってしまう、なんてことも起こったりして、恋人がふと「僕たちは全然まだまだ自分自身のエゴにとらわれているね。」なんて言って、ふたりで苦笑する。


精神的な安定のほうへ向かえば向かうほど、わたしはどこまでいっても動物なのだ感じさせられる。体の温もりだとか、元気にする食べ物だとか、その土地の匂いだとかその土地の空気だとか、それらに包まれる心地よさを本能で知っているし、その方向に向かおうとする。それから、エゴが決して敵ではないこともわかるようになる。


何を言いたいのかといえば、よくわからない(笑)
ただ、もし例えば体調がよくないとか、何かに不安を抱いているとか、精神的に安定できていないと感じる人がいるなら、少しの間でも例えば自分の居る場所を自分の鼻が利く方へ変えてみるというのもひとつの方法かもしれないな、と、この南仏の深い突き抜ける青と、海の輪郭の色を知って、ふと思った。それから、本当は最終的な優しい場所はいつも自分の中の奥の奥の方にあることを知れたらと思う。


毎日愛しい笑顔で誰かと笑いながら、ひとりの時、今の状況から抜け出せないと不安に沈む夜を抱える大切な友人たちへ。大切なことのためにこれから何かに挑戦しようとしている頼もしい友人たちへ。風にのせてAmourを♡



 ★★★お知らせ★★★
このブログとは別に、フランスの生活を中心にした、見ること、聞くこと、食べること...etc、フランスの魅力をイロトリドリたっぷり紹介するブログができました♡ ほぼ毎日更新しますので、日々の楽しみにしていただけたら嬉しいです。

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↑毎日更新中です♪

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2015年8月6日木曜日

フランス、生活の始まり

フランスに着いてちょうど一週間ぐらい。前に住んでいたので、日本とフランス間のカルチャーショックになることはあまりないのだけど、今回は南仏。Parisと南仏の違いに驚くことが多々ある。

何が全く違うかというと、まず気候。Parisは灰色の曇り空、ときどき空が青い日があると嬉しくてしょうがなくて人々はカフェのテラスで日光浴にいそしむ。夏でも涼しい過ごしやすい日がほとんど。今年は30度を超える日があったみたいだけど。でも、ここ南仏は一言でいうと、”ピーカン”の空がほぼ毎日。

最初に到着した街はマルセイユという港街で、彼のお母さんが住んでいる。マルセイユというとちょっとガラが悪い街というイメージがあったのだけど(よく日本の街では大阪に似ていると言われる。そして、けっこう言い得ていると思う。)、想像を反して自然もたくさんあってカラっとした綺麗な素敵な街だった。マルセイユはミストラルという乾燥した冷たい風が吹くので、本当に街は湿気がほとんど感じられない。この風のせいで雲がなくて滞在中ほんとに毎日ピーカン。30度以上の日が続くのにあのじとーっとした汗はかかないのだ。風が乾いてひやっと冷たいので夕方にはノースリーブだと肌寒く感じることもある。マルセイユは3日間の滞在。

彼のお母さんはサラダのドレッシングにいつも醤油を使う。そして、醤油のことをTAMARI(タマリ)という(笑) 昔はラベルにTAMRIと書いて売っているのが定番だったらしく、けっこう醤油をこう言うフランス人がたくさんいることを初めて知った。ちなみに味は普通の醤油。たまり醤油ではない。


彼のバカンスも終わったので、彼の職場があるVillefranche-sur-Mer(ヴィルフロンシュ スューメール)というNice(ニース)の近くにある小さな町に移動。ここは、わたしはまったく知らなかったけど、観光地としては有名なところみたいで、小さな町だけどバカンスを満喫している人がたくさんいる。ここはマルセイユに比べて、ミストラルがないせいで湿気が少しある。
今滞在しているアパートは彼の職場が探してくれたワンルームで、ふたりではやっぱり何かと手狭なので今新しいいアパートをNiceで探している。小さくて狭くてキッチンも独り暮らし用のどうにも使いづらいものだし、アパートがかなり丘の上にあるので、ちょっと買い物をしようとすると広場まで15分くらい続く長い長い階段を降りていかなければならない。もちろん、帰りは反対に荷物を持って15分階段を登り続けるのだ。なんとも不便!!それでもとってもいいところもある。それは、アパート住人専用の屋外プライベートプールが建物に隣接されていること。日中はみんな働いているのか誰も泳いでいないので、ひとり占めできるのだ。あまりにも気持ちよすぎるので毎朝プールで泳ぐのが日課になってしまった。おかげでたちまち日焼けしている。このままだと結婚式には真っ黒になる。


コートダジュールの青を体感できる街

で、だいぶの楽しみだった野菜と果物だけど、やっぱり美味しい。同じ野菜でも色も味もギュッと濃くて、簡単にサラダにして生で塩と胡椒だけで、ボリボリカリカリクサクサ食べるのでも本当に満足する。遠くから船で運ばれた果物だけじゃなくて、地元の旬の生の果物を食べたい!というのは日本で渇望していたことだったので、それが実現できてこの上なく嬉しい。それを毎日できることに感謝しようと思う。ビオ(オーガニックのことをフランスではこういう。)のお店も豊富なので、いろいろと目新しいものが増えていて楽しい。実験を重ねようと思う。




フランスでこれから使う新しい携帯を恋人が用意してくれた。わたしの携帯の電話帳には、彼や彼の家族を入れて親しい人の登録は10人にも満たない。なんかシンプルで悪くないなと思う。パリやボルドーには友達たちがいるけれど、この街には恋人以外誰ひとりと知り合いがいない。こんな風に恋人以外誰ひとりと知り合いがいない街で暮らすのは、そういえばわたしの人生これが3度目だ。その度に親しくなる友達ができて、自分もいろいろ変わっていく。
ちょっと1週間いたぐらいで、たとえば今までと着る服が変わったり、食べるものが変わったりするので、そこから体の外身も中身も変わってどんどんどんどん物の見方や価値観も変わっていくんだろうな~と思う。楽しみだ。



毎日暑くて干からびそうになるけれど、みなさんも愛しい日々の連続を♥




2015年7月23日木曜日

内側の色彩-フランスへ出発

ボロボロ目から涙が次から次へとこぼれて、どうすることもできなかった。それは号泣というのではない。すすり泣きでもない。ただ体が涙を発生させるような感じで、そこに自分のどんな感情が動いているのか分からなかった。なぜ泣いているのだろうかと、頭では冷静に疑問を抱いていたけれど、涙を止めようという気は起こらず、しばらくただただその状態に身を置いていた。

他人に起きた出来事を知って、涙を出す。
そこに物語、例えば感動秘話や悲劇などの心を震わせるストーリーがあるわけではなく、ただただその出来事、事実のみを知っただけというとき。嬉しい出来事なのか悲しい出来事なのか、よくわからず判断ができない。そしてその出来事は他人の人生のもので、自分には関係がない。それなのに、涙が出る。わたしには生まれて初めての経験だった。

それは、その人の”ため”に泣く、その人を思って泣く、という類のものではなかったし、自分がその人だったらと想像して泣くというものでもなかった。その出来事がわたしにとって悲しいわけでも嬉しいわけでも、ましてやそれに感動したわけでもなかった。もともとわたしは他人に干渉するのもされるのも面倒臭いし、他人の出来事にいちいち一喜一憂するほうではない。
やっと涙もおさまり、なんでわたしは泣いたのだろうかと考えてみた。限りなく客観的に観察しようと試みた。それができたのかどうかはわからないけれど、ひとつ思い当たった。それは、「その人自身がその出来事をどんな風に感じて、どんな風に受け止めているのか、どんな感情の中にいるのか、それが全く想像できない、わからない。」からだった。
わたしの身体が涙を流した理由はそれだった。


いくら考えても想像しようとしてもその人の感情はどういうものかわからないし、自分がそれでなぜ涙を流したのかもわからないので、生まれて初めて「考えるのを止める」ということを意識的に努めた。わたしは今まで、寝ることで考えを中断させることはあっても、「考えるのを止める」ということはしたことがなかったのだ。うまいやり方がわからないので、思考をフランスの生活の方向へ持っていく。
フランスへの出発はもう真近。


もともとけっこう単純なので、フランス生活のワクワク感に思考は持っていかれ、この方法は案外うまくいった。

フランスでは日本で食べられなかった野菜や果物が食べられること、野菜や果物は日本よりも安く買える、ってのがあるので、嬉しい。豆腐や納豆が食べられない(あるけど、まずい)のは多いに残念だけど、たくさん野菜や果物を食べられるということが楽しみでしょうがない。食い意地がはっているのだ。




どんどん思考をフランスでいっぱいにする。

作ってみたい料理やデザートなんか調べ出すと、楽しくてしょうがない。ブルーベリーやラズベリー、カシスなんかのベリー類もたくさんあるので、それを使ったデザートもふんだんに作れるし、ハーブやスパイスもたくさんあるので、ここはちょっと本格的に南インド料理の研究に力を入れてみようかなんて考えている。果物や野菜はそれだけで色とりどりで美味しいので、生のまま飾るだけでも美しいし、それだけで美味しい。



 
一方で、この3ヶ月間実家で母と祖母が作る和食の家庭料理を食べてきて、和食の美味しさや工夫なんかを毎日目の当たりにして、この日本文化もわたしは大切にしようと思い直した。わたしがベジタリアンで基本はかつお出しもとらないので、祖母と母は、わたしには味噌汁ではなくとろろ昆布のお吸い物を作ってくれたり、野菜でステーキもどきを作ってくれたり、ちらし寿司の寿司酢をブラウンシュガーで作ってくれたりと、いろいろと工夫を重ねてはほぼ毎日菜食の和食を作ってくれた。それで、家庭の和食の彩りも改めていいなと思った。 とろろ昆布のお吸い物なんて、見た目の色が笑うくらいどよんと暗い灰色のグラデーションだし(笑)、母が立てる抹茶の色には単色が持つ清さに背筋が伸びる。祖母の作るちらし寿司の色彩を食したあとで、アメリカだかのヴィーガンの若い人が作った、果物を具として巻いた、ピンクや青に色がついたお米のMAKI-ZUSHIの画像なんかを見て、わたしは祖母が作る和食の落ち着いた色彩感覚もきちんと忘れないでいよう、お米を青色にするのは止めようと心に決めた(笑)
コントラストを持ってしか、その大切さを再認識できない癖はまだまだ直らなさそうだ。




ずっと同じかたちで文化を継承していくのは並大抵のことではないけれど、だからと言って歴史があるいい文化をないがしろにしたり、消滅させたりするのはとても悲しい。ひとつひとつが持つ文化にも興味と敬意を持って、それと同時にいろいろミックスする楽しみをつき進めていけたらなと思う。

ここまで考えてきたあたりで、泣いたあとの身体の反応は落ち着きを取り戻してきた。


落ち着いたけれど、油断すると、またその人の感情を想像しようとしてしまうので、思考をもっともっと心地よい方へ加速させる。
そうそう、ワクワクといえば食べることについてもそうだけど、この3ヶ月間の大阪暮らしのせいなのか、久しぶりに洋服のコーディネートも、色で遊ぶ勘が戻ってきた。昔みたいな色キ○ガイにはならないけれど、色や柄を足したり引いたりする感覚はやっぱり楽しい。

派手すぎると写真をとられた↓
これでも昔より100倍マシだし、派手ではないと思うw



いよいよ日本を発つ。
というわけで、この出発ぎりぎりのところで、また自分の知らなかった身体の反応を知った。今までわたしは、ストーリーに感動したり悲しんだりしたとしても、どこかでいつも冷静で、他人の感情なんて心底想像しようとしたりしたことなんて、本当はおそらくなかった。
...今のわたしはそんなにも他人を理解したくなったのだろうか?

恋人に今回の一連の自分の身体の反応を話した。彼はわたしに言った。
「わからないなら、無理して想像しようとしなくていいよ。その人に素直に聞いてみたらいい。君にとってその人は関係のない他人ではなくて、君はその人を大切に思っているんだよ。だから少しだけ混乱しているんじゃないかな。」

そうだった、わたしはその人のことを大切に思っているんだった。
その人に聞いてみよう。その人がどんな感情の中にいようと、わたしはその人を応援できる自信はある。そうだった。



自分の内側を見つめようとすると、日々いろんなことを発見する。
外側に求めずとも、そこは光と色彩に溢れている。その織り出される彩りに感動し、涙がでることさえある。

これからフランスの生活の中で、ゆっくりでいいから、わたしの身体、心、感覚、感受性を通してできる何かを見つけたいと思う。まだまだ模索中で、かたちになるまで時間がかかるかもしれないけれど、それが愛につながる何かになればいいなと願う。

何かの終わりと豊かなサイクルが始まるのは同じ変化の中にある。光が重なって眩しすぎて目を閉じたくなるけど、それを闇のように錯覚してしまうけれど、その光の中にこわばった身体を解放すると、実はなんともいえない柔らかな何かが自分を包んでいる。

みなさんも、それぞれの色彩で彩られる愛しい日々の連続を♡
それでは今度はフランスから~
À bientôt!








2015年7月16日木曜日

チャイを飲む

最近、大阪に帰ってきて久しぶりに、高校の頃から仲がいい男友達ふたりとチャイをすすった。昔から変わらず、気楽にぐだぐだ喋りながら。


そういえば、昔から好きなことがある。それは、気のおけない男友達とチャイを飲むこと。
誰と飲んだって美味しいチャイはもちろん美味しいのだけど、なぜか個人的にチャイは気楽な男友達と飲むのが一番な気がするのだ。学生の頃アルバイトしていたチャイ屋で、一緒に働いていた男の友人が鍋から泡立たせながらグラスに注ぎ込んで、「はいよ~」なんていって、休憩中に出してくれたスパイス入りの濃いチャイがなんとも美味しかったこととか、ずーっとなんだかんだ仲のいい男友達とチャイを飲みながらとりとめもなく旅行やら音楽や絵やらの話をぐだぐだしていたこととか、そういう超個人的な思い入れ以外のなんでもなく根拠がないことなのだけど、そういうイメージがある。大阪には美味しいチャイを出すお店が昔から本当に多くて、だいたいそういう店のオーナーが男だったりすることも関係しているのかもしれない。
(いや、単に、チャイにはぐだぐだ話が合うだけのことかもしれない...なんてw)
これが恋人となると、出されたチャイよりもその時間の方が濃さを持つし、女友達とならチャイじゃなくてもお茶でもコーヒーでもそんなのどうでもいいわけで、話がはずむ。とにかく、色恋ざたが全くない男友達とチャイを飲むバランスがなんともいいのだ。


カルダモン、シナモン、ジンジャー、ナツメグ、クローブ、時々黒胡椒を挽いてみたり...
プレーンチャイもいいけれど、せっかくなら少し甘めのマサラチャイを。
インドのコルカタの方では、数本のサフランをパラパラと振りかける”サフランチャイ”というものがあるらしい。飲んでみたすぎる!!なんともいえない気品あふれる芳香なんじゃないかしらと、よし、フランスに引越ししたらこれをぜひ作ってみようなんて目論んでいる。気楽な男友達ができるのかどうかはこの際置いといて。


7月に入って会いたかった友達にも会えたり、やっと大阪の生活に慣れ始めたけれど、思えば出発まであと約10日。「お前あいかわらずあほやな~」なんて言われて笑いながら心地よさを感じるわたしは、ここにきて大阪人であることを少し嬉しく思えるようになったことに気づいた。
地元が好きだったり苦手になったり、やっぱりいいなと思ったり。
時にはゆったりチャイを楽しむ素敵な午後を♡






2015年7月2日木曜日

アンバランスないいわけ

6月末、フランス語のテストが終わった途端、雲が切れたみたいにパッと、わたしの世界の空は明るくなった(笑)自分でもなんて単純なのかと思うぐらい、見るもの聞くもの嗅ぐものすっかり曇りがなくなりすきっと爽やかに見えるきらめきの世界だ。

実は、大阪に帰ってきてからぐるぐるといろんなことを考えすぎて、梅雨の真っ只中、しかもフランス語のテストを控え、なんだか気持ちが暗ーく、暗ーく、辛気臭くなっていた。
物欲の塊みたいになってぬり壁みたいな顔になってしまっている人とか、精神世界に生きているように見えて、物事の本質を探究せずにただの無知で明るいだけの子供みたいな顔で暮らしている人とか、そういう風なところばっかりに目がいってしまって、こんなにも周りの世界は目を背けたくなることばかりなのかと、勝手に息苦しくなっていた。


でも、実はそういう事柄は全部わたしの中に存在する、もしくは存在していて、その事実から必死で目をそらそうとしていたのだ。そういう自分の愚かさを棚に上げて、自分の考えをさも雄弁に語ろうとしていた自分に気づいた。気づかない間に、善意に隠された欲望がむくむくと育っていたのだ。きゃおッ、なんて恥ずかしい!
生活にいい物を取り入れるために遠い外国のものばかりに高いお金を払うこととか、自分の本当に求めているものが何かわからないために見栄と物ばっかりで埋め尽くしていることとか、一緒に生活している人と価値観のすり合わせができないこととか、子供をTVやゲーム漬け、砂糖漬けにしていることとか、友情関係をビジネス関係にすり変えてしまっている人とか、スマホ中毒とか、公共の場に出没する変な現代アートとか、悲観的なものばかりに囲まれてもういやだ閉じこもりたい!なんて風に、自分がカラカラと干からびていきそうで、”辛気臭い人”にどっぷり浸かりきるぎりぎりのところで、パッと気づいた。

気づけたのは、無事テストが終わり脱力して、ふと、去年わたしはどんなことを考えていたのだろうかと気になって、自分がこのブログに書いていたちょうど1年前の6月の文章を読み返したことに あった。あれだけイヤだイヤだ、としつこく書いていた”○○臭い人”に、今、自分がなっていたことに気づいたのだ(笑) (詳細は”潜んだ欲望と、変な顔”へ)
ひゃー!ミイラ取りがミイラになるって、このことかしら!という風に。


で、この辛気臭さから脱却するためにとっさに本能からか救いを求めた先が、宗教でも、占いでもましてや電話相談でもなく(笑)、それはファッションの本の中にいる素敵な女性たちだった。エレガントにお洋服を着こなすマダムや、刺激的なコーディネートで楽しむ同じ世代くらいの女性たちの佇まいが、辛気臭くなってかちんこちんに固まっていたわたしの頭と心に柔らかく水をかけた。みるみるうちに癒されていった。過去恋人たちに何回もバイと疑われただけのことはある、わたしはやっぱり素敵な女性が好きなのだ、やっぱりもうメロメロ(笑)

で、同時に改めて気づいた。もう昔みたいに服を買い漁ったり、所有し過ぎたりすることにはまったく興味はないけど、洋服を着ることで一層引き立つある種の美しさとは何か、それがやっぱり気になって気になってしょうがないのだ。何を今さらと言われるに決まっているけど、わたしはやっぱりファッションが大好きで、どうしても素敵な女性たちに惹かれてしまう。物質に精神を埋め尽くされることを拒否しているくせに、消費社会のファッションの世界とどう関わっていくのか、なぜだかわからないけどおそらくこれはアンバランスで矛盾だらけのわたしのこれからの課題になりそうな気がする。
癒されるはずが、別の乾きを求める始まりになってしまったw


とにかく、”○○臭い”からの脱却に、何が必要だったって、自分のアンバランスさを再認識することだったと思う。どれだけ自分はバランスがいいなんて奢っているか、それに気づいたら、なんともいえない恥ずかしさで穴にもぐりたくなる(笑)わたしはやっぱりまだまだ矛盾だらけで頭でっかちでアンバランスだ。願わくばバランスのよい感じになりたいけれど、なかなかそう簡単に矯正はできない。ので、気長に行くしかない。

でも、こうも思う。このアンバランスさは、見方によっては自分の何か大切なものにつながっているのではないかと。アンバランスさによってバランスをとっている、なんともややこしくて且つ精妙なものなんじゃないのかと。複雑さは女の人の魅力だよと恋人がなぐさめてくれたことがあったけど、アンバランスさも個性になりえるのかもしれない。自己表現なんてどこまでもナルシストで自己中心的な行為なのに、それが自分を支えている。わたしは、バラバラと気になるものや好きなものが多すぎて、いっそ全部飲み込んでしまいたい衝動にいつもかられている(笑)
さっそく、結婚前にこれだけは再度伝えておかなければいけないと、恋人にスカイプで「というわけで、やっぱりわたしは洋服が大好きで、それから矛盾を抱えていてアンバランスなのだ」ということを堂々と宣言したわけだが、彼は苦笑して、「何をいまさら。今は矛盾に思うかもしれないけど、あとあと必ず君の中でつながっていくよ。まあ、その宣言は昔から何度も聞いているけどね」と、同じ話を何度も繰り返す老婆扱いされた。


曇りが晴れたついでに、そのファッションの本たちをパラパラと読んでいて、なぜかすとんと気づいたことがある。それは、「何かひとつの方法でしか物事の本質を追求できないということはない。」ということ。これはわたしの恋人が何度もわたしに言っていることだけど、この意味がようやく腑におちた。例えば悟りを開く唯一の道は、ヨガをすることだけでもないし、カトリック信者として一生をおくることだけではない。すぐにわたしたちは、自分の道だけが正しいと思ってしまいがちだけど、何を持って本質を追求するか、それは人それぞれに道がある。


 
とういうわけで、洋服の色合わせなんて考えているとやっぱりなんともワクワクしてしまう。文章を書いているとワクワクが止まらなくなる。辛気臭さを払拭するには、やっぱりワクワクすることが必要なのだ。瞑想しながらこのワクワクに引っ張られてはムヒヒとなってしまう。
そんなことでひとりムニムニしていたら、美しさについて、ふっと浮かびあがったことがある。
美しさとは、これ見よがしに表現されたものにではなく、細胞に、内面に息づく気配こそに宿るのではないか?


どうも最近自分が辛気臭くなっているなって感じてる人がいれば、もちろん梅雨の季節のせいにした上で、自分のワクワクのもとをもう一度探してみることをおすすめしたい。ひと足先に梅雨明けできるはず!
アンバランスでも矛盾だらけでもなんでも、愛らしい素敵な日々を♡